事業所のある風景

2017年8月15日

民医連事業所のある風景 東京/立川相互病院 無差別・平等の急性期病院としての役割を発揮し、地域と連携し、健康と福祉のまちづくりをすすめます

地域の急性期医療を支えるとりくみ

 立川相互病院は2016年12月に立川駅北口に移転し、291床の急性期に特化した病院としてオープンしました。
 病棟は7:1看護で、ICU6床、HCU16床、感染症対応を3室持ち、手術室6室、血管撮影室2室で、従来より急性期機能を高めています。一般病棟は、1病棟47床で1人当たり8平方メートルの4人部屋を基本とし、個室は11床あるため、重症者、感染症、高齢者などの治療環境を大幅に改善しています。「断らない医療」を方針の柱に据え、チーム医療で医療の質、安全、倫理を高めることを課題としています。救急車受け入れ台数は年間約4000台で、手術件数も2300件程度、前年比で10%以上増えています。
 産婦人科は30床に拡大し、分娩室や授乳室を広げています。分娩件数は、年間450件から600件を超える勢いです。
 移転後、紹介患者や救急、手術、ベッド稼働などが着実に増加し、地域の期待の大きさをあらためて感じ、職員の大きな奮闘が続いています。

砂川闘争を経て返還された土地に建つ

 病院の建つ地区は、戦中は旧陸軍飛行場として使用され、戦後に米軍が駐屯していた立川基地の跡地です。米軍基地の拡張に反対する砂川闘争をへて、1977年日本へ全面返還となり、跡地は昭和記念公園などに利用されています。病院建設に際しては、爆弾などの爆発物の探査を行いました。地中からは、手榴弾や旧陸軍三八式歩兵銃などが多数出土しました。あらためて国民的な粘り強い運動で基地を拡張させず、米軍から日本ヘの返還を経て、民医連の病院が建設されたことに感慨を覚えます。

急性期から慢性期、在宅療養の切れ目のない診療を支援

 立川相互病院は、1951年に中国からの引揚者や地域の方がたにより、診療所として生まれました。1973年から研修医を受け入れ、1980年代以降東京民医連のセンターをめざす病院として病床を拡大しながら発展してきました。あきしま相互病院(2003年開院・医療療養107床)、健生会ふれあい相互病院(2016年12月開院、回復期リハ59床・うち地域包括ケア病床21床)、立川相互ふれあいクリニックはじめ12カ所の医科・歯科診療所、8カ所の訪問看護ステーションを展開、地域にねざし、1100人を超える患者の在宅医療を支えています。急性期の新病院と回復期・慢性期病院のネットワークをいかし、地域連携をすすめ医療・福祉を支えています。
 共同組織の三多摩健康友の会2万7000人も、地域の孤立を防ぐとりくみを含め多彩な活動を展開しています。また、ヘルパー事業などを展開する三多摩福祉会などと緊密に連携し、地域の医療と福祉、まちづくりをすすめています。

職員育成と地域連携

 医師、看護師などの育成に力を入れ、チーム医療をすすめて医療の安全と質の向上に努めています。感染管理、がんサポート、糖尿病、認知症ケア、呼吸器ケアなど多数のチームの活動が活発に行われています。職員満足度調査では、コミュニケーションのよさや働きやすい職場などで高い評価がでています。また、母乳育児をすすめ2011年にはWHOとユニセフから「赤ちゃんにやさしい病院」に認定されています。
 地域連携を強め、患者の地域での生活を支えるため、SWと退院支援看護師、地域連携担当者をサポートセンターに配置しています。地域の医療機関や福祉施設と連携・ネットワークを強めます。みなさまと協力して、いのちが大切にされ安心して健康に暮らすことのできるまちづくりをいっしょに担っていきたいと考えています。
(立川相互病院 健生会・事務局長 唐沢 秀行)

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