いつでも元気

2007年12月1日

「軍の命令だ」と兄はいって3人のわが子を手にかけ“自決”した 沖縄

写真家・森住 卓

「真実は曲げられない」と語り始めた宮平春子さん

 「日本軍の命令がなければ絶対、死ななかった」「米軍に捕まるより自決しなさいといわれて、手榴弾を渡された」…
 文部科学省の検定意見で、沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」について日本軍の関与・強制が高校歴史教科書から削除されたことに抗議し、一一万六〇〇〇 人が集まった県民大会(九月二九日)。この日、沖縄中が怒りに燃えました。会場行きのバスに乗りきれなかった人たちが、一日中街にあふれていました。

        

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「玉砕の軍命があった」と語る宮平春子
さん(座間味で)

 なぜ今になって、軍の命令をなかったことにするのか。真実は曲げられない。
 あまりにつらい記憶のため、これまで口を開かなかった人たちが体験を語り始めています。宮平春子さん(82)もその一人。県民集会でメッセージを代読してもらいました。慶良間諸島・座間味島に住んでいます。
 戦前、座間味島は半農半漁の静かな島でした。一九四四年九月、日本軍は慶良間諸島の座間味島、慶留間島などを、特攻艇の秘密基地にしました。座間味島に 上陸した日本軍はおよそ一四〇〇人。村人は特攻艇を隠す壕掘りや食糧確保に動員され、女性も軍の経理や炊事、看護などの軍属として働いていました。
 住民は否応なく軍の秘密も知ることとなり、他の島にいくにも許可が必要、自由な移動もできなくなりました。
 一九四五年三月二三日、米軍の空襲で島の建物はほとんどが破壊炎上しました。海は米艦船で埋め尽くされ、島々は完全包囲されました。二四日も空襲が続 き、二五日には艦砲射撃も始まりました。住民たちは小さな島で逃げ場を失い、避難壕を転々としていました。 
 住民には、日本兵から手榴弾が配られていました。「鬼畜」のアメリカに捕まったら「男は八つ裂きにされ、女は強姦されて殺される」だから捕まる前に潔く「自決しなさい」と。
 米軍上陸の前夜、「三月二五日、忠魂碑前に集合」という命令が出ました。忠魂碑は、毎月八日の大詔奉戴日に戦意高揚の儀式がおこなわれていた特別の場所 でした。いよいよ最期の時がきた。住民は子どもたちに晴れ着を着せ、大切にとっておいた白米を炊き、食べさせました。

産業組合壕で67人が「自決」

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「集団自決」検定撤回を求め、宮古、八重山の大会とあ
わせて11万6000人が集まった(宜野湾市海浜公園)

 春子さん(当時19歳)も、家族と親族三〇人で壕を転々と逃げ回り、二五日が暮れたころ、産業組合壕の近くに掘っておいた宮里家の壕にたどり着きました。そこに村の助役で兵事主任兼防衛隊長だった兄・宮里盛秀(当時33歳)が戻ってきました。
 兄は思い詰めたようすで、憔悴しきっていました。父・盛永のそばに来ると「米軍の上陸は免れない。軍の命令で玉砕することになっているから、一緒に死の う」というのを春子さんはハッキリ聞いていました。「いや、私死にたくない」と思いましたが、口に出せませんでした。
 兄の盛秀は「迷惑ばっかりかけ親不孝でしたが、あの世で孝行を尽くします」といい、父と別れの水杯をしました。盛秀には七歳を頭に四人の子どもがいまし た。盛秀は大粒の涙をこぼし「ここまで育てたのに悔しい。自分が手にかけるなんて。ゴメンね。お父さんも一緒だからね」と、子どもたちをぐっと抱きしめま した。兄の嗚咽が暗い壕に広がりました。最後の握り飯をほおばっていた子どもたちは、目を白黒させていました。
 忠魂碑に向かった一家は、忠魂碑から引き返してくる住民から「照明弾が落ち、忠魂碑にはもう誰もいない」と知らされます。産業組合壕で自決しようと戻っ てみると、産業組合壕はすでにいっぱいで三〇人の親族全員が入ることはできず、兄夫妻と三人の子だけが入りました。
 壕に入れなかった春子さんたちは、宮里家の壕に戻りました。これが兄との最後の別れとなりました。この夜、産業組合壕では村長、助役、収入役など一五家族・六七人が「集団自決」。うち二六人は小学生以下でした。
 春子さんたちは死にきれず、数カ月にわたって逃げ回り、米軍に降伏しました。
 「この話をすると目の前に(あのときの)子どもたちの姿が現れて、自分も胸がいっぱいになってしまうのです。かわいい子どもを手にかけたときにはどんな 思いであれした(殺した)のかねと思うと涙が出ますよ」と声を詰まらせました。
 春子さんはこの体験を他人に話すことはありませんでした。兄の盛秀が「自決の命令を出した」という人もいましたが、反論もしませんでした。あまりにもつらい記憶がよみがえってくるからです。

兄をだまして証文に判を

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座間味集落の外れにある忠魂碑。1945年3月25日、
住民はここに集合せよと命令を受けた

