いつでも元気

2019年1月31日

まちのチカラ・和歌山県串本町 
黒潮の恵みと神秘の自然

文・写真 牧野佳奈子(フォトライター)

奇岩が一列にズラリと並ぶ橋杭岩

奇岩が一列にズラリと並ぶ橋杭岩

 紀伊半島の先端にある串本町は、ダイナミックで神秘的な自然美が魅力の町。
 特に関西では、知る人ぞ知る釣りスポットとしても人気です。
 海とともに紡いできた串本の物語をご紹介します。

そそり立つ橋杭岩

 町のシンボルは、何といっても橋杭岩。JR串本駅から車で5分の沿岸にある大小40余りの奇岩で、国の名勝や天然記念物にも指定されています。特に朝焼けに浮かび上がるシルエットは息を呑むほど幻想的。干潮時には岩の近くまで歩いて行けて、迫力満点の姿も堪能できます。
 一列に並んだ奇岩はその昔、串本にやってきた弘法大師が天の邪鬼に橋の架け競べをもちかけられ、数時間のうちに立てたと伝えられています。このままでは立派な橋ができてしまうと焦った天の邪鬼は、鶏の鳴き真似をして偽りのタイムリミットを告げたため杭だけが残ったとか。
 実際には波の浸食によって岩の硬い部分だけが残ったようですが、それにしても一直線に岩が点在する様相は摩訶不思議です。すぐ近くに道の駅があるので、ご当地グルメを食べながらぼんやりと奇岩を眺め、あれこれと想像を巡らせるのも良いかもしれません。

町の東側の田原海岸では、しんと冷え込む早朝に海霧が発生し幻想的な光景が広がる(南紀串本観光協会提供)

町の東側の田原海岸では、しんと冷え込む早朝に海霧が発生し幻想的な光景が広がる(南紀串本観光協会提供)

トルコ友好129年の歴史

 橋杭岩から車で約20分、くしもと大橋を渡って紀伊大島の東端に行くと「トルコ記念館」があります。1890年(明治23年)に島の沿岸で難破したトルコ軍艦「エルトゥールル号」の悲劇と、その後の日本とトルコの友好を伝える展示施設です。
 悲劇とはオスマン帝国(現トルコ)の親善使節団として来日した約650人が帰路で暴風雨に遭い、紀伊大島の樫野埼灯台近くで難破、580人以上が亡くなったというもの。しかしこの時、島の人たちが懸命に救助活動を行い69人が助かりました。生存者は日本の軍艦でトルコに送られたほか、日本全国から集まった義援金が遺族に届けられました。
 95年後の1985年、イラン・イラク戦争で215人の日本人がイランから出国できずに取り残された際、救援機を出して助けてくれたのはトルコ航空でした。また東日本大震災時にも、トルコから多くの支援金や救援隊が送られました。そうした友好関係の礎となっているのが、エルトゥールル号事件での島民による救助活動なのです。
 串本町内には現在、3人のトルコ人が住んでいます。そのうちの一人、伊藤アイシェギュルさんを訪ねました。トルコの大学で日本文学を学び、日本語弁論大会で優勝した経験もあるとのこと。「日本語はトルコで人気の専攻科目。国内に日系企業が多いので、学んだことを就職に活かしやすいというのも理由だと思います」と流暢な日本語で話してくれました。
 エルトゥールル号事件については、学校教育の中で習うため多くのトルコ人が知っているとのこと。伊藤さんは短期留学で大阪に滞在していた時、たまたま友達に誘われて串本町を訪れ町の魅力にハマったそうです。
 「町の人たちがとても優しくもてなしてくれて、『きっと昔も同じ気持ちでトルコ人に接してくれたのだろうな』と感じました。串本町の海は、風のない日はエーゲ海に似ているんですよ。真っ青な鏡のようで、何時間でも眺めていられます」。
 伊藤さんは4年前に串本町に居を構え、日本人と結婚しました。今ではトルコ文化協会の代表としても大活躍しています。週末には記念館の近くでトルコの話や踊りを紹介するほか、町内外の小中学校で出前講座も開催。トルコ語講座や料理教室には、地元住民たちも多く参加しています。
 串本町を訪れる際は、エルトゥールル号の実話を元に描かれた映画「海難1890」も是非ご覧ください。風光明媚な景色が、ちょっと違う角度からも堪能できると思います。

