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2000年1月1日

医療研究室 古くて新しい感染症・結核

千葉民医連 橋場 良
【船橋二和病院 医師】

結核患者の増加に何を見るか――歴史を医療に生かすために

なぜ結核が注目されているか

 1999年7月、厚生大臣名で「結核緊急事態宣言」が発表され、マスコミでは集団感染の報道が相次いでいます。
 「結核緊急事態宣言」が出されたことには3つの背景があります。

1.1997年、38年ぶりに新規結核患者が増加したこと
2.結核の集団感染の増加
3.日本の結核の状況が先進国中最下位クラスである(感染者数の多さと対策が遅れている)こと

 結核は「怖い病気」とはいっても、いまや重大な他の病気を合併していない限り、一定期間きちんと指示どおり薬を服用 しさえすれば確実に治るといってもいい病気です。マスコミの報道などでは危機感をあおるのみのものもあり、結核患者さんが周囲の誤解による中傷などを受け ていないかどうか心配です。

結核はどんな病気か

 空気中の結核菌は、肺に吸い込まれて肺で育つので、ほとんどの場合が肺結核です。結核の特徴の一つは、他の肺に起こ る感染症(肺炎など)に比べてゆっくりすすみ、慢性的な軽い症状が多いことであり、また、人から人への感染をおこすことです。患者さんが咳をした際に結核 菌が空気中に散らばり、それを吸い込んだ人が結核になってしまうことがあるわけです。ただ、普通は咳をしている重症の患者さんと月単位でいっしょに生活す るなどの長期間の接触がない限り、新しく結核になることはまれです。
 一方、以前に結核に感染したことがあり、長い間からだの中で眠っていた結核菌がからだの抵抗力の低下にともなって再発してくる形での発症は珍しくなく、むしろ中高年の結核は多くの場合がそのパターンであることに注意が必要です。

結核はどのようにして診断されるか

(1)胸部レントゲン
 咳が続いていてもレントゲンで異常なければ、結核の可能性は非常に低い(例外として気管支結核や喉頭結核がありますがまれ)といってよく、他の喘息などの病気を疑うことになります。

(2)喀痰検査
 結核の診断確定やその後の経過観察に最も有用な検査です。またこの検査により人にうつしてしまう危険性も一定判断することができます。
a 塗抹検査
 採取した喀痰をすぐ染色し顕微鏡で見る検査で、これで結核菌が見えた場合は塗抹陽性といい、人にうつしてしまう可能性があります。しかし、塗抹陽性であっても咳がなければうつしてしまう危険性は低いのです。
b 培養検査
 採取した喀痰を結核菌が育ちやすい環境において結核菌が生えるかどうかみる検査で、これが陽性であれば結核の診断が確定します。しかし、培養陽性であっ ても塗抹陰性であれば人にうつす危険性は非常に低く、とくに咳がなければ危険性はほぼないと考えてよいでしょう。

(3)ツベルクリン反応
 ツベルクリン反応はこれまでの結核菌との接触の有無により変化するため、これが陽性であることが結核であることを意味するわけではありません。むしろ、 これが陰性の場合に結核ではないことを示す検査であり、その意味で診断の参考になります。
しかしウイルス感染や悪性腫瘍の存在、免疫抑制作用のある薬を使っている場合は結核になっていても陰性になることがあるので要注意です。

結核の治療はどうするか

 現在の標準的治療法は、4種類の薬を2ヵ月、2種類を4ヵ月、あわせて6ヵ月服用する方法です。服用期間が長く薬の 量も多いので、服用する意義や副作用の点も含め、患者さんに細かい説明が必要です。治療にともなう副作用で一番問題なのは肝障害であり、治療開始後2ヵ月 は2週間おきに肝機能をチェックするようにしています。

結核の歴史から学ぶ 

 結核の新たな局面を迎えた現在、過去における結核の盛衰から学ぶことが重要です。
 1935年には、1900年以来つねに死因別死亡率の首位を占めつづけてきた肺炎・気管支炎にかわって結核が第1位となり、戦後の1950年まで同じ状 態がつづきました。戦前戦後をまたがって約15年間は結核がいまの悪性腫瘍の位置をしめていたわけです。
 どうしてそんなに結核が蔓延したのでしょうか。結核が増えはじめた当時、日本の主たる産業は繊維工業で、女工40万人が繊維工場で働きました。そのうち 一番多かった年齢層は15~19歳、いまなら高校生ぐらいの年代でした。女工の繊維工場における過酷な労働条件は、結核という形で10~20歳代の若き命 を奪っていったのです。そのことを最初に世に明らかにしたのが、石原修『女工と結核』でした。
 女工のなかで結核が蔓延しても、それらに対する対策は工場も国も行おうとはせず、事態を放置したため、結核になった女工が故郷の農村に帰り、農村で結核 が広がりはじめます。結核に対する本格的な対策がとられ始めるのは、農村も含め、多くの若い男子が結核に冒され、徴兵不合格者が増えてきてからでした。
 結核はなぜ戦後減少の一途をたどったのでしょうか。
 図1に見られるように、化学療法が登場する前から結核が減少していることに注目してください。一般的に信じられているように、結核の減少はストレプトマ イシンなどの化学療法の普及によるものなのではなく、戦争の終結にともなって生活条件・労働条件が改善したことによると考えるべきでしょう。
 最近では、生活困窮者、零細企業や出稼ぎ労働者、外国人労働者など健康管理の機会に恵まれない階層での結核の増加が注目されており、あいりん地区を含む 大阪市西成区では罹患率(人口10万対)が570(日本の平均34)を超えるなど際だった発病状態です。
 医学医療の進歩とは独立して、社会的条件により盛衰を繰り返す疾患が結核といえるでしょう。結核の歴史、現在の状況をどう捉え、社会とどう向かい合っていくかが私たちに与えられた課題だと思います。

 

図1 日本における結核死亡率とさまざまな療法の変化
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●「結核緊急事態宣言」をうけて、全日本民医連の医療活動部では「結核プロジェクトチーム」を結成し、病院・診療所や 施設で対応する際の資料として『民医連における結核症への対応について』をまとめ、発表しました(I.結核症の感染症としての現況、II.結核症とはどん な病気か、III.結核の診断-院内感染を予防する立場から、IV.結核患者発生時の対応、V.医療従事者に対する結核検診と措置方法、VI.院内感染を 予防するための院内環境整備、VII.結核の治療――『民医連医療』2000年3月号掲載)。


●はしば りょう……1987年千葉大医学部卒業。1989年より船橋二和病院呼吸器科。1994年から同呼吸器科長。

Medi-Wing 第17号より

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