いつでも元気

2010年1月1日

特集1 「笑って死ねる病院」は、こうしてできた。 柳沢深志さん(石川・城北病院 医師)×中崎清栄さん・辻本昌平さん(テレビ金沢報道制作局 番組制作部) 新春スペシャルトーク

 「終末期患者の『最後の願い』をかなえようという病院があります。…死期が迫っていることを患者に宣告したとき、家族はどんなこ とをし、病院は何をしてあげられるのか? 後期高齢者医療制度の導入や療養病床の削減など、行政に翻弄される病院や患者、家族にとって、この病院は地域の 人たちのための医療のあり方を教えてくれます」こんな風に紹介されたドキュメンタリー番組をご存じですか? 「笑って死ねる病院」です。映像が追う、やさ しく、が力強い医療と患者・家族の表情に涙。そして舞台が民医連病院と知ってまたうれしい。書籍化を機に、番組を制作したテレビ金沢・中崎清栄さんと辻本 昌平さん、番組にも登場した城北病院・柳沢深志医師が語り合いました。

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 2008年6月日本テレビ系で放送。ギャラクシー賞奨励賞、日本民間放送連盟賞 中部北陸地区審査会審査員特別賞、日本放送作家協会中部テレビ大賞準大賞などを受賞。2009年10月にワニブックスから同名の新書で出版。

中崎 「笑って死ねる病院」というタイトルは、NNNドキュメントのプロデューサーが命名しました。取材者としては、こんなタイトルで申し訳なくて。
柳沢 お二人なら、どんなタイトルを?
辻本 赤ひげ…とか。地元で最初に放送した一五分番組は「人情病院」でした。

居酒屋のおかみからの電話で

中崎  はじまりは笹嶋さんです。ご近所の居酒屋さんだったんです。朝六時に奥さんが電話してきて「お父さんね、告知受けて、お姉さんに会わせてもらうの。もうす ぐ敬老の日だから、そんなニュース、やらない?」と。テレビに出ればご主人が亡くなった後も映像で会えると考えたみたい。その場で即答はできず、会社で相 談して、とりあえず撮ろうと。
辻本 中崎さんが「近所の人からきいた話だけど」といって持ってくる、いきあたりばったりの取材は多いんです。この時も「番組になるのか?」と、疑っていました。ましてや病院は撮ったら大変、カメラはまず拒否されるところです。
 それが、主治医の柳沢先生は「どうぞ」。告知場面の撮影まで許されました。
柳沢 奥さんが「店のお客さんにテレビ局の人がいて、お父さんを撮ってくれるというのだけど、いい?」と相談してきて、最初はプライべートビデオだと思ってたもん(笑)。そういえば「テレビ局が来ます」と、職場に説明したかな。 
 そのころはいつもお二人が病棟にいて、融け込んでいました。番組のところどころに入る優しい声は中崎さん。お姉さんに会えた笹嶋さんに「どんな気持ち?」と聞く声なんか、看護師さんみたい。
辻本 そのお姉さんとの再会を撮らせていただいた時は、患者さ んの最後の願いをかなえようという病院の活動を知りませんでした。その後、笹嶋さんの元気が出て、次は行きつけの散髪屋さんに行くことになり、「おでか け」を知りました。救急車や酸素など、医療機器を揃え、スタッフがたくさんついてゆく。「この経費はどこが出す?」と心配になりました。
中崎 人件費、ガソリン代で何万円?って私たち、すぐ計算しちゃう(笑)。
辻本 「費用は患者さんからはとらない」と聞いて「エーッ!」。夜勤あけの看護師さんが「ボランティアよ」と。信じられなかった。
柳沢 城北病院の名前は聞いていても、医療の内容なんて知らないですよね。カメラを回し始めたどの時点で、特集番組にしようと考えたんですか?
中崎 告知の場面を撮り、「おでかけ」が無料と知ったあたりかしら。
辻本 先生がいよいよ危ないという笹嶋さんの手をとって「いい 残すことはないか?」って呼びかける場面なども、他のカメラマンから「こんな近くで撮って」と注意されたくらい、普通はできない取材です。でも、そういう 入り方だったので、医療問題はわからず。笹嶋さんがそれまでいた病院を「出てほしい」といわれて困ったのは、入院三カ月で追い出されるような診療報酬のし くみだから、なんて知らなかったし。「診療報酬て何?」のレベルです。
中崎 今の医療がどうなっているのか、ある程度背景がわからないと番組はつくれない。柳沢先生は、仕事でクタクタなのに私たちに二度、三度、医療制度を講義してくださいました。
辻本 講演会なども行きました。
柳沢 すごく勉強したんだよね。映像には出てないけど、民医連 以外の病院もたくさん取材した。番組をつくるには、まず会社の上層部のOKが出るかどうかもあったそうで。「民医連の医者が語る医療問題なんて偏った意見 を放送することにならないか?」と心配されるわけです。それで、うちの医師委員長の斎藤典才医師が協力して、テレビ局の上の方と医師会役員の意見交換の場 も設けました。その場で医師会の先生が僕らと同じ話をなさった。医療崩壊は民医連だけの指摘でないんだと認識されました。

