いつでも元気

2005年5月1日

特集1 旧日本軍による性暴力で受けた心の傷は 突然、襲う恐怖の記憶。悲しいときにも泣けない… 中国人「慰安婦」裁判

「あなたの勇気、引き継ぎます」と看護学生が

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郭さんに思いを寄せ書きして贈った東葛看護学校の学生たち

 戦争中、日本軍が中国人女性を拉致・監禁し、残虐な性暴力を行なったことは、当時の中国の民法によっても日本の民法によっても不法行為であり、「損害賠償請求権」が成立する。しかし、請求権は消滅している││こんな判決が三月一八日、東京高裁で出されました。
 原告は、中国・山西省に住む郭喜翠さん(78)と侯巧蓮さん(九九年に死亡)。

請求権まで認めながらなぜ!?

 平和の問題に関心をもつ東葛看護学校の学生が、判決を傍聴。「裁判長が小さい声でボソボソ。最初の蕫控訴棄却﨟というのだけはわかって、悔しくて」と、 七人で夜の判決報告集会にも参加しました。
 弁護団の報告を聞き、今回、被害の事実だけでなく、「原告に損害賠償請求権がある」と認めたこと、国際法違反も明確にしたことは、前進面だったとわかり ました。でもそれなのに、なぜ棄却?
 持ち出された根拠が、一九五二年の「日華平和条約」でした。中華民国(台湾)と結ばれたこの条約は、七二年に日中の国交が回復し、失効しています。
 「これまで、日中共同声明によって賠償請求権がなくなったという判決はありましたが、日華条約による棄却は前例がない。台湾と結んだ条約によって中国の 国民の権利がなくなるなど、非常識です。
 日中共同声明も、中国国家が賠償請求権を放棄したということであって、中国国民の権利まで放棄していません」と弁護団。判決は、なぜこんな非常識な理屈 を持ち出したのか。
「裁判長は請求権を認めざるをえないところまで追いつめられたのです。しかし、論理を押し通す勇気がなかった。そこで、必要もない『戦争観』を長々と述 べ、日本人の多くがもつ感情・なんで今さらこんな古い話を持ち出すのか、という気分に逃げ込んだ」と弁護団は分析します。「国民一般がもつこの気分を克服 し、世論を変えることが必要です」と。
 学生の一人、佐藤郁美さんは「私たちが何をしなければならないか、わかりました。郭さんたちが勇気を振り絞って告訴してくれなかったら、日本政府は慰安 婦問題を闇に葬っていたと思う。二度と昔のような過ちを繰り返さないよう、事実をしっかり学び、伝えなくては」。

釈放のときもお金を払って

 判決を傍聴した鈴木一江さんと大野碧さんは、翌日、郭さんと、今回つき添ってきた長男の周さん(50)、弁護団長の大森典子弁護士から、さらに詳しく被 害の実情を聞きました。一番ショックだったのは、判決でも認定していたPTSD(心的外傷後ストレス障害)の実態です。

■15歳少女を拉致・監禁・強姦

 一九四二年七月、一五歳だった郭さんは、突然、日本軍に拉致・監禁され、その夜から、夜は隊長、日中は複数の日本兵らに強姦・輪姦された。日本兵に陰部 を切られたが何の治療もされず、化膿し発熱。全身がむくんだ。約半月後、動くこともできないほど衰弱した郭さんを、家族が銀五〇元(当時羊一頭六元)を支 払ってひきとった。
 この後も、九月まで二回も連行され、そのたび衰弱するまで監禁、強姦された。

■PTSD 心的外傷後ストレス障害

 家に戻ってからも、日本軍がまたやってきた夢を度々見て、夜中、飛び起き家の外に逃げ出すという状態が続いた。
 五年後、体がやっと快復し結婚。しかし八路軍(中国共産党軍)の兵士だった夫は、日本軍の辱めを受け、しかも精神状態が変な女性とは結婚したくないと いった。親同士が決めた婚約だからと命じられ、やむなく結婚したが、最期まで妻に冷淡だった。
 日本でもPTSDが広く知られるようになったのは阪神大震災やサリン事件の頃から。中国の山村で、突然奇声を発して村中を走り回ったり子どもに暴力をふ るったりする郭さんは狂人としか理解されず、奇異の目で見られ、子どもたちも母を恥じ、自分をも恥じて生きてきた。
 息子の周さんは「母をかばってきた祖父母が亡くなったあと、一番ひどい状態になった」という。郭さんは、悲しいとき涙が出ない。叫ぶことしかできない。 今も、驚くと騒ぎ出すので、家に帰るときも庭から「僕だよ」と声をかけながら入るのだという。なぜ、自分の母親がこんな状態になったのか、周さんたちが 知ったのは、やっと一〇年ほど前のことだ。

家族をふくめての深い被害

 「家族をふくめての被害なんです」と大森弁護士。「郭さんが連行された進圭村は小さな山村ですが、近くに八路軍の抗日根拠地があったため、日本軍の最前 線拠点でした。八路軍の動きを知ろうと、村人を捕まえ拷問するなどは日常的にあったのです。郭さんは、自分が行かなかったら捕まっている姉の夫が殺される のではと思い、逃げられなかった。義兄は別の場所で殺されていたのですが」
お姉さんは再婚で、最初の夫も日本軍に殺されました。郭さんは日本軍による虐殺、拷問をたくさん見ており、話し出すと止まらないほど。しかし強姦された話 は、子どもの前では決してしません。
 「日本人として恥ずかしい気持ちでいっぱいです。被害を認めながら、謝罪しないなんて納得できない」と鈴木さん。
 「義務教育の間、慰安婦のことなど教えられませんでした。日本がやった事実を子どもに教えないで、二度と戦争をしないといっても、アジアの人には信用さ れない。私たちも友人に伝えることから始めます」と大野さん。二人は郭さんの温かい小さな手をしっかり握りました。
文・西原博子記者/写真・酒井猛

いつでも元気 2005.5 No.163

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