 その春子さんが口を開いたのには、理由があります。
 文科省の検定意見は、座間味島の戦隊長であった梅澤裕元少佐らが「軍命はなかった」として裁判をおこしていることをあげ、書き換えを指示しています。
 しかし事実はどうだったか。
 梅澤元少佐は、米軍上陸後、次々と突撃命令を出し、多くの将兵を死に追いやり、米軍に軍事機密を知られてはならないと、住民をスパイ容疑で虐殺し、自決へと追い込んだ責任者です。
 梅澤自身は、朝鮮人慰安婦を連れて壕を転々と逃げ回り、四月一〇日、各隊に独自行動を命令。部隊を事実上、解散してしまいました。本人は自決もせず生き 延び、米軍に捕まったときも朝鮮人慰安婦といっしょでした。住民から石を投げられ、米軍に保護されながらトラックに乗せられ連行されたのです。
 その梅澤元少佐が一九八七年、座間味を訪れました。「軍命はなかった。住民は自発的に集団自決した」という証文をとるためでした。
 彼は、元助役で兵事主任だった宮里盛秀さんの弟の幸延さん、つまり春子さんのすぐ上の兄と会い、「一筆書いてほしい」と頼みます。幸延さんは拒みまし た。そもそも当時、幸延さんは徴兵で福岡におり、座間味にはいなかったのです。ところがその夜…。以下、『母の遺したもの』(宮城晴美著、高文研)を引用 します。
 「M・Y氏(宮村幸延氏=森住注)の元戦友という、福岡県出身の二人の男性が、慰霊祭の写真を撮りに来たついでにと、泡盛を持参してM・Y氏を訪ねて来 た。戦友とはいっても所属が異なるため、それほど親しい関係ではないし、またなぜ、この二人が座間味の慰霊祭を撮影するのか疑問に思いながらも、はるばる 遠いところから来てくれたと、M・Y氏は招き入れた。何時間飲み続けたか、M・Y氏が泥酔しているところに梅澤氏が紙を一枚持ってやってきた。家人の話で は朝七時頃になっていたという。『決して迷惑はかけないから』と、三たび押印を頼んだ。上機嫌でもあったM・Y氏は、実印を取り出し、今度は押印したので ある」

無念の死を無駄にできない

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県民集会に、平和の火をリレーし1.8km走ってから参加
した豊見城高校野球部員たち

 その二一日後、神戸新聞に「座間味の集団自決に梅澤氏の命令はなかった」という記事が掲載され ました。さらに二〇〇五年、梅澤元少佐と渡嘉敷島の戦隊長だった元大尉の遺族が、名誉毀損されたとして『沖縄ノート』の出版元岩波書店と著者大江健三郎氏 を相手取り、裁判をおこしたのです。その証拠として幸延さんに判を押させた文書が提出されました。
 梅澤元少佐は幸延さんを二重三重に貶めたのです。この事実を知らされ、さらに、ことし文部科学省の検定で「沖縄戦の集団自決(強制集団死)」から「軍命」が削除されると知った春子さんは、もう、怒り心頭でした。
 「あのとき長兄は、『軍の命令だ』とハッキリいっていた。兄がいった真実を曲げられたら、また悲惨な戦争が繰り返される。兄の無念の死を、無駄にさせて はいけない。下の兄を酔わせたうえだまして判を押させ、それを証拠にするなんて汚い。絶対に許せないよ」

沖縄の声は「検定意見撤回せよ」

 県民大会の会場は、足の踏み場もないほどびっしり埋まっていました。「島ぐるみ」という言葉を実感しました。
 ステージ前に陣取っていた豊見城高校野球部は、平和の火をリレーし豊見城市役所から一・八キロ走って、会場に駆けつけました。「オジー、オバーたちが戦 争を生き抜いてきたから、僕たちが生まれた。その体験が曲げられるのは許せない」と部員たち。県民大会では、検定意見の撤回要求が決議されました。
 沖縄県民の怒りの大きさに驚き、福田首相は「沖縄県民の声を重く受け止める」と述べました。歴史の真実を伝えること。検定意見を撤回し、「軍命」の記述を復活せよ。これが沖縄の声です。


今回の検定について、歴史教育協議会委員長の石山久男さんは「文科省は右翼と一体となって計画的に準備しおこなった」と指摘する。
 05年5月、自由主義史観研究会が沖縄プロジェクトを立ち上げ、8月に梅澤元少佐らが提訴。検定ではその陳述書が根拠となった。
 さらに検定意見書は、専門家からの意見もなしに文科省の4人の調査官が作ったことがわかった(衆院予算委員会での赤嶺政賢議員の質問=10月11日)。 4人の調査官のうち2人は「新しい歴史教科書」(扶桑社)を監修した伊藤隆東大名誉教授の門下生であった。意見書を決裁した最高責任者・銭谷真美初等中等 教育局長(当時)は、安倍前政権で教育基本法改悪を主導した人物である。
 「政府は検定意見撤回を拒否し続けています。間違った検定意見は、全国民の力で撤回させるしかありません」(石山さん)

いつでも元気 2007.12 No.194

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