事業所のある風景

2016年2月15日

民医連事業所のある風景 鳥取/米子診療所/歴史ある診療所として地域に根ざす

 米子診療所は1953年に設立され、今年で63年を迎えます。開設当初、地域住民、とりわけ医療機関にかかりにくかった貧困層や日雇い労働者・被爆者などの住民に分け隔てない医療を提供していました。

医師が先頭に立って…

 2代目所長の川西基次(もとつぐ)医師(故人)は当時の往診の様子を「掛けてある布団にさえ雪が積もり、裸のまま藁の上に横たわる高熱の老爺患者、1日1食でやせ細った労働者。彼らの悲惨な生活は言語に絶する。民医連加盟の診療所としては綱領と運動方針に照らしてみても放置することは許されない」と手記に記されています。そして、川西医師は地域住民とともに「生活と健康を守る会」を創設されました。
 医師が先頭に立ったこの人権を守る運動は急速に広がり、大きな成果を勝ち取りました。全国的にも大きな影響を与え、民医連の歴史の中で今も輝いています。

「組合員住宅 さくら」 を建設

 これまで医療・介護・社会保障改悪・医師不足などさまざまな困難をくぐり抜けてきました。この20年で米子医療生協の事業所は3診療所(米子・おおたか・弓ヶ浜)に増え、介護事業所は6事業所を持つまでに発展しました。
 2002年には精神科・心療内科を開設し、市内だけでなく広範な診療圏を網羅することになりました。
 2007年には診療所のリニューアルに合わせて敷地内に「組合員住宅 さくら」を建設しました。12室ある「さくら」の1室は反貧困ネットワークと連携した困窮者の緊急避難部屋となっています。ホームレスの方等が入居し生活保護を受け、社会へ戻るまでの居場所となっています。

急速に高齢化が進むなかで

 近年は診療所を取り巻く状況も大きく様変わりしてきました。郊外に大型スーパーが建設され、人の流れは変わり、診療所の周辺では急速に高齢化・ドーナツ化が進んでいます。在宅医療では施設入居者の利用が多くなっています。しかし、住み慣れた場所で暮らしたいと、自宅で独居の方や老々介護をされている方などもいます。2人の内科医は「家庭医」としてそんな在宅医療の現場で奮闘しています。

歴史と熱意を受け継いで

 これからも地域に暮らす人たちと一緒に、63年という歴史と先輩方の苦労と熱意を受け継ぎ、米子診療所を守り発展させていきたいと思います。
 民医連の診療所としてこれからも地域に寄り添い、そしてどのような時代になっても地域住民や弱い人の立場に立って医療活動や生活を支援する運動にとりくんでいきたいと思います。
米子診療所 事務長 藤貞 暁子)

お役立コンテンツ

▲ページTOPへ