医療はほんとに危機ですよね
でもなぜ皆さん、やさしいの??

疲れ切った医師がいた

中崎  斎藤先生がいらっしゃらなければ、番組はできませんでした。後日、その医師会の先生が三五時間連続勤務をする取材もして「ちょっとこれはひどすぎるんじゃ ない?」と、ようやくそのあたりから医療の問題が見え始めました。夜遅くまで取材して翌早朝、もう会議を始めておられ「二、三時間休んで、夜また来る」と おっしゃる。見るからに眠そうで疲労困憊。小児科の先生で、そんな状態で子どもの細い腕に注射するのはたいへん。
柳沢 大病院の急性期病棟も取材されましたよね。
中崎 そこもすごかった。急性期病棟なのに急性期の治療は終 わっている患者さんがたくさん入院中で、医師はベッドをまわって「この患者はここにいる必要はない。この人も、この人も…こういう人たちがベッドを塞いで る。出ていってほしい」とおっしゃる。患者さんたち、地域に療養病床の空きがなく、転院先が見つからない人たちなんです。県内で急性期のトップを走る病院 なので、ベッドが空かないと、新しい患者を受けられないのも事実で。
柳沢 あの頃ちょうど「療養病床を減らす」という政府方針が出てましたよね。「こんなにベッドが足りないのになぜ」と思いませんでしたか?
中崎 思いました!
辻本 取材を通じて日本の医療はえらいひどいことになってると実感しました。

「好きやもん」というけれど

中崎 「医療はこんなにたいへんなのに、なぜこんなことができるの?」と、城北の皆さんには何度も質問しました。看護師さんたちの返事は「好きやもん」「伝統やね」と、あっさりしてた。
柳沢 そうだね。
中崎 病院は病気を治す場所だけど、城北病院では「患者さんを まるごと診よう」と考えているのでしょうか。折々の患者の心を察してなんとかしたい、と考える。もちろん医療者は皆そんな思いでこの道に入っていると思う んですが、それが実行できるか、できないかのわかれ目にはきっと「何か」があると思うんです。
柳沢 ちょうど先日「なぜウチはこういうとりくみができるの か」と話し合ったら、「看護師がすごい」という声が出てました。医師は看護師が「この患者さんにこうしたい」といい出した時、「この人は動かすのも危な い、やめとけ」となりがちです。城北病院の医師が他と違うのは、反対せず「いいよ」とこたえる程度。そして看護師は、医師や他の職種も仲間だと思っている から巻き込む。
 また、もしこれで「リハビリ職員がおでかけにボランティアでつきそう一時間二時間で、本当は何万何千点稼げたのに…」なんて計算をはじめたらできませ ん。リハビリは経営的にもガンバレ、と期待されている部署だけど、それでも「行っていいですか?」と職員が聞くと、「いいよ」といえる課長がいるんです よ。
中崎 笹嶋さんの散髪の時、確かにリハの方は時間を気にしておられましたが。そういう訳ですか。それにしても、患者の視点で何かしたいという気持ちはすごい。
 この前も、笹嶋さんの奥さんが「お父さんの服や布団やがたくさん残ってる」といわれるので病院に相談したら、職員さんがきて、軽自動車に積めるだけ積ん でいった。それを、元路上生活者の人たちが暮らすアパートに持って行って喜ばれたと。これも普通の病院では考えられない。
柳沢 全国の民医連では、そんな職員だらけかも(笑)。城北病院以外の職員とも話してみてほしいです。
中崎 柳沢先生にも「なぜ?」と思ってます。本で紹介した ALSの本多さん、難病が発覚して余命一年、といわれ、修羅場もあったけど病院の支えで娘さんの結婚式にも出られた。主治医の柳沢先生は「闘病生活で本多 さんが一番うれしかったのは、結婚式ではなく、毎日お父さんが病院に来てくれたこと、家族の支えなんじゃないか」とふり返られましたよね。グッときまし た。なぜそんなことに気づけるの? 先生は。
柳沢 医師も看護師さんはじめ、周りの職員に学ばされているんです。患者さんの見方を。僕も素直だからゆがまず育ったんですかね、えへへへ。
辻本 えーっ、そんなぁ…。

