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2015年5月7日

紙上落語 自民党改憲案を斬る! 八法亭みややっこの憲法噺

 「この前、憲法のハナシを聞いたんだけどさ、面白かったのよ~」「何言ってんの、憲法の話なんて面白いわけないじゃない。寝ぼけてたんでしょ?」「違うのよ。私、寝なかったの」「ええっ? あなたが寝なかったの?」…。会場は大爆笑。落語で憲法を語るのは、東京・八王子合同法律事務所の弁護士、飯田美弥子さん。休日は粋な着物姿で自民党の改憲案を斬る!
 では、八法亭みややっこの「憲法噺」、始まり、始まり~♪

(丸山聡子記者)

弁護士による楽しい高座

 え~、ワタクシ、こんな格好ですが、本業は弁護士でして。憲法は何を決めているか? その国の形であり、ありようです。聞いたことあるでしょう?
 日本で一番古い憲法は、聖徳太子が作った「十七条の憲法」です。「一にいわく、和を以て貴しとなし、逆らうことなきを旨とせよ」「詔を承りては、必ず謹め」。
 自民党の憲法草案(改憲案)の前文には「和を尊び」とあり、「和の精神は、聖徳太子以来の我が国の徳性」と説明されています。
 でもねぇ、もともと仲良かったら憲法一条に書く必要ないの。最初に書かないといけないほど世は乱れていた。自民党の説明は歴史を都合良くつまみ食いしてます。
 次は大日本帝国憲法。第一条は「大日本帝国は、万世一系の天皇これを統治す」「天皇は現人神」。絶対の存在と定めていますから、立憲主義の憲法とは言えません。
 立憲主義の二本柱を四文字で表すと「人権保障」と「国民主権」。二文字なら「自由」と「民主」…こんな名前の政党がありましたでしょ? その政党が立憲主義を壊すような改憲案を出そうなんて、どういうことなんでしょうねえ?

■条文には国の品性が

 大日本帝国憲法で初めて「天皇は男性のみ」と決められました。民法では「家庭の和合のため」に妻は「無能力者」とされた。「明治時代が懐かしい」と思っている男性、いませんか? 他者の人権を踏みにじって得られる平和は真の平和ではないですからね~。
 姦通罪は妻にのみ科せられます。そんなの日本だけ。他国にある姦通罪は男女とも対象です。
 明治時代は戦争続き。兵隊さんはピチピチの若者ですね。国に残した若い妻が気になって仕方ない。だから国が妻を監視し「悪さしたら処罰」と決めたのです。
 かたや戦地では現地の女性を連行して慰安婦にし、慰安所を作った。法律の条文を読めば、国の文化や品性が分かります。国民の下半身ばかり心配する国とはねぇ。私は恥ずかしいと思います。
 靖国神社に祀られている英霊の中に、数人女性がいます。樺太でソ連軍との戦況を伝え続け、ソ連軍が上陸した一九四五年八月二〇日に自決した電話交換手たちです。「アッパレだ」と祀られている。戦争が終わったのに、なぜ死なねばならなかったのか賞賛されるのか。理解できません。
 英霊には、沖縄のひめゆり学徒や原爆・空襲の犠牲者は入っていません。死んだ人を「天皇様の覚えがめでたいか否か」で選別する宗教はいかがなものか。そんな宗教施設に閣僚が参拝するなんて、外国からはどう見えるでしょう?

憲法の根っこは「好きなように生きなさい」

 日本国憲法の根っこは、国民に「好きなように生きなさい」と言っている点なんです。「すべて国民は、個人として尊重される」とした一三条です。憲法が危機だ!という時に、ボーイフレンドたちを振り切ってでも口演にいくのが、私の幸せであり、憲法はそれを保障しているのです。
 日本国憲法がすごいのは、「平和でなければ幸福は追求できない」と見極め、「戦争という手段は捨てる」と決めたこと。それで戦後七〇年、一度も戦争をしていません。
 世界では紛争が絶えません。そういう時、「日本だけ丸腰で大丈夫?」「なら、軍隊作っちゃう?」というのが、安倍サマのノリですね。

■国のための国民?!

