国民のみなさま

2014年3月3日

もんじゅ君のエネルギーのおはなし 最終回 帰宅困難区域で僕が見てきたこと

 五月から始まった連載も今回が最終回。もんじゅ君が郡山市出身の写真家・鈴木心さんとともに福島第一原発周辺の警戒区域を訪れた レポートをお届けします。他の災害とは違い、そこには目に見える爪痕ではなく、ごく普通の町並みが残っています。だからこそ痛感させられた、いまなお続く 原発事故の被害とは――。

 もうすぐ震災から三年。原発事故に関するニュースは報じられてはいるけれど、最近ではあまり目立たないね。自分から探さない限り、目にふれることがない。なにも解決していないのに、遠くなってきてしまっている気がするよ。

ためらった福島行き

 去年の一〇月、僕は写真家の鈴木心さんといっしょに、原発周辺にいってきたんだ。正直にいうと、警戒区域での写真制作にはためらいがあったの。僕みたいな者がいって失礼じゃないかな、ただの物見遊山なんじゃないかな…。
 そんなふうに迷っていたら、撮影の企画自体について「特に理由はないけど、やめたほうがいいんじゃないの?」と意見が出て中止になりかけたんだ。そこで 「あ、福島第一原発の周りって、こんなふうに一種のタブーになっているんだ」と実感したんだよ。
 なんとなく、ふれにくい。
 話題にしちゃいけない気がする。
 そんなふうに、誰にいわれたわけでもないのに一人ひとりが心の中で遠慮しちゃう。その「自主規制」によって、これまで世に出なかった原発周辺の写真やレ ポートだって、いくつもあるのかもしれない。そんな考えに至ったんだ。
 ある話題について口にするのを遠慮するというのは、じわじわと忘却していくことにもつながると思うの。そして忘れるっていうのは、恐ろしいことだと思うんだ。
 なぜならば、忘れてしまうと、人はまた同じ失敗を繰り返してしまうかもしれないから。

「忘れる」って恐ろしい

 原発事故の避難指示区域は、いまも人口にして八万人、広さにして一二〇〇平方キロにおよぶの。これは東京都の半分以上の面積にあたるんだ。こんなにも多くの人の故郷が奪われたままなのに、だんだんとそれが薄められていってる。
 いまはまだ「大変なことが起きた」という認識がみんなにあっても、それがいつのまにか「あの話は考えたくないな」に変わり、報道も減り、やがて「大騒ぎ したけど、実際たいしたことなかったよね」に変わってしまったら…? それってとてもこわいでしょ。
 そんなふうにぐるぐると考えて当日出かけたんだけれど、その日の福島は気持ちのよい秋晴れで、空は青く、風は心地よく、あたりがまるで「ふつう」なこと に驚いたんだ。悲惨な光景を勝手にイメージしてしまっていたことを、心の中で恥ずかしく思ったよ。
 僕の地元でもよく見るような、田舎ならではの大型のゲームセンターやパチンコ屋さん。こども服が中に積まれたままのファッションセンターしまむら。昔からの和菓子屋さんにはツバメの巣。
 なんだかとても、ふつうなんだよ。だけどただ一つおかしいのは、誰も、どこにもいないってこと。
 原発にほど近い、真新しい住宅街に案内されて「ここは主に、東電に勤める人たちが住んでたんですよ」と教えてもらったの。ローンを組んで、住みだして 一、二年だったんじゃないかな。まだ分譲中の看板があちこちにあるんだ。
 そのうちの一軒の家先に、パステルカラーのこども用自転車が四台停めてあったの。小学生の女の子用のデザインなんだ。放課後に友達と遊びにきていたのかな。
 そこで突然地震が起きて、避難して、そのまま戻ってこられていないのかもしれない。自転車はついさっき置かれたような感じがするけど、きっとこの三年間ずっと持ち主を待っているんだ。

人の暮らしを壊すもの

 そういうお話が避難した人の数だけあるんだよね。いや、避難しなかった人、避難して戻った人にも、それぞれの記憶があるんじゃないかな。
 秋も深まった頃で、あちこちの庭先に朱色の実をたわわにつけた柿の木があったよ。もぎとる人がいないから、ずっしりと重たそうに枝がしなっているの。
 見たことないほどの一面のススキの海も見たよ。たんぼがすべて、雑草に覆われてしまって。
 JR富岡駅では、ホームから落ちそうになった。線路からセイタカアワダチソウが茂って、ホームと同じ高さにまで伸びているの。
 なぜだか鳥も虫も動物もほとんど見なかったけれど、ジョロウグモだけは一メートルはある網をあちこちにかけていて、顔にかかりそうになるの。人が住んでいれば、こんな高さに巣をかけないよね。
 商店街のバス停は、誰も来ないのに、ずっとそこにあるんだ。
 原発付近には、放射能のために手を入れられず、津波で壊れたままの建物があちこちに残っていたよ。太平洋沿岸が同じように広く被害を受けたことを想像す るといたたまれない気持ちになる。だけど、その津波痕を見て思うことと、警戒区域のあちこちを歩いて浮かぶ感情は、ちょっと違うんだ。
 なにもかもがふつうの景色なのに、ただ誰もいない。その意味を考えた瞬間に背筋が冷たく、悲しくなる。ただ線量が高いだけなんだ。こんなふうに人の暮らしを壊すものを、ほかには知らないよ。

*   *

 いまも事故はつづいていて、ふるさとに戻れない人たちがいる。そのことを忘れず、同じことを二度起こさないためには、福島第一原発がいまどうなっているのか、注目しつづける必要があるよね。


新刊 『もんじゅ君対談集
3・11で僕らは変わったか』 もんじゅ君 著

 本紙連載中のもんじゅ君が、音楽家の坂本龍一さんら五人と“震災後”の生き方、文化、社会などについて幅広く語り合いました。ふたたび同じことを起こさないために。考え、行動する、もんじゅ君の対談集です。 (一六〇〇円+税、平凡社)

(民医連新聞 第1567号 2014年3月3日)

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