民医連新聞

2002年10月1日

各職場に「宣言」貼り出し/ 患者さんから意見きく/ 長崎・上戸町病院 柴田親男(事務長)

 当院では、今年1月に医療宣言を作成し、発表しました。
 私たちは全日本民医連の方針を受けて、九九年ころから「作らねば…」という討議をしていたものの、「文章よりプロセスを大事にしよう」と言いながら具体的には遅々としてすすみませんでした。
 大きな転機となったのは、2000年の県連学術運動交流集会です。ここで「部門医療宣言コンクール」を行うことになり、約2カ月の準備で大半の部門が 「医療宣言」を発表しました。賞品を励みにがんばった部門が多かったのですが、七夕の笹に川柳の短冊をつけたユニークな宣言を発表した薬局部門が優勝する など、それぞれ個性的なものがそろいました。
 「宣言」というと堅苦しくとらえていましたが、「まず気軽に作ってみることが出発点」という考えに変わりました。
 集会で発表した宣言は今でも各部門の前にはりだしてありますが、患者さんから感想や意見をいただくこともあり、職員の励みになっています。
 しばらくは、リニューアル・介護保険対応などの論議に追われ、病院の医療宣言はなかなかすすまず、昨年秋の管理会議で「まずたたき台になる文章を作って意見を集めよう」ということになり、宮崎院長が担当して9月に原案ができました。
 これを主任会議や共同組織に紹介したほか、院内ホームページにも掲載し意見を求めました。
 職員からは、「カルテ開示」を検討していたこともあり、患者の人権に関する意見が多く寄せられました。また患者さんや地域の方がたにも「病院の過去・現 在・未来がわかるものにしたい」という思いも寄せられ、四回の修正をへて、一月に発表しました。
 宣言には、被爆地長崎にある院所として、核兵器廃絶運動や被爆者医療のとりくみも明記しました。
 まだまだ意見は少ないのですが、「まず公表して意見をもらい、また書き直そう」という構えで掲示しています。
 したがって、当院の宣言はまだ完成ではなく、発展途上の段階です。共同組織からの意見集約はまだこれからですが、部門宣言とセットにしてもっと広く紹介し、版を重ねることができればと思います。

上戸町病院医療福祉宣言

 かつて「鎖国の窓」として燦然と輝き、世界的な「造船の町」として日本の近代化を担った「美しい港町」長崎は、人類最後の被爆地ナガサキでもあります。
 私たちの街・長崎には、終わりのない原爆被害に悩む人々、造船・炭坑塵肺など労働災害に苦しむ人々、不況にあえぎ健康管理もままならない人々、「坂と階段の街」の片隅に取り残されたように暮らしているお年寄りたちがいます。
 その街を愛し、安心して住み続けたいと願う人々の運動と、「患者さんの立場に立った医療」を願う医系学生や医療従事者の運動が合流して、1972年に大浦診療所が誕生しました。
 大浦診療所の10年間は、「被爆者に寄り添った医療」、「生活と労働の現場から考える医療」、訪問看護・往診・「出かけてゆく医療」など…長崎の医療に新しい風を吹き込みました。
 そしてその信頼をもとに、1982年に「長崎民医連のセンター病院」として上戸町病院が生まれました。
 私たちの病院は「救急からリハビリまでの総合医療」を掲げて、長崎南部地域における第一線病院として、また県内における「はたらく人々の最後のよりどころ」としての役割を果たしてきました。
 これからも、健康友の会や地域のみなさんといっしよになって、「だれもが安心できる医療と福祉」を目標に、「住み続けたいまちづくり」に貢献したいと 願っています。そして全職員一丸となって、「地域になくてはならない病院」をめざすことを、ここに宣言します。

1いつでも、どこでも、だれでもが安心してかかれる医療と福祉を
 私たちの病院は「はたらく人々の医療機関」として、高齢者や障害者をはじめ経済的・社会的に弱い立場におかれた人々の「医療を受ける権利」を何よりも大 切にしています。私たちは「無差別平等の医療」の旗を掲げ、「だれもが人間らしく生きることのできる社会・地域」をつくる運動にとりくむとともに、自らの 努力で「差額ベッドのない病院」であり続けたいと思っています。

2人権を守り、安全で安心な「共同の営み」としての医療・福祉を
 安心できる医療と福祉とは、患者さんと私たち職員との「共同の営み」となってこそ本当の意味で実現されるものです。そのためにはあらゆる情報が公開、共 有され、その上で患者さんの自由な意志が尊重されなければならないと考えます。患者さんの立場に立った親切でよい医療に心がけ、安全な医療と福祉を実践し ます。

3科学的根拠と民主的集団医療にもとづく最良の医療を
 最良の医療とは、画一のものではありません。私たちは、つねに医学医療の研鑽と技術の向上に努めるとともに、科学的な根拠をもとに、スタッフの集団的知 恵を集めて「その患者さんにとって何が必要か」を様々な角度から検討し、その患者さんにとっての最良の医療を追究します。

4安心して住み続けられるまちづくりの一翼を担います
 老いても障害があっても「いつまでも住み慣れた街に住み続けたい」という願いを大切に、社会復帰を支える医療と福祉を実践するとともに、行政や医療福祉機関などを含めた地域のネットワークを大切にします。
 健康友の会のみなさんや地域の人々とともに、住みよいまちづくりのために、この地域の暮らし、教育、環境などあらゆる問題を考え、行動してゆきます。

5核兵器廃絶をめざし、被爆者の医療と福祉を発展させます
 平和なくして医療も福祉もありません。私たちはあらゆる戦争の企みに反対します。なかでも人類共通の敵である核兵器の廃絶へ向けて全力をあげてとりくみます。
 被爆者が語り部として活躍されることを医療機関として援助します。また、修学旅行生の受け入れや碑巡りガイドなど、被爆体験を若い世代に受け継ぎ広める活動や、高齢化する被爆者の医療と福祉を充実させる取り組みも強めます。

 (民医連新聞2002年10月1日/1288号)

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