民医連新聞

2007年1月22日

医療倫理の深め方(3) 臨床倫理4分割法を活用しよう 全日本民医連医療倫理委員会〔編〕

 前回に続き、事例を検討していきます。今回は一度で完結します。

「家族の意向で気管内挿入を実施しなかった」事例をどう考える?

  Aさん(七〇代後半・男性)には妻と三人の子どもがいました。二年前に後縦靭帯骨化症で頸部手術を受け、整形外科に通院し、リハビリを続けていました。歩 行は困難であり、車イスで移動、車の運転ができました。タバコは一日に二〇本、日本酒一日三合をたしなみ、人の世話を受けたがらない活発な性格でした。障 害があっても車を運転するほど自立にこだわりましたが、高齢であるため、一度ADL(日常生活動作)が低下すると、回復は難しいと考えられていました。

 五月上旬より息苦しさを感じ始め、食欲も不振に。五月中旬に胸部レントゲンで右肺野全体に胸水の貯留を認め、縦隔が左側に偏位し、心肺停止の恐れもあるため、同日入院しました。
 入院後、胸水を抜くためにドレーンを挿入し、ベッド上安静となりました。胸水の所見から結核性胸膜炎が疑われたため、五月末より抗結核剤を使用。しか し、入院直後から昼夜逆転がひどく、睡眠剤でコントロールできず、せん妄と日中の傾眠状態が続きました。しだいに食欲も低下し、食事中もむせるようになり ました。
 六月中旬に肺炎を発症、抗生剤で一時軽快したようでしたが、一週間後には両肺に広がり、悪化。家族と相談した結果、「血圧維持はするが、気管内挿管はしない」という方針を決定しました。六月下旬、永眠しました。

 気管内挿管や心肺蘇生についてAさんの意志は確認していません。しかし、呼吸困難時にAさんは 「もう、こんなだったら殺してくれ」と言うことがありました。家族は「活動的でいろいろ動き回ることが好きな人だったので、人工呼吸器などをつけ、寝たき りで生きながらえるのは不本意なはず」と考え、「おたがいに意思疎通ができる範囲での治療」を希望しました。

検討編
 この事例の問題を臨床倫理4分割法で整理してみます(表)。

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 このような場合、まず医学的な適応について、もう少し明確にすることが必要です。基礎に悪性疾 患のない感染症ならば、一時的に挿管や人工換気を行うことで回復の可能性もありえます。家族と話し合った内容・目的は何だったのでしょうか? 終末期医療 としてとらえた全体のことなのか、肺炎治療と全身管理のことなのか、DNR(心肺蘇生を行わない)の確認だったのか、整理しておくことが大事です。
 治療方針を決めるうえで、患者本人の意思を確認し、尊重することが基本になります。状態が悪化すると意思疎通や本人の判断能力も低下します。呼吸困難時 に「…殺してくれ」と言ったのは意志表示の一つですが、そのとおりに受けとることはできません。苦痛が強い時には、本人の意志決定能力は十分ではなかった と考えたほうがいいと思います。
 現実にはなかなか難しいですが、意識が清明で判断能力があるうちに本人と治療の方向を話し合う努力が求められます。
 Aさんの発言から、Aさんの望みは「呼吸困難を何とかしてほしい」とみることができます。肺炎などの医学的適応を考えると、Aさんの感じる呼吸困難感を どれだけ改善できるかという治療の面から気管内挿管の是非も検討することが大切だったと考えます。

(民医連新聞 第1396号 2007年1月22日)

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