事業所のある風景

2006年2月15日

福島/生協いいの診療所 町の7割以上が組合員世帯 在宅医療を発展させて

かつて養蚕と絹織物が盛んだった地域

 生協いいの診療所がある飯野町は、福島市から東に16キロほど行ったところにある人口6700人 の小さな町です。阿武隈山系の丘陵地帯にあり、過疎化と高齢化がすすんでいます(高齢化率27.2%)。もともとは、養蚕と絹織物が盛んな地域で、隣の川 俣町とともに産する「羽二重」という絹製品は、その品質の高さが全国に知られ、町の女性は子育てをしながら機織に従事していた人が多く、経済的にも栄えて いました。商人も多く集まり、お年寄りに聞くと皆、「昔はにぎやかだった」といいます。そのなごりが、町のあちこちに見られ、風格のある蔵と今は使われて いない機織工場が点在しています。15年前までは、あちこちで「からりこ、からりこ」と機織の音が聞こえていました。また、養蚕は春から晩秋まで「春蚕」 から始まり年5~6回繰り返され、女性も大切な働き手でありました。生協の組合員健診も「蚕の時期はやらないでほしい」といわれ、始まると休みなく朝早く から夜まで従事し、貴重な収入源で「かいこ様」と様づけで大切にしていたようです。生糸が外国から安く入るようになり、いっきに養蚕も衰退しました。働く 場があまりないので、若い人は親元をはなれて福島市や遠くに就職し、高齢者1人世帯や2人世帯が多くなっています。

外観は風景に溶け込んだものに

 そんな飯野町に、生協の診療所ができたのが、1977(昭和52)年。町で熱心にやっていた開業 医が亡くなり医療過疎状態になったことで、飯野町当局から、ぜひ医療生協で診療所を開設してほしいとの強い要請があり、開設が決定されました。「町から医 療の灯を消すな」を合言葉に組織づくりがすすめられ、全世帯の7割以上を組合員世帯として組織するまでに至りました。初めは、その亡くなった開業医の医院 を間借りして診療を行っていましたが、1995(平成7)年12月に現診療所を新築し移転しました。建物の外観は、街に溶け込んだ風景になるように、蔵と 昔の民家と小学校をイメージしています。新築と同時にデイケアも開設しました。

地域からの期待にこたえ

 医療活動の特徴は、開設当時から力を入れている在宅医療です。そのころは、訪問診療を行う医療機 関は少なく、ましてや訪問看護を行っているところはなく、地域からの期待は相当なものでした。組合員から、寄付を募って寝たきり患者さん用の浴槽を購入 し、軽トラックに積んで訪問し、入浴させることにも取り組んで、とても感謝されました。リハビリもセンター病院のわたり病院の協力も得て、早くから取り組 みました。現在は、通所リハビリテーションと訪問看護、居宅介護支援も行っています。飯野町におけるケアプラン作成も約半数を担っており、伊達郡南部地域 で唯一の訪問看護ステーションと最近まで唯一だった通所リハも、なくてはならない役割を果たしています。

生協いいの診療所 事務長 熊田吉弘)

「民医連院所のある風景」 『民医連医療』2006年2月号.No.402より

リング1この記事を見た人はこんな記事も見ています。


お役立コンテンツ

▲ページTOPへ