声明・見解

2002年12月20日

【声明2002.12.20】~「医療事故」「事件」と私たち民医連の立場~

2002年12月20日
全日本民主医療機関連合会理事会

(1) はじめに

 私たち民医連は、患者さんのいのちと健康、人権を守る立場から、安全な医療の実現にむけ全力をあげてきました。
しかし、残念ながら、私たち民医連に加盟する医療機関においても、あってはならない医療事故や事件が発生しています。これらの医療事故や事件は、私たちに 寄せられてきた多くの患者さん、住民の方々の支持と信頼をそこなうもので、ご心配をおかけしました。
この機会に、このような事故、事件がなぜ起きたのか、再発防止のためには何が必要とされているか、私たちは、どのように教訓をくみ取り、改善強化につとめ ているのかを、明らかにし、国民のみなさんのご理解とお力添えを頂きたいと考えます。

(2)私たちは、痛恨の経験から学び、事故原因の徹底究明と再発防止に全力をあげてきました

 連日のような医療の場での医療事故や事件の発生がマスコミで報道され、多くの国民、医療関係者が心を痛め ています。医療事故や事件をなくすことは、国民の切実な願いです。患者のいのちと健康を回復するという医療機関の本来の使命からみて、信頼を損なうもので あり、その根絶は医療人自身の痛切な課題であり、責任です。
医療事故をなくすことは、今、日本の医療界自身が率先して自浄作用を発揮するとともに、行政機関あげてとりくまねばならない国民的課題です。医療事故や事 故につながるニアミスの原因分析とそこから教訓を導き出す第3者機関の設置、患者さんからの相談が気軽にできるような患者オンブズマンのような機関づく り、また、欧米と比べても極端に少ない医師や看護師などの人的体制の整備とそのことを保障する診療報酬制度の改善など、たくさんの課題があります。
 医療界全体でも真摯なとりくみが始まっていますが、私たち民医連においても、このような立場から一つひとつの医療事故や事件から今後に生かすべき教訓を導き出し、再発防止、医療事故の防止につとめてきました。
2000年秋、「医療安全問題」をテーマに全日本民医連病院長会議を開催、その後、全国レベルで医療安全モニター制度を発足させ、事故要因となるニアミス の発生を分析し、事故の約4割を占める転倒転落、2 割近くを占める注射事故について、近く、その予防のためのマニュアルをまとめるまでに到達しています。
 そして、実際に発生した医療事故や事件については、絶対に繰り返さないという決意のもと、次の立場で望んできました。
(1)なによりも患者さんの人権を尊重し、患者さんやご家族に真実を告げること
(2)原因究明にあたっては「だれが起こしたか」だけでなく「なぜ起きたのか」の立場から、その背景となる「人」、「技術や器械」、「情報やシステム」、「管理運営」にかかわる問題を多角的に分析し、
(3) 再発防止にむけ何重もの安全防御機構をつくりあげること
(4) そして情報を公開し、経験や教訓を広げる、というものです。
 この立場は次の三つの病院(川崎協同病院、京都民医連中央病院、大阪・耳原総合病院)の医療事故や事件でも、貫かれてきました。
 特に、川崎協同病院における「薬剤投与死亡事件」や京都民医連中央病院における「検査結果虚偽報告事件」は、医療人としてのモラルが厳しく問われた事件 であり、民医連が掲げてきた医療理念と方針に照らして、重大な脱線、逸脱の行為です。これらの事件についても、当事者の責任を厳しく問うだけでなく、病院 の組織として、これらが見抜けなかった問題と再発防止について、徹底的な究明と点検、強化のとりくみが開始されています。

