MIN-IRENトピックス

2019年1月9日

まちのチカラ・沖縄県読谷村 
命(ぬち)どぅ宝 来て見て感じて

文・写真 牧野佳奈子(フォトライター)

読谷村の残波岬(一般社団法人読谷村観光協会提供)

読谷村の残波岬(一般社団法人読谷村観光協会提供)

 那覇から車で北に向かうこと約1時間、今も沖縄の原風景が残る読谷村は日本一人口が多い村です。
 県中部で平和学習ができる場として修学旅行先としての人気も高まっています。
 ざわわとサトウキビの揺れる村へたくましく生きる“うちなーんちゅ”たちに会いに行きました。

世界遺産座喜味城跡

 最初に訪れたのは、琉球王国が栄えていた15世紀初頭に、築城の名人と呼ばれていた読谷山按司護佐丸によって築かれた座喜味城跡。2000年に首里城などとともに世界遺産に登録されました。
 ちょうど琉球衣装に身を包んだカップルがいたので声をかけてみると、座喜味城跡は結婚式の撮影スポットとしても人気の場所なのだとか。重厚でありながら美しい曲線美が特徴の城壁に囲まれて、華やかな色の琉球衣装が一層際立って見えました。
 城壁の上に登ると、読谷村のほぼ全域を見渡すことができます。戦中は日本軍の高射砲陣地として、戦後は米軍レーダー基地として利用されていた座喜味城跡。今は読谷を吹き抜ける優しい風がそよいでいます。

集団自決が行われたチビチリガマには、県内外から多くの人が慰霊に訪れる。奉納された野仏(右)

集団自決が行われたチビチリガマには、県内外から多くの人が慰霊に訪れる。奉納された野仏(右)

ガジュマルの樹の下で

 読谷村の平和学習といえば、チビチリガマとシムクガマが有名。沖縄戦で米軍が最初に沖縄本島に上陸したのが読谷村の渡具知海岸でした(1945年4月1日)。その翌日、チビチリガマの中に避難した住民約140人のうち83人が集団自決した凄惨な歴史が残る洞窟です。
 一昨年9月に沖縄県内の少年4人によってガマ内部の遺品等が荒らされ、遺族をはじめ多くの人が衝撃を受けました。4人は遺族らに謝罪し、地元在住の彫刻家に指導を受けて12体の白い野仏を制作。現在、木漏れ日が差し込むガマ入り口の広場に建立されています。
 シムクガマは、チビチリガマから約600m南東にある洞窟で、集団自決が起きることなく約1000人の村民が助かりました。米兵から「出てこい」と呼びかけられた際、以前ハワイに住んだことのある男性2人が住民をなだめて落ち着かせ、自ら米兵と対話した後に住民全員を投降へ導いたといわれています。
 結局、住民の生死を分けたのは何だったのか。元ハワイ移民の2人が持っていたものは英語力だけでなく、幅広い知見や国際感覚だったのではないか…。悶々と考えながらシムクガマを後にして歩いていると、大きなガジュマルの樹の下に地元の“おばぁ”(おばあさん)が集まり、談笑していました。聞けば毎日欠かさずここに集まり、ゆんたく(おしゃべり)しているとのこと。
 「皆さんで昔話をする時もありますか?」と尋ねると、「若い頃はよくアメリカ人の服を洗濯したよ。みんな優しかった」「私を雇っていたアメリカ人は、私に結婚のお祝いを持って家まで来てくれたよ。これからベトナム戦争に行くって言ってたね」など、明るい調子で思い出話が飛び交いビックリ。
 「言葉はわかりましたか?」と聞けば「ジェスチャーさぁ!」と笑って返され、さらにビックリ。最後に、「でも今が一番幸せな時代だよ」としみじみ頷き合うおばぁたちの姿に、激動の沖縄を生き抜いてきた女性たちのたくましい生命力を見た気がしました。

