いつでも元気

2009年10月1日

特集2 脳科学とともに発展 脳梗塞のリハビリ

神経のネットワークを再構築

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太田昭生
山梨・石和共立病院
リハビリテーション科

 野球の長嶋茂雄元監督、サッカーのオシム元監督、タレントの坂上二郎さん。いずれも脳梗塞で倒れた有名人です。
 脳梗塞は脳卒中という病気の仲間です。卒中とは「突然当たる」という意味で、現役で活躍中の人も突然襲われるため、その社会的損失は計り知れません。運 よく命は助かっても運動まひや失語症(言葉がうまく理解できない)、嚥下障害(食べ物や飲み物の飲み込みがうまくいかない)、慢性疼痛(うずくような痛 み)などが残ることが多く、日常生活上の制約や苦痛は大きなものがあります。

血管が詰まって

 脳は神経細胞と、それを支える膠細胞(膠=にかわ。のりのこと)、これらに栄養を供給する血管からできています(図1)。
 神経細胞は脳の主役です。私たちはたくさんの神経細胞がつくっているネットワークを使って考えたり、感じたり、体を動かしたり、記憶したりできるわけで す。膠細胞は神経細胞がばらばらにならないようにくっつけたり、血管の中に紛れ込んだ毒素が神経細胞に触れないようにフィルターの役割をはたしたりしま す。
 脳梗塞はこれらの重要な細胞に栄養や酸素を送る血管が詰まって起きる病気です。鉄でできた水道管を想像してください。古くなると赤さびで内側が狭くなっ て、水の流れが悪くなりますね。血管の場合、動脈硬化で血管の壁が分厚くなって通り道が狭くなり、血液が十分に送れない状態です。この血管から栄養を受け ていた細胞は血液が足りなくなり、栄養不足に陥ります。
 困ったことに脳には栄養を蓄えるはたらきがありません。動脈硬化がひどくなって血管が詰まれば、その血管から栄養を受け取っていた細胞はすぐに回復不可 能なダメージを負い、数分間で死んでしまいます。これが脳梗塞です。栄養と酸素を供給する血管の病気というわけです。
 ただ、脳の各部分は中心となる一本の血管だけでなく、周囲の血管からも多少の栄養を受けとっています。血管が詰まった程度と、周囲の血管から受けとって いる血液(栄養)の量にもよりますが、約3時間のうちに血流を再開させれば細胞の一部を救うことができ、障害を最小限におさえることができます。
 脳梗塞を起こしやすいのは、動脈硬化を促進する病気にかかっている人たちです。高血圧、糖尿病、高脂血症や、心臓内に血液がよどみやすい心房細動、弁膜症などの心臓の病気などがこれにあたります。
 喫煙、肥満も動脈硬化をすすめます。予防にはこれらの病気の治療と禁煙、減量が重要です。

図1 脳のしくみと動脈硬化
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イラスト・いわまみどり

 

脳梗塞の初期症状

 以上に述べた条件に当てはまる人やその家族は、脳梗塞の時にはどのような症状が起きるのか、どこの病院が脳梗塞の救急治療に熱心か、知っておくとよいでしょう。
 どのような初期症状があるか、例をあげてみましょう。
 ▽手に持っていた箸や茶碗を突然落とす、なんでもないところで転ぶ(転ぶと、脚や腰、腕などぶつけたところに目が行きがちですので要注意)、口の隅から食べ物をこぼすなど、半身の運動まひ。
 ▽ろれつがまわらなくなる。
 ▽ものが二重に見える、左右のどちらかの目が見えにくい、視野が一部見えなくなるなどの視野の障害。
 ▽筋力はあるのに目標物までスムーズに手を伸ばせない、ものを握る力が加減できない、脚は動くのにふらついて転ぶなど、体のコントロールが思い通りにならない失調症状。
 ▽体をつねっても痛くない、体の一部がしびれる、自分の体が自分のものでないように感じる、歩いていて片側の肩をぶつけてしまうなどの感覚障害。
 ▽いつも使っている道具の名前が出てこない、ラジオを聴いていて突然話の内容が理解できなくなった、よく知っている場所で迷子になるなど。
 脳梗塞の治療は時間との勝負です。症状が現れたら「そのうちによくなるかも」とようすを見ていないで速やかに受診しましょう。

