MIN-IRENトピックス

2018年4月3日

「自ら学ぶ」が力に 離島で伸びる研修医たち 鹿児島・奄美中央病院

 新入職員の皆さん、民医連へようこそ! 民医連には医療・介護の職場で働く仲間達が全国に約八万人います。現在、「無差別・平等」の医療と介護の担い手をめざして民医連で研鑽を積んでいる研修医は五〇〇人超。“離島”という限られた環境で仲間とともに自主的な学びを深めているのは鹿児島・奄美中央病院の研修医たち。現場を訪ねました。(丸山聡子記者)

 午前八時。朝の申し送りの前の時間帯。奄美中央病院の医局で研修医を中心にした学習会が始まります。福﨑雅彦院長など先輩医師も出席し、およそ三〇分間。二人が発表し質疑応答もします。
 きっかけは二年前。奄美中央病院は恒常的な医師不足で、後期研修医が来ても十分な指導が困難な状態でした。その結果、研修医にとって“人気がない”病院に…。二〇一六年、三人の後期研修医が着任。そのひとり、樫田祐輔医師は「『人気のない病院』のままではいやだったんですよ。悔しいじゃないですか、そこで働く者としては」と振り返ります。

■仲間と学んで見えてきた

 同時に着任した前村清美医師、折田浩医師とともに勉強会をスタート。「三人いたから、何かやろうという気持ちになれた」と樫田さん。当初は毎週火曜日に開催。医学雑誌などに載る論文を分担し、読み込んで発表するスタイル。加えて、日常診療の中で気になったテーマも出し合い、深めました。心がけたのは、「発表するだけでなく、日常の診療に役立つように」ということ。例えば…「コレステロールを下げる薬は、症状が軽い人にも処方すべきか?」「ワルファリンは脳梗塞予防に効果的だが血が止まりにくくなる。使うかどうかの判断は?」など。
 「患者さんと向き合う日常があり、そこでの疑問を仲間と勉強し合う場がある。学んだら、それを実際に診療に生かせる。いい循環ができています」と言うのは折田さん。主に往診を担当しています。昨年春から夏にかけて、「胃がんとピロリ菌除菌」「骨粗しょう症」について論文を読み比べ、集中的に学びました。初期研修医が短期間来たときは、“キャンペーン”と称して毎日開催。その後、毎日の学習が定着しました。「自分だけの勉強だと中断したり内容が偏ったり。みんなで学ぶからこそ、新たな興味や関心が生まれたり、気づかなかった視点を持てて、より深められます」と話します。
 やがて先輩医師も参加するように。指導医の酒本忠幸さんは、「以前から慢性疾患患者の全身管理を重視してとりくんできた自負もありました。けれど、改めてこの勉強会で新しい知見を学んで、見直そうかと議論が始まっています。大いに刺激を受けています」と言います。

■多職種カンファ頻繁に

 奄美大島は鹿児島から南に約三八〇キロ。同院がある奄美市は島の中核市で人口は約四万三〇〇〇人。市内には他に三つの病院があり、一一〇床の奄美中央病院は急性期から慢性期まで診る中核病院として役割を果たしています。島全体は慢性的な医師不足です。
 三人が初期研修をしていた鹿児島生協病院(鹿児島民医連)は三〇六床。樫田さんは、「生協病院と比べ中央病院は医師も少なく、離島医療の担い手として何でも診なければいけない。“ジェネラリスト”になることが名実ともに求められると感じます」と言います。
 「患者さんの身体だけでなく生活背景まで見られる病院」を実現しているのは、医師の力だけではありません。「奄美中央病院の自慢」と胸を張るのが、多職種によるカンファレンスの多さです。退院後も往診につなぐ患者が多く、大半の患者について、多職種カンファレンスを複数回行います。
 「頼りになるのが看護やリハのスタッフ。医師が把握しにくい家族関係や生活環境、ADLなど、時には自宅まで足を運んで聞き取り、報告してくれるので、助かります」と樫田さんは言います。
 印象に残っている患者さんがいます。透析をしていた女性が脳梗塞を発症し入院。胃ろう管理となり、自宅には認知症の夫もいるため、家族の介護の負担を考えると、リハビリのために長期の入院がベストと思われました。しかし、「家に連れて帰りたい」という家族の強い要望を受け、職員が自宅を訪問。在宅にできるか模索し、送迎スタッフと相談した上、退院を決断。自宅に帰った女性は状態が安定しています。樫田さんは、「ここに来てから、医学的に考えるゴールが、必ずしも患者さんにとっての正解ではない、ということを学びました」と話します。

“総合的に診る力”伸ばして―

 往診を中心的に担う折田さんは、「整った家もあれば、ネコが走り回るような家もある。一人ひとりの患者さんに必要な医療は一律ではない。だから、生活の場に足を運ぶことは面白い」と感じています。「先生、ずっとここにおってね」と声をかけられることもあり、“医療機器が整っていなくても必要な医療を提供できる医師”を模索しています。
 福﨑雅彦院長は、「自ら学び、主体的に奄美の医療を守ってくれ、医師体制も落ち着いてきました。専門分化がすすむ中で、離島で培った“総合的に診る力”を伸ばしてほしい」と話します。
 同院前の石碑に刻まれる「人の生命に離島があってはならない」は、鹿児島民医連の魂。この春、樫田さんと前村さんは、同院を離れます。前村さんは、「課題を与えられるのではなく、自ら学ぶことや、その方法を身につけられました。それが一番の財産」と。
 メンバーは入れ替わっても、朝の勉強会は続けていく予定です。

(民医連新聞 第1665号 2018年4月2日)

お役立コンテンツ

▲ページTOPへ