1) 川崎協同病院の場合

この事件は1998年11月、心肺停止状態で、緊急入院された喘息患者さんに対し、気管チューブを抜去、最終的には筋弛緩剤を投与し、死亡させるというものでした。
3年後、事件の事実を認知した新しい院長のもとで、放置したことは正しくなかったとの態度を明らかにし、公表を前提にして、診療内容を再調査し、遺族への 謝罪とともに、主治医には非を認めて自首することをすすめ、病院自らの手で事件を公表しました。そして、調査委員会を設置し、どんな医療が行われたのか、 「患者の権利章典」(*)を掲げる病院で、なぜ、このような暴走が止められなかったのか、再発を防ぐためにはなにが必要かについて、徹底的な検証、調査が 病院自身の手でおこなわれ、その結果は外部の専門家からなる調査委員会で点検をうけました。その内容は内部調査委員会、外部評価委員会の2つの調査報告書 で明らかにされていますが、なぜ、防止できなかったのかの問題では、主治医が呼吸器医療の責任者でありながら、他の部門、病棟では実施されていた医師相互 の診断内容の相互点検体制を軽視し、それが放置されてきた、という問題が改めて浮かびあがりました。外部評価委員会では、このような問題を含めた病院組織 の仕組みと運営、医師の姿勢にも踏み込んだ6項目の問題が提起されました。同病院では、今、これらをふまえた、診断、治療内容の専門、他職種による重層的 な相互点検体制の確立のため、力を注ぐとともに、地域の患者さんからの率直な意見をふまえた「病院改革」にとりくむ決意と運動を開始しています。また、管 理責任の所在を明らかにして、法人では理事長、専務の交替、病院では院長らの交替を行いました。 
失った信頼を取り戻すことは容易ではなく、これからの日常の医療活動の中で、試されなければなりません。今、同病院では、あらためて、全職員でいのちの尊 さ、人権を守る医療人の使命を学ぶとりくみをすすめており、また外部の方も参加する医療倫理委員会の活動や医師・看護師・薬剤師、事務などによる症例検討 会など、チーム医療の改善、患者の個人情報保護にむけたとりくみ、医師による回診やインフオームドコンセントの改善など、内部調査委員会、外部評価委員会 の提言にそって真剣な努力が行われています。
10月には、「激励市民集会」が開催され、公害の患者さんの代表は「川崎協同病院にたどりつき、はじめて公害病として診断してもらい、公害被害補償の運動 の支えにもなってもらった」と挨拶をのべ、「川崎協同病院は、公害患者のいのちのとりで」と評されるなど、健康を奪われた人たちの医療と救済に力を尽く し、地域になくてはならない医療機関となってきた病院の再生を期待する声が、数多くよせられています。

2) 京都民医連中央病院の場合

 今年9月に発覚した事件は、98年以来、尿や喀痰からの嫌気性菌の細菌培養検査を目視やにおい、顕微鏡検 査のみで判断し、培養検査を実施していないにもかかわらず、検査技師の判断で「菌検出認めず」と虚偽の報告を行い、結果として過剰な保険請求をするという ものでした。今回の虚偽の検査報告は、医療人として、断じて許される行為ではありません。
 そのため、事実をつかんだ時点で,ただちに保健所に相談しました。そして病院として謝罪し、自主公表するとともに、過剰請求分の返還の申し出と関係者の 厳格な処分、こうした事実を見抜くことができなかった院長はじめ管理責任を明らかにし再発防止にとりくんでいるところです。嫌気性検査の指示が出た患者さ んのうち、調査では今日までに243 名の方が死亡されていますが、この方々の「虚偽」検査結果と個々の診断、治療の影響について、医師団によるカルテ全数調査をおこない、「死亡との因果関係 はない」と判断を下すとともに、「もし、菌が検出されていた場合、診断治療に変更があったかどうか」も含め、外部の専門家を行政に依頼し、個々に点検を受 けています。
 そして、病院では、なぜ、このようなあってはならない事件が発生したのかの徹底究明をおこないながら、自らの医療の総点検を行うともに、患者さんや地域 住民の方々、近隣医療機関に対し、職員が手分けをして「お詫びと経過報告、改善策」を持って訪問活動を行い、患者さん、住民の意見を医療活動の総点検に生 かす努力を開始しています。