トルコ記念館の近くにあるトルコ雑貨店。周辺にはトルコ文化協会の交流施設(週末のみオープン)もある

トルコ記念館の近くにあるトルコ雑貨店。周辺にはトルコ文化協会の交流施設(週末のみオープン)もある

伊藤さんと、記念館の近くに建つトルコ軍艦遭難慰霊碑

伊藤さんと、記念館の近くに建つトルコ軍艦遭難慰霊碑

ケンケン漁発祥の地

 昔から航海の難所として知られる紀伊半島沖には、非常に速い黒潮が東に向かって流れています。3?5月にかけてその恩恵を受けるのはカツオ漁。特に紀南地方では、船を走らせながら擬餌針でカツオを釣り上げる「ケンケン漁」が一般的です。
 ケンケン漁は串本町田並地区(旧田並村)出身の漁師たちがハワイで開発し、日本に逆輸入した漁法です。明治初期に移民として渡った男性が契約先の農場から脱走し、現地女性と結婚して漁を始めたのがきっかけだとか。当時ハワイでは赤身の魚は一般的ではありませんでしたが、日本の移民の間でカツオの需要が増加。日本から漁師仲間を呼び寄せ、
カツオ漁船も建造して漁獲高を上げました。
 また現地のハワイ人にも技法を教える代わりに、ルアー(ハワイのカナカ語で“ケンケン”)を使った現地の漁法を習い、カツオ漁に応用。旧田並村報によると、明治後期から昭和にかけてホノルルにあった漁船140隻のうち、実に5分の3が田並地区出身者のものだったそうです。
 こうして確立されたケンケン漁の特徴は、魚体を傷つけずに水揚げできること。そのためタタキではなく、刺身で食べるのが紀南地方では一般的です。特に串本町ではカツオ茶漬けにして食べるのが最もポピュラーとのこと。絶品の味は、ボリュームたっぷりのカツオ茶漬けが人気の料理店「萬口」で確かめることができます。是非ご賞味ください。

魚種日本一釣りのメッカ

 もちろんカツオ以外にも、黒潮の幸はよりどりみどりです。これまでに串本町で確認された魚の種類は、日本一多い約1500種! 串本を訪れる年間観光客120万人のうち、約1割が釣り客とのこと。
 町内には渡船屋や釣り具屋が数多くある他、釣り大会も大小様々なものが毎週のように開催されています。一体どのような魚が釣れるのか、串本駅から車で5分の「かわばた渡船」を訪ねました。
 「うちは中上級者が多く、中には20年ほど通って来ているお客さんもいますよ」と店主の川端明さん。狙う魚によって約20種類の釣り方があり、ここに来ればさまざまなアドバイスを受けられることも魅力のようです。
 ちょうど釣り船が戻ってきたので獲れた魚を見せてもらうと、真っ赤なアコウダイが17匹! 1600mも釣り糸を垂らして獲る深海魚の一種だそうです。「これは鍋にすると旨いんすよ」と川端さんの甥の凌さん。他にも船釣りならカンパチなどの大物、磯釣りならグレ(メジナ)やイシダイなどが狙いどころだそうです。
 釣りだけでなく、ダイビングやカヌー川下りなど自然体験メニューも目白押しの串本町。世代を問わず楽しめること間違いなしです。

日本最古の石造り灯台でもある樫野埼灯台(南紀串本観光協会提供)

日本最古の石造り灯台でもある樫野埼灯台(南紀串本観光協会提供)

川端凌さんが獲れたてのアコウダイを見せてくれた

川端凌さんが獲れたてのアコウダイを見せてくれた

■次回は愛媛県内子町です。


まちのデータ

人口
1万6258人(2018年11月末現在)
おすすめの特産品
カツオ、伊勢海老、キンカン、
なんたん蜜姫(さつまいも)など
アクセス
名古屋からJR紀伊本線または新大阪からJRきのくに線で、串本駅下車
連絡先
南紀串本観光協会
0735-62-3171

いつでも元気 2018.2 No.328

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