いつでも元気

2011年5月1日

緊急レポート 東日本大震災

 二〇一一年三月一一日、午後二時四六分。東北・関東地方をマグニチュード9の大地震が襲いました。死者は一万一五七八人、行方不 明者は一万六四五一人(三月末現在)を超え、未だ全容はつかめていません。全日本民医連は、震災直後に「対策本部」を設置。翌日には、宮城民医連・坂総合 病院(塩竈市)を拠点に全国支援を開始しました。

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津波と火災に襲われた宮城県気仙沼市(3月17日・森住卓撮影)

 一二日、記者も対策本部事務局として、緊急車両で坂総合病院を目指しました。東北道を北上し、 東京から七時間。ようやく到着したのは深夜。地震による停電で街灯も信号も消えて静まりかえる中、空を赤々と不気味に照らす光が見えました。仙台塩竃港の 石油コンビナートが火災を起こし、燃え広がっていたのです。

 

余震が続く中、懸命の救急対応

 震災直後から一日平均二〇〇人以上の救急患者を受け入れた坂総合病院。近隣の医療機関が機能停止に陥り、幸い大きな被害がなかった同病院には、隣接する地域からも次々に被災者が運ばれました。

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坂総合病院「現地対策本部」でのミーティング(3月13日朝)。第一陣として駆けつけた東京・川崎のメンバーも加わり支援体制を確認。その後も続々と全国から支援者が…

 阪神大震災のような建物倒壊による外傷患者は少なく、「震災直後は、津波による『低体温症』で運ばれる人が圧倒的に多かった」と同病院の堀切康正医師。 時間が経つにつれ、慢性疾患が悪化した人、被災によるストレスや慣れない避難生活で体調を崩す患者も増えていきました。
 意識障害で搬送された六〇代の老夫婦は、ともに「一酸化炭素中毒」。地震で電気・ガス・水道すべてのライフラインが途絶え、雪が降る寒さの中、部屋の窓を閉めきり火鉢で暖をとっていたようです。
 腹痛を訴え、苦しそうな表情で来院した六歳の男児も。避難所で過ごすことができず車内で待避。震災が起きたころから便秘が続いていたといいます。

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赤々と燃え広がる石油コンビナート(多賀城市・12日夜)
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「行方不明の家族が救急搬送されていないか」と心配そうに見つめる(坂総合病院・玄関)

 余震が続く中、全国の仲間の支援を受け、懸命の救急対応をする坂総合病院のスタッフたち。自らも被災者でありながら、目の前の救護にあたっていました。
 診療サービス課長の佐藤望さんは、「自宅が流されたり、道路が寸断されて、多くの職員が帰宅困難になっている」と話します。佐藤さん自身(仙台市在住)も、まだ一度も自宅に帰っていませんでした。
 「妻と一回だけ連絡がとれて無事は確認できました。でも電話も通じず、その後の行方は不明。まだ会えていません…」。気丈に振る舞う佐藤さんですが、その表情には疲労と不安がにじみ出ていました。

 

命つなげ! 医療支援、続々現地に

「避難所」訪問でみえる震災の現実

 「避難するのが精一杯で、病院へ来られない人へのケアも大事だ」と、翌一三日には医師・看護師・事務職員らで構成された「医療班」をつくり、「避難所」訪問に出動。どの避難所も足の踏み場がないほどの被災者でごった返していました。
 塩竃市立第三小学校(避難者約一〇〇〇人)の校庭に入ると、目に飛び込んできたのは給水を待つ長い列。供給が追いつかず、すぐに水が底をつきます。給水 車を辛抱強く待つ被災者は数百人。命をつなぐ水さえいつ手に入るかわからないという厳しい現実に、不安を募らせていました。

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給水待ちの長い列は絶えない(塩竃市立第三小学校)

 医療班は、校舎の保健室を臨時診察室につくりかえて診療を開始。「医療班です。具合が悪い方はお越しください。動けない方は医師が往診に行きます」と館 内放送で呼びかけました。お年寄りから子ども連れ、車イスの人まで、ドッと押し寄せ、あっという間に十数人の長い列が。
 肩で息をしながら、「慌てて家を飛び出したので、薬をもっていない」と訴える二〇代男性はぜん息でした。震災による津波被害が甚大で、着の身着のまま逃げてきた被災者が目立ちました。
 同市立第三中学校(避難者約八〇〇人)に避難していた澤村ヤス子さん(61)は仙台市内で被災。ようやく塩竃市にある自宅へたどり着いたものの、「余震 でまた津波がくる危険がある」といわれ、急いで避難したといいます。「財布だけはもってきたが、いつも飲んでいる血圧の薬を家に忘れた」と慌てたようす。 東京・立川相互病院から支援にかけつけた山城直子看護師は、はやる気持ちを落ち着かせ、冷静さを保つよう丁寧に話しかけました。

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診察を待つ人は部屋の外まであふれた(塩竃市立第三小学校)