シムクガマから歩いてすぐのガジュマルの樹の下で“ゆんたく”するおばぁたち

シムクガマから歩いてすぐのガジュマルの樹の下で“ゆんたく”するおばぁたち

3時のおやつはポーポー

 ゆんたくのお供には、伝統菓子「ポーポー」が欠かせません。小麦粉を水で溶いてクレープのように平たく焼き、油味噌や餡などを塗ってくるくると巻いたもの。読谷村の楚辺地区に伝わる「楚辺ポーポー」が元祖といわれています。楚辺では各家庭に専用フライパンがあり、代々受け継がれているのだとか。
 読谷村地域振興センター内にある「ゆんたまーさむん小路」に、美味しいポーポーの店「ひととき」があると聞き訪ねてみました。運営する儀間真智子さんが迎えてくれ、「サンジジャー(3時のおやつ)には、農作業のおじぃたちがサーターアンダギーとポーポーを食べるのが定番なんですよ」とにっこり。
 儀間さんは昔、大阪のホットケーキ専門店で働いていたため生地を焼くのはプロの手際です。それでも「シンプルだからこそ難しい」と儀間さん。楚辺ポーポーは家庭ごとに秘伝のレシピがあり、隠し味にヤクルトやソーダを入れる人もいるそうです。
 「ひととき」のポーポーは肉厚で甘さ控えめ。かつ黒糖の香りがふわっと口いっぱいに広がり、どこか懐かしさを感じるあたたかい味わいでした。子どもから大人まで、世代を超えて愛されている楚辺ポーポーを皆さんも是非ご賞味ください。

楚辺ポーポーに焼印を入れる儀間さん

楚辺ポーポーに焼印を入れる儀間さん

大型定置網漁で海人体験

 村の西側は東シナ海に面し、残波岬まで総延長14km海岸線には天然のビーチが続いています。歴代の村長が埋め立ても護岸工事もしなかったことが、今では村の大きな財産に。
 都屋漁港の沿岸には珊瑚礁に囲まれたイノー(水深が浅い部分)があり、県内最大の定置網が設置されています。長さ360m、幅60mという巨大な網には、時にはジンベエザメも迷い込んでくるほど。
 毎朝7時に出航する船で観光客も定置網漁を体験できるというので、乗船させてもらいました。15分ほどで定置網の設置場所に着くと、約10人の漁師たちが息を合わせて網をたぐり寄せます。次第に鮮やかな緑やシルバーの魚影が浮かび上がり、水面を跳ねると一気に別の網ですくって船の中へ。この日はウミガメも2頭かかり、定置網から離れた海域で逃がしていました。
 10時から競りの様子を見学し、競りが終わる頃には隣接する鮮魚直売店がオープン。鮮魚を買い求めるもよし、2階に併設された飲食スペースで改めて食事をするもよし、まさに魚三昧な1日を過ごすことができます。

定置網漁の見学と体験は、夏場は予約でいっぱいになるほど人気

定置網漁の見学と体験は、夏場は予約でいっぱいになるほど人気

都屋漁港では競りの様子も見学できる

都屋漁港では競りの様子も見学できる

琉球古典音楽から伝統工芸まで

 読谷村の誇りはまだまだあります。たとえば、沖縄には欠かせない琉球音楽の始祖・赤犬子は読谷村で誕生したと言い伝えられています。村内にある赤犬子宮では毎年3月4日の「三線の日」に琉球古典音楽が奉納されるほか、秋の読谷まつりでも200人を超える村民が演奏や踊りを通して心を1つにします。
 また19の陶芸工房が集まっている「やちむんの里」も、村を代表する観光スポット。かつて米軍の不発弾処理場だった土地に文化村構想を掲げ、今では若手の陶芸作家が全国各地から修業に訪れるメッカ的な存在になりました。毎年開かれる陶芸市も多くの観光客で賑わいます。
 何度訪れても新しい魅力に出会える読谷村で、時を忘れてゆったり過ごしてみてはいかがでしょうか。

三線の日(3月4日)に赤犬子宮で奉納される琉球古典音楽と舞い(一般社団法人読谷村観光協会提供)

三線の日(3月4日)に赤犬子宮で奉納される琉球古典音楽と舞い(一般社団法人読谷村観光協会提供)

19の工房が集まっている「やちむんの里」

19の工房が集まっている「やちむんの里」

■次回は和歌山県串本町です。


まちのデータ

人口
4万1428人(2018年11月末現在)
おすすめの特産品
サトウキビ、紅芋、花卉、
やちむん(沖縄陶器)
アクセス
那覇空港から車で約60分
連絡先
(一般社団法人)読谷村観光協会
098-958-6494

いつでも元気 2019.1 No.327

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