発症後3時間以内なら

 2005年、tPAという薬を使って血管の詰まった部分(血栓)を溶かして血流を再開させる治療が、ついに日本でも認可されました。ただし脳細胞が完全に死んでしまってからでは効果がありません。効果があるのは発症後3時間までです。
 しかし実際に発症後3時間以内にこの治療を開始するのはなかなかたいへんです。まず受診してもらい、脳梗塞と診断し、治療の説明をして、薬の投与を開始 しなければなりません。しかもtPAは血栓を強力に溶かす薬ですから、出血を引き起こす可能性もあります。脳出血を引き起こす可能性なども医師は検討しな ければなりません。こうした理由から、この治療の恩恵にあずかれるのは、全脳梗塞患者の約2%しかいないと考えられています。
 しかしこの薬が適応されない場合でも治療法はあります。脳梗塞による細胞死の拡大を防ぐために血液が固まるのを防ぐ抗血小板療法や抗凝固療法、血行障害 でむくんだ脳が圧迫されるのをやわらげる減圧療法、障害をうけた細胞から出る有毒な活性酸素を除去する治療法などです。
 いずれにしても早く病院へ行ったほうがよいことには変わりありません。また、私が専門にするリハビリテーションという治療法もあります。

古い神経経路を使って

 脳梗塞のリハビリテーションが発展しています。その背景には、最近の脳科学の進歩があります。
 たとえば、右半身を動かす運動神経は左脳から始まり、延髄で交差して右側へ伸びています。ところが今までも右脳から始まって右半身を動かす「非交差性の神経」があることが知られていました(図2)。
 小児期までは交差性・非交差性の両方の神経が活動しているのですが、成長にともなって左脳が右脳の経路を抑制するようになり、やがてこの非交差性の神経 はほとんど使われなくなります。したがって左脳が梗塞を起こして機能しなくなれば右脳に対する抑制も弱くなるため、小児期に使っていた古い経路を再利用で きる可能性が出てきます。
 また、脳の一部に梗塞を起こしたときには、損傷部分の周囲にある神経細胞が損傷部分の役割を肩代わりすることも証明されてきました。
 たとえば脳内で、手のある一本の指を担当する神経細胞が損傷を受けると、隣の指を担当する神経細胞が役割を肩がわりすることが、動物実験や画像診断技術の向上で確認されたのです。
 このように脳梗塞のリハビリテーションは、残った脳の部分を使って神経の経路を再構築する治療と考えることもできます。
 脳のあらゆる部分に運動の情報を伝えて刺激し、経路を構築していきます。健常者ならほとんど脳が活性化しないような習慣化された運動でも、脳梗塞患者の 場合、脳の広い範囲が活性化することが証明されています。脳はいわゆる「頭を使った」状態になり、大量の酸素と糖分を消費し、新たな神経経路を探していく わけです。

図2 交差性の神経と非交差性の神経
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廃用症候群の予防と栄養

表 4000歩に相当するトレーニング(例)
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 もうひとつ、廃用症候群のとらえ方の変化があります。廃用症候群とは脳梗塞患者などが体を動かさなくなることで筋力や臓器が衰えたり、抑うつ状態になったりすることです。
 人間は一日中寝て過ごしていると1日に筋力の1~2%を失うといわれています。これは1週間寝たままでいると筋力が約10%減少することを意味します。 健康な若者なら10%低下しても問題ないかもしれませんが、高齢者の筋力が10%低下すれば、起き上がりや起立はもちろん、歩行さえ不可能になる場合が少 なくありません。
 つまり脳梗塞患者の場合、死んだ神経細胞を肩代わりする新しい神経のネットワークができても、神経からの指令を受けて動く筋肉が役に立たなくなるわけです。
 筋力を維持するには1日1万歩相当の運動をこなさなければなりませんが、4000歩以下では明らかなまひや病気がなくても筋力が減少したという報告があります。機能を維持するには、できるだけ早い時期から4000歩相当の運動を開始しなければならないということです()。そうしないと回復する筋力よりも失う筋力の方が大きく、治療期間が長くなるほど運動能力は低下するという皮肉な結果になりかねません。
 さらに医療界において、栄養に対する意識が向上してきたことがあります。リハビリテーションは体をつくる治療ですから、血や肉になる栄養を必要なだけ摂 取しなければなりません。栄養が十分でないのに運動すれば、自分の筋肉や脂肪を消費してエネルギーに変えるため、やせ衰えていくことになります。運動負荷 と栄養摂取は治療の両輪で、どんな病気の治療でも重要です。