(3) 耳原総合病院におけるセラチア菌院内感染対策のとりくみ

 2000年6月、同じ病棟の患者さん3人が院内感染の疑いで相次いで死亡した大阪・耳原総合病院でのセラ チア菌院内感染問題は、川崎協同病院や京都民医連中央病院の事件とは性格を異にするものです。これらは、いずれも医療の場であってはならない問題という点 で共通しています。しかし、川崎協同病院や京都民医連中央病院での事件はいのちと健康を守ることを使命とする医療人としての倫理やモラルが問われたのに対 し、耳原総合病院における院内感染は、セラチア菌による敗血症の院内感染で、国内2例目でした。当時、セラチア菌は「環境に常在する弱毒菌」との理解のも とにセラチア菌院内感染は一般医療機関でほとんど問題にされていませんでした。セラチア菌自体は公的機関も結核やMRSAなどと違って感染防止対策の対象 外の菌で公的機関への報告義務のないものでした。
同病院は、同一病棟の患者さんが数日間のうちに同一症状を呈し、血液培養によってセラチア菌が検出され、院内感染を疑った段階で、ただちに保健所と国立感 染症研究所に届け出、相談するとともに、いち早く対策本部を設置し、患者さんとご家族への謝罪、原因究明と感染予防策の実行、内外への情報公開を行いまし た。新たな感染の拡大を防ぐこと、感染された患者さんの治療に全力をあげることを優先したからです。
耳原総合病院では、結果として3人の患者さんが亡くなるという痛恨の経験を踏まえて、堺市調査班の指導・援助を得て、徹底した原因究明と感染防止対策、す べての医療の見直しを進めました。そしてとりくみを通じてあきらかになった、たとえば酒精綿のアルコール濃度を50%から70%へ消毒方法を変更したのを はじめ、幾つかの感染対策を「5つの改善点」としてまとめ、教訓を伝えるとともに(2000年9月6日NHK クローズアップ現代で放映)、以前からとりくんでいた「カルテ開示の徹底」など病院医療の改善をすすめました。
そして、「耳原総合病院の経験を、私たち自身が繰り返さないだけでなく、私たちの痛恨の経験を、他の医療機関にいかして頂きたい」(2000年7月10日理事長、病院長連名の訴え)との立場で当初から自主公表を行いました。
堺市は2000年9月には調査報告を発表し「同一感染源による院内感染は3 名」とし、どこの医療機関でも起きうる問題として、耳原総合病院における院内感染対策の経験や教訓の普及をよびかけました。  
また、マスコミの報道にかかわって、調査班班長は「真面目に自主公表し、教訓を広げようとする病院を犯人扱いする報道では、今後、こうした院内感染問題や 医療事故を自主公表しようとする医療機関は出てこなくなる」と、耳原総合病院の姿勢を評価し、マスコミに対し冷静な報道の呼びかけを行いました。
更に2000年12月には、前年に発生し国内報告第1 例となった東京・S 病院の教訓が伝わらず、医療現場に行き届かなかった反省から、堺市は院内感染事例報告書を5千部発行し、大阪の医療機関や全国の自治体、保健所に大量普及 し、教訓を伝えました。耳原総合病院における真摯な姿勢、とりくみは、医療事故や院内感染問題に当たっての対応のあり方のひとつとして医療界で大きな反響 を呼んでいます。

(4)医療事故をなくし、安全安心信頼の医療実現のために

 医療事故の対応に関して、これまで日本の医療界では内部的に処理されがちで、痛恨の経験や教訓が生かされ ないという傾向にありました。事故原因の究明にあたっては、再発防止という見地から、事故当事者による真剣な究明が求められます。同時に、第3者による医 学、医療の専門的な立場からの点検と評価が不可欠です。アメリカのような第3者機関(例えば航空機事故の際の事故調査委員会に匹敵する機関)がない中で、 内外に公表し、自らの経験や教訓を伝えることは、それ自体に勇気を必要とするところです。
 しかし、同じ過ちを繰り返さないためには、痛恨の経験や教訓が広く普及されなければなりません。私たちは、この間の医療事故や事件の経験を通じて学んだ ことや教訓を伝えるとりくみを重視してきました。耳原総合病院でのセラチア菌院内感染問題を通じてまとめた冊子「みんなではじめる院内感染ガイドライン」 をすでに4 万部、川崎協同病院事件の2つの報告書「内部調査委員会報告書・外部評価委員会報告書」は冊子として5 万部近く普及し、民医連のみならず、多くの医療機関、行政、製薬メーカーなど関係機関に教訓を伝えるとりくみをおこなってきました。
 また安全性向上の立場から診療報酬の改善や薬剤、医療材料の改善についても提言してきました。セラチア菌院内感染対策に取り組んだ耳原総合病院では、診 療報酬の十数倍の費用がかかることを明らかにし、2001年8月には厚生労働省に診療報酬の引き上げの要望書を提出しました。医療事故の一因となる色や形 が類似した薬剤や副作用の問題、ミスにつながる可能性のある医療材料の改善を厚生省やメーカーに対し提言してきました。
 医療は医療従事者と患者さんとの「共同のいとなみ」であるとの立場から、これまでもがん告知やカルテ開示、さらに共同組織の方々との院所利用委員会のと りくみや専門家や患者代表、学識経験者などの参加を得て医療倫理委員会の活動を強めているところです。
 そうした全面的なとりくみこそが、安全・安心・信頼の医療の実現につながると考えます。このことが、痛恨の教訓から学んだ私たち民医連の決意であり、立場です。

(5)いのちの「尊厳」「平等」を求めて、結成50年を迎えます

 医療事故をなくすための私たち民医連としての組織をあげたとりくみ、3つの加盟病院のとりくみを紹介しま した。その到達は、それぞれに違いがありますが、そこに貫かれていることは、さまざまな紆余曲折がありながらも、同じ医療事故、事件を二度と繰り返さない こと、そのために、医療事故、事件の当事者の問題だけでなく、病院の組織としての弱点や問題を曖昧にせず、徹底的に究明し、再発防止にとりくむ努力をつづ けているということです。医師、看護師、薬剤師、検査技師はじめ多くの専門職種の職能を生かした協働の努力でなりたっている病院医療において、一人のミス や問題が患者の命と健康に重大な事故につながる以上、そのとりくみは、全職種の参加こそ、必要とされています。
 医療事故を無くす活動が、このような性格をもっている以上、職員のなかでの公開は必要不可欠です。
医療事故や事件に対する、このような私たちの姿勢やとりくみは、私たち民医連の創設以来の原点である、「民医連綱領」、そして21世紀初頭のめざすべき医 療や福祉の姿と私たちの目標を定めた「全日本民医連の医療福祉宣言」とこれにもとづく活動の強化、発展と深く結びついたものです。
 
