いつでも元気

2003年3月1日

特集1 「外来透析の食事」 従来どおり無料です 診療報酬改定に対抗してがんばる東京勤医会

午後6時、透析中に食事の時間になった。須藤さんは慣れない左手で食べる(写真はいずれも東葛病院で)
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腎臓病患者が透析を受けるときの食事代が保険から削られ、食事の有料化や廃止が広がるなか、改定撤回をもとめて署名運動をすすめ、「透析食は従来どおりつづけ、患者から費用はいただかない」という病院があります。その一つ、千葉・東葛病院(東京勤医会)を訪ねました。

中西英治記者

 「ここをさわってみてください」。透析患者の須藤仁資さん(62歳)がいった。右手内側の手首からひじに かけて、血管が太く盛り上がっている。さわると、かさぶたのように硬くなったひふの下がブルブルと震える。静脈と動脈をつないであり、ここに針をさして透 析器につなぐ。「もう二六八回さしました。ここは私の命綱ですよ」と須藤さんはいう。
 須藤さんは毎朝、起きると体重をはかり、尿をとり、また体重と血圧をはかり、血流の音を聞くという。瞬間、昔読んだ「アンネの日記」の一節を思い出し た。深夜ひとり目覚めているアンネには「血管を血の流れる音が聞こえる」。状況はちがうが、アンネにも須藤さんにも、血の流れは生きていることの証だろ う。

透析食は「いのちの綱」
 千葉県松戸市に住む須藤さんは、週三回、流山市下花輪にある東葛病院で人工透析を受けている。
 腎臓が本来の仕事ができなくなった状態が腎不全。老廃物を排泄しきれなくなり、多くは尿毒症に発展し、放置すれば死にいたる。人工透析は腎臓のはたらきを代用するもので、患者の血管から血液を透析器に流し込み、血液を浄化する。
 透析療法で腎不全は死の病ではなくなった。しかし、「命綱」というとおり、須藤さんは透析なしには生きられない。午後三時、須藤さんは透析室のベッドに横になり、二六九回目の針をさした。
 八時まで、五時間つづく透析はきつい。間に食事時間がはさまる。午後六時、三二床ある透析ベッドに食事が配られた。須藤さんは右手が透析器につながっているため、慣れない左手で食べる。
 サケのムニエル、肉じゃが、野菜いため、ごはんに黄桃。汁ものはない。薬をのむためのほうじ茶が少しだけ。透析患者の食事療法は水分管理がきびしい。須 藤さんは朝昼夕二百CCずつしか飲めない。「でも、おいしいです。栄養士さんは工夫がたいへんですね。私は、この味とメニューならいいんだと覚えて帰り、 買い物して自分でつくります。この食事は栄養指導なんです」
 東葛病院では現在、透析中の食事に患者は一円も払わなくてよい。これまではどこの透析施設でもそうだった。

1回2030円の減収に
  genki137_01_02 ところがいま、多くの施設でこれが有料になり、この見慣れた食事風景が消えたところもある。昨年四月から診療報酬が改定されたためだ。
 とくに重大な改定が二つあった。
 一つは、透析時間の一本化。改定前の診療点数は、外来の場合、透析時間によって三段階に分かれ、(1)四時間未満一六三〇点(診療報酬は一点一〇円、一 万六三〇〇円になる)、(2)四時間~五時間未満二一〇〇点(二万一〇〇〇円)、(3)五時間以上二二一〇点(二万二一〇〇円)だった。これが一律の包括 点数一九六〇点(一万九六〇〇円)にマルメられた。
 実際におこなわれる透析は、圧倒的に、(2)の四時間~五時間未満が多く、全体の八四・三%をしめる(二〇〇一年末現在、日本透析医学会調べ)。つまり、事実上千円以上の切り下げである。
 もう一つの改定が、「食事加算」の廃止だ。外来透析患者に食事を提供した場合、従来は六三点(六三〇円)が加算されていたのが、削られた。透析食は先の包括点数にふくまれるとされた。
 要するに、食事をだした場合、従来なら二万一〇〇〇円+六三〇円で二万一六三〇円が病院に入っていたのに、改定後は一万九六〇〇円しか入らなくなった。病院は差し引き二〇三〇円の減収だ。
 わずか二千円か、と思ってはいけない。「戦後最大の診療報酬引き下げです」と医療法人財団・東京勤労者医療会専務理事の須加幸正さん。「透析の引き下げ をふくめ、東京勤医会の年間収入一一五億円のうち、五億の減収となりました。これは医療をどんどん保険から外し、『二階建て医療(一階は健康保険で受けら れる限りなく最小限の医療、二階は自費・民間保険でまかなう医療)』にする本格的な一歩なのです。黙って従うわけにはいかない」
 「透析食」をだすかぎり、病院は患者からもお金はとれない(保険点数にふくまれているので)。それができなければ、食事をだすのをやめるか、患者負担で 「一般食」を出すしかない。腎臓病患者でつくる全腎協(全国腎臓病協議会)の調べでは、改定からまもない昨年七月の段階で、食事を廃止したところが八%、 何らかの形で患者負担にしたところ(有料化)が八〇%、改定前と同じように「保険適用で」(病院が費用をかぶって)提供している施設はわずか五・三%だっ た。「二階建て」は早くも現実になった。

