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2017年7月4日

「この世界の片隅に」 何度も手に取りたくなる魅力 ~全世代で戦争と平和を考える マンガ評論家・紙屋高雪

 昨年一一月に公開され、今も上映が続くアニメーション映画「この世界の片隅に」(監督・脚本 片渕須直、原作・こうの史代)。戦時下の広島・呉に生きる女性の日常を描きました。クラウドファンディングで集めた資金で制作し、異例のロングラン。六月には観客動員数二〇〇万人を突破しました。その魅力とは? 二〇一一年度に本紙で連載したマンガ評論家の紙屋高雪さんの寄稿です。この夏、戦争と平和について考えてみませんか?

 ぼくは、こうの史代の作品が好きで、ときどき本棚から引っ張り出しては読み返し、いったん読み返すとしばらくそれにかかりっきりになってしまう。ひとえに、それを読むのが楽しいからである。
 広島県・呉に嫁に行った女性の、そこでの生活や家族、空襲を描いた『この世界の片隅に』は彼女の代表作である。

作品の細部を味わう

 ストーリーもさることながら、好きなコマ、好きなシーン、好きなエピソードを味わうために、ページを繰る。
 例えば『この世界の片隅に』には、戦時中に作られた「愛國いろはかるた」が作者の遊び心たっぷりに、いろは四八文字分が描かれている。「な」の札「仲よし子どもの隣組」には、「仲よし」どころか、新しくきた子どもを仲間外れにする気まんまんの不穏な空気が見事に描かれている。
 あるいは、当時の雑誌に載っていた「人生相談」も、それをパロディのようにして描いたものが『この世界の片隅に』に載っている。いろんな立場の人が、さまざまな相談を持ちかけるのを、登場人物の一人で、性格のキツい小姑(径子)が一刀両断にする。
相談「良人(おっと)が贈つて呉れた白金の指輪の供出を頑として許可しません。ケチと言うか非国民と言うか…。(婦人会幹部 五十歳)」
回答「ワケは絶対問ひたださぬ事。」
 径子がとぼけた顔でお茶をすすっている描き方がいい。
 読むたびに、細かく書き込まれたこれらの作品の細部を読み返し、新しい発見をして楽しむ。何度読んでも楽しいのである。

日常の楽しさが根底に

 この作品がアニメでもマンガでも世代を超えて支持され、つい何度も見返したくなるのは、そうした日常の楽しさが根底に流れているからに違いない。
 古い世代は戦時の日常が苦労だけでなく楽しさもあったことを思い出す。若い世代は、現代で感じる日常の楽しさと地続きの楽しさが戦時にもあったと知るのだ。

飽かず眺める

 小学四年生になった娘もまったく同じだ。何度も読んでいる。
 だがそれは親が娘に「これを読みなさい」と勧めているからでは、まったくない。親が親しむのと同じように、親の本棚から勝手に『この世界の片隅に』を取り出しては、ときどき読んでいる。
 娘は、少女マンガ誌「ちゃお」連載の作品群、ぼくの本棚の数々のオトナマンガ、古典的名作である『ドラえもん』や『あさりちゃん』――そうした無数の娯楽作品と同列に並べて「きょうはどれを楽しもうか」と無邪気に、一冊を「えいやっ」と選び出してくるに過ぎない。その中から『この世界の片隅に』が選ばれるのは、こうした競争に打ち勝つ楽しさをこの作品が備えているからである。
 ぼくと娘は、ときどき『この世界の片隅に』に出てくるセリフの掛け合いをやったりする。どっちがどれくらい覚えているか、「ああ、あのシーンね」とお互いに知識を確かめ合うような、いわば「オタク」同士の遊びあいだ。
 ぼくはマンガの評論などをしているので「平和や戦争のことを考える上で、子どもにどんなマンガがオススメですか」と聞かれることがある。
 どんなマンガでも、大事なことは「親が楽しんでいる」ということではないだろうか。親自身が何度も手に取る、飽かず眺める―。そんな作品であってこそ、子どもは自然に触れるようになる。ぼくの場合は、それが『この世界の片隅に』なのだ。

「この世界の片隅に」
DVD・Blue-ray Disk
販売元:バンダイビジュアル
発売日:9月15日

紙屋高雪…マンガ評論サイト「紙屋研究所」所長であり、勤め人+真面目なコミュニスト。著書に『オタクコミュニスト超絶マンガ評論』『どこまでやるか、町内会』など

(民医連新聞 第1647号 2017年7月3日)

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