 四カ月の男児を抱えた若いお母さんの姿も。「(被災の)ショックか、母乳が出ない。粉ミルクもあと数日分しかない…」と、うつむきながらわが子を見つめます。
 「命に直結する問題だ」と南條嘉宏医師(立川相互病院)。「近所の薬局やスーパーにかけあってでも、粉ミルクを調達してほしい。とにかく最優先で!」。その場ですぐに市の担当者にかけあいました。

 

「着の身着のまま逃げてきた」 住む家失い、行き場なくした被災者

医療班、本当にありがたい

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時計の針は、地震発生時刻「午後2時46分」のままだ(塩竃市立第三中学校体育館)

 塩竃市に隣接する「多賀城市文化センター」(避難者二五〇〇人超)。住む家を失い、行き場をな くした人たちで満杯に膨れあがり、居場所を確保するのもままならないためか、異様な緊迫感が。診療を終え、病院に戻ろうとしたとき、パニック障害の発作で 突然倒れた女性も。医療班の迅速な対応で救急搬送されました。
 「館内には現在一名の保健師が配置されていますが、ご覧のとおり、この避難者数ではとても対応できない。医療班として来てくれたのは、民医連が初めてで す。本当にありがたい」と、同センターを担当する市職員の佐藤正道さんは、ホッとしたようすで話してくれました。
 佐藤さんは、物資の不足、避難者の健康や衛生状態も心配だといいます。ボランティアの高校生たちが準備していたこの日の夕食(一人分)は、ビスケット一 包と紙パック飲料一つのみ。「地区ごとに時間を決めて配給しているが、避難者数を把握するだけでも混乱していますから、全員には食事が提供されていないで しょう。体調不良を訴える人が増え、ますます医療が必要になる」。先の見えない山積みの課題に、佐藤さんは終始厳しい表情。

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「命からがら避難してきた」という澤村さんの話を聞く山城看護師(左) 避難者がロビーまで膨れあがった「多賀城市文化センター」

 

全国の連帯・支援で“復興”を

まさかの「津波警報」発令!

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津波の被害に見舞われた多賀城市八幡・桜木地区。ガソリンが手に入らないため自転車で捜索する人が目立った

 一四日、多賀城市で津波の被害を受けた八幡・桜木地区を訪ねました。まさに
“地獄絵図”。津波が運んだ黒い泥が数一〇センチも堆積。街には油まじりの悪臭がたちこめ、マスクをしていても鼻をつくほど。家屋の壁を突き破った流木、 大破して積み重なる車、ヘドロ-。無数の残骸がどこまでも続き、被害の大きさを物語ります。水没した住居の後片づけをはじめていた住民は「ここまでヒドイ と何も使い物にならない。街全体がこんな状況で、とても将来のことは考えられない」と肩を落とします。
 突然鳴り出したサイレン。「津波が来るぞ! みんな早く逃げろ」-怒号が飛び交い、騒然とする住民たち。警察に制止され、慌てて引き返す大型バスや車。 家具や家屋の残骸を片づけていた住民たちが慌てて走り出す。積み上げられた瓦礫の山で迷路になった街をぬうように、記者も避難する人たちと先を急ぎまし た。
 息をきらせてようやく高台に。不安そうに街を見下ろす五〇代の女性は、「突然津波が押し寄せ、階段の下から四段目まで水に浸かった。火災が怖いので、急 いでストーブを二階にあげました。また津波に遭うのは怖い」と身を震わせました。

 

被災地復興に向けて

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津波警報が発令され、高台に避難する住民。写真奥は地震の影響でいまも不通になっている仙石線・多賀城駅

 全日本民医連は、医師二六〇人、看護師四二四人など、のべ六三〇三人を坂総合病院を拠点に派遣(三月末現在)。長町病院(仙台市)、松島海岸診療所(宮城郡松島町)、さらには岩手県・福島県などへも支援を広げています。
 「全国から支援に来てもらい心強い。震災直後から真っ先に駆けつけてくれ、本当に民医連は動き出しが早い。大きな連帯感を感じます」と前述の佐藤望さん。
 一九九五年「阪神大震災」を経験し、自ら被災しながら現地で奮闘した全日本民医連・藤末衛会長は、「今回の震災は、地震のみならず、津波の被害も甚大か つ広範囲で、『阪神』や『中越』とも違う」と指摘します。さらに、福島原発の事故が事態に追い打ちをかけています。
 「被災地復興に向けて、今後は地域や共同組織のみなさんの力もかりて、避難所訪問などの医療支援や、被災者のケアにとりくんでいきたい」と、同・長瀬文雄事務局長も決意を語ります。
 -地震と津波、そして原発事故。“戦後史上最大”の災害に直面している私たち。復興までには長期化が予想されます。この局面を乗り越えるには、人と人との「絆」、全国の連帯・支援が必要です。
文・写真/井ノ口創記者

 

いつでも元気 2011.5 No.235

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