 自民党の憲法草案(改憲案)をひと言で言うと「国のために国民がある」。前文には「日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため…」と。その考えだと、国民は「日本という国を未来に存続させるための」駅伝ランナーのような存在でしかない。第三条は「日本国民は、国旗及び国歌(日の丸・君が代)を尊重しなければらない」です。
 私、着物は自分で着ていますし、こうして落語もできる。裏千家の茶名を持っているし書道は四段。何でもできるでしょう? 嫌みな感じもしますけど事実ですから。私は私なりに日本を愛しています。「何をどう好きか」というのは、もっともプライベートな領域。憲法で「愛国心があるなら日の丸君が代が好きなはず」と決めて尊重義務を課すなんて。
 改憲案では、天皇を憲法擁護義務から外しています。憲法を超えた存在になるんですね。大日本帝国憲法一条と同じです。
 表現の自由や財産権は「公益及び公の秩序に反しない限り」認めます。何が「公益」や「公の秩序」かは内閣総理大臣、つまり安倍サマが決める。だから「安倍サマの好み」と読み替えましょう。「表現の自由」を定めた二一条二項。「安倍サマの好みを害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社することは、認められない」となる。
 首相官邸前で「原発再稼働反対!」とか「秘密保護法反対!」なんて言う人は、“安倍サマの好みに反する”。国会周辺のうるさい奴らは、憲法違反で牢屋にぶち込んでやれ! というわけです。
 私も一度は結婚してみたんですが離婚しました。「服従」という点では全くの“無能力”なんです。そんな私でも、今の憲法一三条は「そんな君でもいいんだよ」と言ってくれている気がします。
 ところが改憲案は一三条の「個人」を「人」にしてしまう。ここで言う「人」とは、「安倍サマが望む人」。国のために命を捨てる、国のために喜んで子どもを差し出す…というのが「人」なんです。思い出してください。大日本帝国憲法のもとでは戦争に反対する人は「非国民」だったでしょう?

■積極的平和主義というなら

 安倍サマは「積極的平和主義」という言葉を使っています。血を流さずに七〇年も平和を享受できているのが日本です。日本を真似てはどうですか? と世界に伝えることこそ積極的平和主義ではないですか? 輸出するなら原発ではなく憲法九条、平和主義を!
 堤未果さんの言葉を紹介します。「無知や無関心は、『変えられないのでは』という恐怖を生み、いつしか無力感となって私たちから力を奪う」「大人が自ら舞台をおりた時が、子どもたちにとっての絶望の始まりになる」。子どもたちに絶望を手渡してはなりません。自民党流の改憲は許さない。その声を全国から大きくあげていきましょう!


 日本弁護士連合会は二〇一三年五月、「集団的自衛権の行使容認に反対する決議」を発表。昨年一二月から今年四月まで、「集団的自衛権行使容認に反対する全国一斉行動~日弁連キャラバン月間~」を行いました。市民向けチラシも発行。


“幸福追求”をあきらめない

 憲法噺も70回を超えました。「憲法を学ぶのは、自分のためなんですね」と言った方がいます。そうです、幸せになろうとする力を、誰も止めることはできない。
 私自身、離婚や病気などに苦しんできました。そのたびに「自分自身が幸せになることをあきらめたら、誰も幸せにはしてくれない」と、自分を励ましてきました。憲法13条は、そのささえです。
 休日返上は正直つらい。けれど、みややっこを必要としてくれる人がいるから、がんばれる。「多くの人たちと声を挙げれば変えられる」ことをあきらめたくないのです。
 憲法噺はどこでも満員御礼、落語をまとめた本(※)は5000冊を売り上げました。危機感が広がっていると感じます。今は安倍サマの厚いツラの皮の下で、国民の不満がぱんぱんに膨れあがっている状態。もうひと押しで安倍サマの顔を潰せます。楽しみにがんばりましょう。
※『八法亭みややっこの憲法噺』
 (花伝社・税別800円)

(民医連新聞 第1595号 2015年5月4日)

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