地域でつくった病院だから

柳沢  じゃ、真面目に話すと、民医連以外の病院の医療関係者も、一生懸命やりたいと考えているんだけど、医療に余裕がない。一方で患者さんは医療費負担が増えた り、医療難民になったりする。医療と患者の間の亀裂はどんどん深まって、それを埋めたいけど難しい。城北病院の場合はその溝がもともと小さかったんだと思 う。それは、番組でも注目してくださった友の会があって、患者会があって、地域と強く結びついているから。
辻本 もともと貧しい人にも医療を、という願いで、地域の人たちが少しずつお金を出して建てた病院ですもんね。
 番組でも紹介した友の会の「病院探検隊」、「ご意見番」みたいな人が、壁の汚れから、トイレの紙の位置まで、重箱の隅をつつくように意見していた。そして病院の上層部と意見交換するでしょう。そんなユニークなチェック機能があることにもびっくりしました。

人間が好き、地域が好き、なんです


どこまでもカメラを回して…

辻本  カメラは管理会議から県連の医師部会の飲み会まで、どこまでも入れていただきました。「退職金を一一%減らす」という説明会や、「医師体制が厳しい、柳沢 先生や斎藤先生が金沢から離れた診療所や病院に異動するかも」なんて場面を撮りながら「ええーっ! 番組はどうなる?」と、動揺したこともありました。
 自分たちが後回しでも、捻出した経費を患者さんに回そうとしていました。象徴的なのがボロボロの院長室。大野健次院長は自転車通勤だし。城北よりずっと小さい病院の理事長室に入ったことがありますが、厚さ何センチもあるフカフカの絨毯の部屋で、秘書もいたのに。
 経費節減で夜勤の医師に支給していたパンをやめ、お腹がへった医師は一〇〇円でレトルトカレーを買う、というエピソードの一部に、最初の原稿では「ご飯 の方は給食の残りを冷凍したもの」という記述もあったんですが、病院側から「貧乏臭すぎる」とカットされました(笑)。
 志があるからこんなことがやれるんですよね。でも「良い医療」は、そういう気持ちなしにはできないんだろう。そのこだわり方は、僕らの働き方と似ていると感じたりもしました。
中崎 そうまでして、自分たちの医療を守ろうという姿勢、伝えたくなりますよ。

柳沢 地方局でがんばっておられるお二人と僕たちに共通していることを見つけた気がしてます。それは「人間が好き」で「地域が好き」という点です。でないと庶民目線で地域に寄り添う姿勢は続かないですよ。
 取材の最初に「この殺伐とした世の中に、心温まる番組を流したい」と、思いを語られたのが印象に残っています。そんなお二人だからつくれた「笑って死ねる病院」だと思う。
辻本 気になる人を地域で見かけて「どうしたの?」って呼びか ける中崎さんの後ろで僕はカメラを回す。そんな「地元のおばさん」目線の番組しか作れません。中崎 いつもモタモタ、わからないことは取材相手に「教え て」のダメなディレクターとカメラマンです。ご協力くださった方が「いい」といってくださる番組を、世に出したいという思いだけはあります。
 そういうご縁がつながって全国放送になり本まで出ることになって感謝です。