民医連綱領(*)
全日本民医連医療福祉宣言(*)

 私たち全日本民医連は、1953年6月7日に結成され、来年50周年を迎えます。この半世紀、「いのちの平等」をかかげる民医連綱領の理念と方針、地道 な医療活動が地域住民や患者さんの信頼を得、今日の到達を築いてきました。現在、全日本民医連の加盟する病院、診療所、訪問看護ステーションや介護施設な ど医療・福祉を行う事業所は1600箇所を数え、一日あたり外来患者数およそ89,000人、一日あたり入院患者数およそ24,000人、日本の医療のお よそ2%を占め、職員数52,000人、そのうち医師、歯科医師が3,300 人と日赤に匹敵する日本有数の医療団体に成長しています。
 また、民医連の特徴は293万の共同組織を有し、共同組織の方々と共同で医療活動の充実や病院運営への参画(院所利用委員会など)、地域での健康づくりや安心して住み続けられるまちづくり運動を進めているところです。
 このような私たちの組織の到達は、民医連綱領のこの5つの目標を、絶えず、私たちの活動を点検する指針とし、強化、前進させてきたことによって、実現し たものです。私たちは、医療改悪のもとで、社会問題ともなっている差額ベッド代をこれまで一切徴収していません。それは、お金のあるなしで医療に差別を持 ちこまない、なにより患者さんのいのちを優先して考える民医連綱領と方針に由来しています。困難や苦労は伴いますが、民医連を象徴するもの、民医連の原点 にたったものとして、私たちの誇りとしています。このような姿は2001年1 月31日付朝日新聞や、同年秋のTBS ラジオなどでも報道され、大きな反響を呼びました。
 また、1995年1 月17日の阪神淡路大震災での被災者支援の救援活動では、現地民医連と全国13,000人を超える民医連の医療ボランテイアの活動が、被災者はじめ、マス コミ、行政関係者からも高い評価を得、当時の厚生大臣が国会で感謝の意を表明するほどでした。
 この半世紀、患者さんや国民の苦難あるところに、民医連は存在してきました。医療要求と運動あるところに、民医連は存在してきました。よい医療の実現と 政治は決して無関係ではありません。わたしたちは目の前にいる患者さんに対し、親切でよい医療の実現をめざすとともに、日本中の患者さん、国民がよい医療 を受けることが出来るように願って運動をすすめてきました。その診療姿勢や活動が国民の運動と一体となり国民皆保険制度を生み出し、公害や労災職業病の患 者さんの救済や改善をせまり、老人医療無料化制度の実現や生活保護の改善など、医療保障制度、社会保障制度の改善につながっていると確信しています。また この間、薬害エイズ、薬害ヤコブ、ハンセン病国家賠償訴訟など、人権を守る立場から支援を行ってきました。今回の医療改悪反対の運動でも、国民の運動の先 頭に立って奮闘し、民医連として350 万筆の請願署名を行いました。 
以上が、私たち民医連の自己紹介とモットーです。
この10月から、老人医療制度が改悪され、高齢者の医療費1割(2割)負担がはじまりました。私たちの病院・診療所でも、実施前とくらべ「医療負担は10 倍にもなった」などの余りに高い負担、「定率でいくらかかるかわからない」という不安から、自ら受診を手控える患者さん、命綱ともいうべき「在宅酸素」を 返上した患者さんなど、患者さんの悲痛な訴えは後を絶ちません。
私たち民医連は、10月以降、「負担増によって一人たりとも医療を受けることが出来ない患者さんをつくらない」立場で「相談窓口」を設置したり、「気にな る患者さん」訪問や「助け合い基金」の設置、自治体への交渉など、各地で医療改悪の被害を最小限に押さえるとりくみを行っています。また、医療改悪撤回、 サラリーマン本人3割負担凍結・撤回を求めて、請願署名にとりくんでいます。
 以上、医療事故や事件に対する私たち民医連の立場ととりくみ、民医連の自己紹介をおこなってきました。
「いのちは平等」は、私たちの民医連のモットーです。
いのちの尊厳をかみしめ、今後とも、医療事故防止に率先してとりくみ、患者さんや地域住民のみなさんが、安心し、信頼して医療機関に受診していただけるよう、一層奮闘する決意です。

以 上

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