事業所のある風景

2006年1月15日

東京/国分寺ひかり診療所 誰もが気軽に相談できる 診療所めざして

16年の運動の成果

 国分寺ひかり診療所は、東京のセンター病院である立川相互病院を経営する医療法人社団健生会の 11番目の診療所として2005年1月に開設しました。共同組織である、三多摩健康友の会の国分寺支部が、国分寺の地へぜひ診療所をつくろう、と運動を重 ね、2200名を超える会員さんを増やし、16年かかってやっと実現しました。
 診療所の施設は3階建てで、1階が外来診療スペース、2階が通所介護(デイサービス)のスペース、3階に通所リハビリ(デイケア)、在宅介護支援セン ター、居宅介護支援事業所、ボランティア室があります。

地域の市民との共同

 介護保険の緊急整備事業として国分寺市が、在宅サービスセンターをつくるにあたって建設費の一部 を補助金として支出するという計画を立てました。この計画は一期で残念ながら終わってしまいましたが当時の革新市政(1977~2001年)のときに計画 されたもので、健生会は公募に応募して審査のうえ適格となりました。ところが、「民医連の医療機関を国分寺に建てさせるな」と反対運動にあいました。これ に対して、健康友の会は市内の民主勢力と力を合わせ5万枚ものビラを全戸配布し、さらに、1件1件訪問し在宅サービスセンター実現の署名をとる運動を展開 し、地域の市民と力を合わせました。この地域は医療機関が少ないところだったので医療機関と、介護の施設が一体となったセンターは地域ではどうしても必要 だったのです。地域の中では、「何で反対するの、必要な施設なのに」という声が広がり、最終的には、市議会に緊急整備事業の補助金支出の議案が提出され全 会一致で可決されました。

国分寺市の歴史と光町の由来

 国分寺市の地名は、国分寺、国分尼寺が建てられたことに由来しています。
 国分寺市は、地図では東京都の真ん中あたりに位置しており、首都近郊にあって武蔵野の面影を残す住宅都市として、また、水と緑に彩られた文化都市とし て、発展しています。
診療所がある光町にはJRの鉄道総合技術研究所があり、ここで旧国鉄が東海道新幹線の開発・研究をすすめました。1964年10月に東京~新大阪間の運行 を始めた新幹線「ひかり号」にちなんで、まちの名前が光町となりました。それ以前は平兵衛新田といわれていたそうです。

友の会と共同して健康づくり

 友の会国分寺支部は市内5ブロックに分かれていますが、友の会と力をあわせて健康チェックと大石 不二雄所長の話を組み合わせた健康班会を行っています。最近の特徴は、「予想外」に参加者が多いことです。医療や介護に対する不安が地域で広がっているこ とが背景にあると思われますが、健康チェックが受けられたり、相談できる機会がつくられることが今後求められていると感じています。

診療所の将来

 診療所の外来では、市の健診をどんどん受けて、地域全体の健康チェックの機能を果たしていきたいと考えています。受診者の中には、「ここ4~5年、市の健診は受けていなかったけど、近くにできたので受けに来た」という方もいました。地域からの期待を感じました。
 施設内に市から委託を受けた在宅介護支援センターがあり、居宅介護支援事業所も運営しているので、医療・福祉・介護の相談が気軽に受けられるようにして いきたいと思います。

国分寺ひかり診療所 事務長 叶谷 毅)

「民医連院所のある風景」 『民医連医療』2006年1月号.No.401より

お役立コンテンツ

▲ページTOPへ