本になって

辻本 放送を見た出版社が書籍化のお話をくださったんです。通常は番組を文章にするだけですが、全国販売のチャンスなので、追加取材して、テレビのお二人に加えて四人の患者さんの話を載せました。
中崎 映像は進行中のものしか撮れないのですが、文章なら過去の話も蘇る。
柳沢 私たちも「本になるので、紹介したいエピソードを出そうよ」と、協力しました。それを、関係した職員やご遺族から取材されたんですよね。
中崎 三〇代で亡くなった伊村さんのお話は、お兄さんに来てい ただき、主治医だった斎藤医師や看護師さんも同席で取材しました。お兄さんは、弟さんの死に、胸いっぱいで何もいえずに病院を出たのが実はすごく胸にひっ かかっていたそうで。「病院にやっと御礼がいえた」とおっしゃった。いつもはクールな斎藤先生も目が赤くなっていました。本も「弟の生きた証になる。親戚 中に配る」と、お兄さんは何冊も注文されました。
辻本 「病院に恩返ししたい」という思いは、ご遺族共通です。全員実名で出てくれたのもそのおかげだと思うんです。
中崎 これを読んだ方は「私たち庶民に必要な病院は、こういう姿じゃないか」と考えると思うんです。
 いま取材中の方のご家族が大病院に一カ月入院されたら、差額室料が一〇〇万円超えたそうです。差額をとらない城北病院がある、と教えたかった。病気だけでもたいへんなのに、差額にまで神経をすり減らすなんて、ツラいもの。
柳沢 「差額室料をとらない」というのは、患者にも、地域にも、職員にも、わかりやすいシンボルなんです。だから、差額室料で得るいくらかのお金より、とらないことで患者さんの信頼も地域の信頼も得られるし、何より職員のやりがいや確信になると思っています。
中崎 そうなんですね。院長も「ふだん時間や人手がなくて、なかなか満足にみられない私たちが、患者さんにできる精一杯の活動だ」とおっしゃいました。

堂々と「笑って死ねる病院」で

中崎 いま、仕事帰りに本屋さんまわりをして、本の営業もしています。
辻本 たくさんの方に読んでほしい。前作は三〇分なので、一時間の長編も作りたいんですが、会社は「本が売れたら作っていい」と。目標は一〇万部(笑)。
中崎 全国の民医連からも、本の注文や、「同じような医療をし てる」とか「ここまではできてない」などという感想もいただいています。城北病院に知り合いの看護師さんがいるんですが、金沢は保守的な地域なので、周囲 に「そんな病院、やめれば」っていわれたりもしていたそうです。それがいま、本を見せて「私はこの病院で働いているの」と堂々といえるそうで。一人でも喜 んでくれればいいと思っていたのですが。
柳沢 一人どころじゃないです。この前、他県の民医連の医師が「ありがとう」って。就職してほしい医学生に、この本を渡して「いっしょに働こう」と話したら、民医連に決めてくれたそうですよ。
辻本 うわーっ、そんなうれしい話はないですよ。
中崎 いまになると、「このタイトルで良かった」と思ったりして。
柳沢 ええ、もう病院のホームページの最初が「笑って死ねる病院」です。
 いまテレビ金沢が本のコマーシャルを放送中なので、患者さんがいうんです「先生、テレビみたよ。『楽しく死ねる病院』」(笑)。で、また別の方が「オレ にも売ってくれ、ほら、先生が出てる『喜んで死ねる病院』」だって(爆笑)。最初はギョッとしたタイトルも、もう大丈夫! 笑っていえるようになりまし た。

genki219_02_02ちょっと立ち読み*エピソード
笹嶋吉郎さん・・・
末期ガンで療養中、病院から転院を告げられ、困り果てたガン難民だった。奥さんの通院する城北病院が吉郎さんを引き受けたが、医師の診断は余命1週間。長年会わなかった姉との再会、行きつけの床屋さんでの散髪など、病院は吉郎さんの願いにこたえてゆく。

genki219_02_03ちょっと立ち読み*エピソード
本多典子さん・・・
ALSという筋力を失ってゆく難病を50代で発症。夫と娘2人が自宅介護していたが病状が進み入院に。自力呼吸ができなくなって人工呼吸器をつけるに至る決断、長女の結婚式への出席など、約10年の入院生活を病棟スタッフたちの支えで生き抜いた。

genki219_02_04ちょっと立ち読み*エピソード
城北病院~『笑って死ねる病院』の真実・・・
わずか10ページだが、こ の章があって、おもしろくなっている。城北病院が貧しい人たちのための医療を、と設立された歴史や、貧しい人の医療費を免除し、差額室料をとらないですむ よう、経費節減などの努力も報告されている。また、地域で病院とともに歩む友の会も登場! 利用者の立場で病院をチェックする「病院探検隊」の活動のよう すもレポート。

 いつでも元気 2010.1 No.219

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