今後期待されるリハビリは

 以上の観点から、これからのリハビリテーション治療に期待されることに、次のようなものがあると思います。
 第一に、胴体や下肢の筋力低下を最小限に抑えることです。発症後、できる限り早く背もたれのない座位(座った状態)や起立のような、重力に抵抗して体を起こしている姿勢をとるようにします。さらにまひした腕や手の筋肉を電気的に刺激し、筋の収縮を促します。
 また、早くから口や胃管から胃腸へ食物を入れ、腸が衰えて萎縮してしまうのを防ぎます。食物の摂取が不十分なら首の付け根あたりから心臓の近くにある太い静脈(中心静脈)まで管を通し、直接血管へ栄養を補給します。
 治療の見通しを立て、今後どう生活していくのか配慮しながら、早期から訓練プログラムに従って治療に立ち向かいます。寝たきりのまま回復や生活の不安をかかえてうつうつと過ごす時間を短くすることが必要です。
 第二に、脳が新しい神経の経路を再構築するためには、十分な量と強度の運動を繰り返すことが必要です。全身の重さや大きさ、動きの情報を脳へ確実に伝えて刺激する運動を考えます。
 手足をリズミカルに大きく使った体操は良い効果をもたらす可能性があります。平らなところをゆっくり歩くだけでなく、坂道や階段、でこぼこ道などで地面の変化を足の裏で感じて体をまっすぐに保ちながら歩くことも有効と考えられます。
 第三に、実際に生活で必要になる動作や本物の道具を利用した練習をおこなうことです。実際の動作を正確におこなってこそ本当に必要な脳のネットワークが できあがると考えるからです。何に役立つのかわからない動作をおこなうより、はるかにやる気が出ます。スプーンや箸、ハサミ、いろいろな形の洗濯バサミ、 キーボードなど、まひの回復度に応じて多少困難を感じる程度の運動を段階的におこなっていきます。
 第四に、体を動かしたり考えたりしたくなる環境と日課のなかで生活します。練習した動作を病棟での実生活で使い、上手にできたという「成功体験」を繰り 返します。日にちや場所の感覚を保つようにカレンダーや時計、病院の名前を書いた物を目に付くところに置き、1日の日課、1週間のリズムを大切にします。
 当院の朝は入院患者みんなで集まって体操することから始まります。1週間の終わりの夕食にはアルコール度0%の「ビール」を飲む患者もいます。屋上のナ スとトマトの収穫を日課にしている患者もいます。日曜日も訓練は休まず、休みの日の特徴を活かした訓練をおこなっています。

住みやすいまちとは

 「リハビリテーションは脳梗塞の症状が落ち着いてから温泉地にある病院へ移ってはじめる」とい うように考えられていた時代もありました。しかしいまでは発症直後からリハビリテーションを始め、医療施設が連携してその患者の生活圏で治療を完結させる ことが好ましいとされています。
 私は、脳梗塞という病気を通して「良いまちとはなにか」を考えることがあります。高齢になるほど生活圏は狭くなりますが、その圏内に急性期の診断治療と リハビリテーションが受けられる病院があり、さらに維持期の生活を支援する施設もあるまちは、病気や障害のある人も受け入れる豊かなまちではないかと思い ます。
 脳梗塞のように後遺症や合併症とともに生活している患者にとっては、ちょっとした体調不良でも気軽に相談や入院ができる中小病院の存在が重要です。住み やすいまちをつくりたいという住民運動と脳科学の発展とともに、脳梗塞のリハビリテーションは、大いにさま変わりしていきます。

いつでも元気 2009.10 No.216

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