民医連新聞

2024年3月5日

今日のおふろは日本一 絶対忘れん! 能登半島地震 輪島診療所ら被災地に全国から支援

 元日に起きた能登半島地震。輪島診療所と輪島菜の花薬局のある輪島市内は、いまだに断水が続いています。自衛隊などによる給水はあるものの、被災者は不便な生活を強いられています。2月7~8日、輪島診療所を取材しました。(文‥『いつでも元気』編集部 武田力記者)

利用者宅で被災

 「激しい揺れのなか、利用者といっしょに毛布をかぶって、必死に身を寄せ合いました」。地震当日の様子を話すのは、輪島診療所に併設する小多機「さくらの里」の平床美雪さん(ケアマネ)。寝たきりのAさん(80代女性)のおむつ交換と食事介助を終えたところに、震度7の揺れが襲いました。古い木造家屋がミシミシと音を立て、襖(ふすま)が倒れて窓ガラスが砕け散りました。長い揺れが収まり、壊れた窓から外へ出ると、近所の人たちが津波に備えて慌ただしく避難を始めていました。
 「周りに助けを求めたのですが、みなさん自分や家族が避難するのに精いっぱいで…。ようやく40代くらいの男性が、私の声に足を止めてくれました」と平床さん。男性と協力して緊張で硬直したAさんを抱え、車いすに乗せました。倒壊した家屋に道をふさがれ、隆起してデコボコになった道につまずきながら、避難所へ急ぎました。
 Aさんの家族と連絡がとれたのは、その日の深夜。避難所で眠れない夜を過ごしていたAさんが、少しだけ安堵(あんど)した表情を見せました。その後、平床さんは避難所に居合わせた職場の同僚と協力して、4日朝までAさんに付き添いました。市内に住む自身の両親のことも気がかりでしたが、「目の前の利用者を守るのに必死で、無我夢中でした」と語ります。Aさんは4日に診療を再開した輪島診療所へ運ばれ、後日、城北病院へ入院しました。

涙を流す患者

 発災から1カ月以上たっても断水が続く輪島市。輪島診療所と輪島菜の花薬局の職員は、自らも被災しながら医療・介護活動を続けています。診療所に泊まったり、避難所から通う職員もいます。
 被災直後は、患者からの薬の問い合わせが殺到。道路や橋が壊れたなかで、遠くの避難所まで薬を配達して喜ばれました。避難所での集団生活による感染症や風邪症状の受診も多くありました。
 現在はかかりつけの患者が少しずつ戻っていますが、市の中心部で建物の3割が全壊という被害のなか、すぐに元の状態には戻りません。外来の問診では、家の被災状況や避難先を聴き取ります。診察室で医師の顔を見て、「何にもなくなりました」と涙を流す患者もいます。
 「被災者のみなさんにとって、先が見えないのがとてもつらい」と話すのは、輪島診療所の副所長の生方(うぶかた)彰さん。「家や生業(なりわい)を再建できるような支援を早急に具体化してほしい」と国・自治体に求めます。
 一方で介護職員と看護師たちは、利用者の入浴支援に奮闘。避難所には自衛隊の入浴施設が入っていますが、介護が必要な利用者は使えず、1カ月近くお風呂に入れていませんでした。
 自衛隊と交渉して、入浴支援のための時間枠を確保。通所介護「さくらの木」管理者の鈴木祐子さんは「入浴前と後で利用者さんの表情が全然違って、少しの時間でもリラックスしてもらえた」と笑顔を見せます。後日、90代の利用者から「今日のおふろは日本一だ…絶対忘れん」とのお手紙が届きました。

地域とともに

 被災地の職員をささえようと、全日本民医連は医師や看護師、薬剤師、心理職などを現地に派遣。支援に入った看護師の齋藤透さん(青森・藤代健生病院)は、「診療所と地域とのつながりの深さが伝わってきた。復興には時間がかかるかもしれないが、息長く支援していきたい」と語ります。
 公認心理師の宮﨑絵美さん(青森・健生クリニック)と蛯名愛美さん(青森・生協さくら病院)は、職員のメンタルケアにとりくみました。「みなさんが大変な思いで仕事しているなかで、自分に何ができるのかと考えた」と宮﨑さん。「話すなかで笑顔が見られたりすると、その人がもつ強さを感じ、驚かされました」と蛯名さんは話します。
 輪島診療所事務長の上濱幸子さんは「被災した者同士では遠慮して言えないこともある。全国からの激励と支援に加えて、心理職に気持ちや要求を聞いてもらえるのが本当にありがたい」と感謝します。所長の山本悟さんは「市民のみなさんともつらさを共有しながら、ひきつづき地域の役に立てるようにがんばりたい」と前を向きます。

(民医連新聞 第1801号 2024年3月4日号)

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