「とらない」と決めて元気が
 民医連加盟の東京勤医会(千葉・東葛病院、埼玉・みさと協立病院、東京・代々木病院など)は、「従来どおり」透析食を無料でだす、数少ない病院である。
 有料化や食事廃止が続出するなか、どうしてそれができるのだろうか。
 東葛病院事務長の千坂和彦さんはいう。「大激論でした。一定の負担をとるのがすう勢だ、とらざるをえないのではないか、とるなら全額か半額か…。でも、 とらないときめたことで、すっきりしました。この病院は患者さんのためにある。差額ベッド代もとらない。病院は地域の財産だ、アピールして利用者をふやし て経営を守ろう、不当な攻撃を撤回させよう。職員はむしろ元気が出ました」
 栄養課長の入山一造さんによると、食事代をとらないことは「もちろんきついですよ。月一〇〇〇食~一一〇〇食で年間八百万円の損失ですから。だからと いって職員を減らしてもいないし」という。しかし、入山さんはむしろ食事代をいただくことで患者さんが離れることを危惧した。百人の患者のうち三人が離れ ても被害は大きい。「それなら逆に、がんばって、『ここは食事代をとらない』ということでもっと利用してもらえれば、そのほうが大きいのではないか」とい うのだ。
 かつて政府は、「食事はだれでも食べる。保険からだすのはおかしい」といって、ひんしゅくを買ったことがある。その後これは患者一部負担、病院食の外注 化などの形ですすんできた。今回の透析食「有料化」にも同じような発想がある。

矛盾だらけの診療報酬改定
genki137_01_03  「透析が保険適用されて初期の一〇年は食事加算がなかった。私たちの運動で適用されたのは八一年。それが二〇年ぶりに切られたのです」。全腎協常務理事の 小林孟史さんはこう話す。「これは、透析食は治療の一環といってきたのを投げ捨てたものです。それでいて、保険内で食事をだすところは包括点数にふくまれ ているという。矛盾しており、本音が財政問題にあることは明らかで、厚生労働省には患者から抗議が殺到しています」
 東葛病院医師の井上均さんはいう。
 「腎不全、透析の人がふえていますが、腎臓病は長い人で三〇年。脳卒中、がんが出て亡くなるのがふつうで、いま腎不全で亡くなることはありません。透 析、透析食はその人が生きのびる命綱です。そのためには食事療法、飲み水制限、その他の治療と、守らなくてはならないものが多い。このうちとくに食事療法 はむずかしい。一番いいのは病院で食べてもらって、勉強して体で覚えていくこと。あくまで治療としての食事なのです」
 いま、全国に腎臓病患者は二一万人。平均して週三回透析を受ける患者は二日に一度通院し、体重計で水の量をはかる。つねに「死ぬかもしれない」と不安を 抱いた人生で、車のローンも組めない。フルタイムの仕事はむずかしく、リストラの対象にもされる。食事代約八千円が有料となれば、負担は重い。
 患者会と相談し「有料化」にふみきったところも、苦渋の選択だった。

■「命綱まもれ」と署名運動ひろがる

「180日超」撤回とあわせて
 東京勤医会では、「患者さんの最後のよりどころに」という民医連の存在意義を発揮しようと、労働組合も同意。「一八〇日超の入院基本料の特定療養費化 (注)の撤回」とあわせ、「人工透析の点数引き上げと食事加算の復活」をもとめる署名運動を始めた。
 東葛病院の職員たちは昨秋、毎週三回、地域を無差別に一軒一軒訪ね、一二月には「気になる患者」を訪問。酸素を使う人の医療費が一〇倍になり、高くて使 えないと外してしまった人を説得したり、「年寄りは早く死ねというのか。それなら国営のうばすて山をつくってくれ」という声もきいた。「この問題はきいて もらえる。病院の収入は減るのにがんばっていると、真剣にきいてくれる」という。東京勤医会で三万目標の署名は、一万を突破した。
 透析患者の須藤さんは「病院と職員は自分の身を削って患者を守ってくれ、非常に感謝している。病院、職員にだけ負担を強いていては申し訳ない」と、幹事 をしている東葛病院医療と健康を守る会にはかって、五六〇〇人の会員によびかけた。一三五四の署名が集まっている。
 「なんでもかんでも削り、とくに大事な食べ物をねらいうちにしてくる政治に怒りがわく。ゼネコンや銀行につぎこむカネがあるなら、なぜ医療・福祉に回せ ないのか。命につながるところ、一番救いをもとめているところを切っているのが小泉内閣の本質だ。社保協(社会保障推進流山市協議会)加盟の一〇団体によ びかけ、少しでも多くの署名を集めたい」
 その須藤さんを、透析室技士長の阿部純一さんは「きっちりノートをつけて自己管理がしっかりし、患者会で広報をつくって病院と患者の橋渡しをされる。患者さんの手本です」という。
 須藤さんはもと、東葛病院の職員だった。職員当時から始めた透析は三年目、途中で定年を迎えた。「ながい闘病生活に、弱音をはくこともあります。こんな 体でも、しっかり守って、『自分もだれかの役にたっている』ということが、自分をささえていると思います」
 毎週の月水金、松戸市内から車で同じ透析患者を迎えにいき、いっしょに病院にくる須藤さん。ヘルパー二級の資格をもっていて、この日も八時すぎ透析が終わると、その患者を車で送っていった。

写真・若橋一三

いつでも元気 2003.3 No.137

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