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2019年4月2日

世界の子どもたち 
シリア あの子どもたちは今…

安田菜津紀

いつも滞在していた集落で「お帰りなさい!」と出迎えてくれた子どもたち(2009年、シリアの首都ダマスカスの郊外)

いつも滞在していた集落で「お帰りなさい!」と出迎えてくれた子どもたち(2009年、シリアの首都ダマスカスの郊外)

 皆さんはシリアと聞いて、何を思い浮かべますか? ニュースから流れてくるのは、爆撃や乾いた大地を逃げまどう人々の映像ばかり。でも、2009年まで私が取材で訪れていたシリアには、日々穏やかな時間が流れていました。
 アラブ諸国で最も北に位置するシリアは、日本の面積の半分ほどの小さな国です。古くから商人の交易で栄え、首都ダマスカスは世界最古の都市のひとつに数えられています。建物の多くが世界遺産に登録され、世界中から遺跡を見ようと観光客が集まっていました。
 ダマスカスの旧市街地に広がるスーク(市場)の小路の両側には、色とりどりの服や名産の石けん、香ばしいパンやケバブを売る店が所狭しと軒を連ねていました。ダマスカスを一望できるカシオン山は、美しい夕日や夜景を見ようとやって来る家族連れでにぎわっていました。
 風景の美しさだけではありません。道端で遊ぶ少年、少女が「ようこそ!」と人懐っこく駆け寄ってきてくれました。子どもたちのお父さん、お母さんも「よかったらお茶でも」と軒先で声をかけてくれます。温かな輪があっという間に広がり、毎日のように誰かの家へ食事に呼ばれていました。

カシオン山から見下ろしたダマスカスの街

カシオン山から見下ろしたダマスカスの街

画像

半数が避難民に

 当時は隣国のイラクの情勢が安定せず、シリアはイラクから避難してくる人々を受け入れる側の国でした。首都周辺には厳しい生活ながらアパートに身を寄せ、帰ることができる日を待つイラク人家族の姿がありました。
 そんなシリアでも不穏な影を感じることが。政治的な話はタブーとされ、たとえ外国語の会話であっても政権を批判するような言葉に人々は敏感でした。そして2011年3月、長くこの国を支配してきたアサド政権に対し、自由を求めるデモが起きて内戦が勃発。やがて泥沼の戦闘と化していくことになります。
 今、国内外で避難生活を送っているシリア人は1100万人に達するともいわれています。元の人口が約2200万人だったことを考えると、どれほど熾烈な状況下で家を追われてきたかが分かります。
 国外に逃れた人々のうち、半数以上が子どもたち。彼ら、彼女らは教育の機会を奪われ、ときには児童労働や臓器売買の危険にさらされながら暮らしています。
 シリアだけでなく、世界中で子どもたちが安心して暮らせるように。そんな願いを込めて連載を始めます。


安田菜津紀(やすだ・なつき)
フォトジャーナリスト。1987年、神奈川県生まれ。上智大卒。東南アジア、中東、アフリカなどで貧困や難民問題などを取材。サンデーモーニング(TBS系)コメンテーター。著書・共著に『写真で伝える仕事~世界の子どもたちと向き合って』(日本写真企画)『しあわせの牛乳』(ポプラ社)など

 

いつでも元気 2019.4 No.330

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