事業所のある風景

2011年12月15日

神奈川/大師診療所 地域の医療とくらしを守る砦として

 1951年3月、レッドパージで職場を追われた岡田久医師(故人)が、「医療に貧富や民族の差別があってはならない」という信念のもとに、労働者 のまちであった川崎市の南部の地に大師診療所を開設しました。診療所周辺の社宅や寮にポータブルレントゲンを持ち込み、1回に10人ほどの検診活動を行う ことから始まったといいます。当時の労働者の生活水準は低く、多くの人が結核に感染するなど、深刻な健康問題をかかえていました。そうした活動を続けるな かで外来患者が増加し、池貝自動車(当時)をレッドパージされた労働者の協力も得て、新たに土地を購入し、診療所を建設しました。現在、1病院・8診療 所・1老人保健施設等を有する川崎医療生活協同組合のさきがけです。

大気汚染問題に正面からとりくんで

 1960年代の半ばごろから、地域で「屋根のトタンがくさる」 「洗濯物が汚れる」などの声が多く聞かれるようになりました。ぜん息患者が増えていました。そうしたことから、大気汚染問題に正面からとりくもうと、大師 地域に「公害対策委員会」がつくられました。診療所の職員が地域に出て、健康アンケート、学習会などを盛んに行いました。その結果をもとに、1967年に 対市交渉を行い、公害の発生源である大企業の責任を明確にするように求めました。このとき市議会に提出した意見書は全会一致で採択され、政府にも提出され ています。1969年には、被害住民や労働者とともに「川崎から公害をなくす会」を結成。翌年には保守市政のもとで川崎市独自の救済制度を実施させ、全国 的に公害闘争が発展する1つの出発点となりました。こうしたたたかいは、1971年の革新市政誕生にもつながっています。

若いお母さんたちの班が2つも誕生

 大師診療所は、初詣の参拝客が多いことで全国的に有名な川崎大師 のすぐ隣で、周辺はいわゆる門前町です。古くからの住宅地ですが、最近は移転した工場や社宅の跡地に、大型の高層マンションが次々と建設され、若い世帯が 増えています。地域に小児科が少ないこともあって、小児科の患者が大きく増えています。予防接種費用などが割引されるので、ほとんどの人が医療生協に加入 してくれますが、「それだけではダメ」と、小児科の看護師が若いお母さんたちに声をかけ、2011年になって班を2つ誕生させました。地域で活動する組合 員が減少傾向にあるなかで、明るいニュースとなっています。

誕生60年目の節目を迎えて

 大師診療所は、誕生60年の節目を迎えました。多くの人々に支えられてきた歴史を忘れず、地域の医療とくらしを守る砦として、さらに歴史を積み重ねていきたいと思っています。
大師診療所 事務長 立田 浩)

「民医連事業所のある風景」 『民医連医療』2011年12月.No.472より」

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