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2019年7月16日

民医連事業所のある風景 埼玉西協同病院 県西部の拠点病院として、安心して暮らせるまちづくりを

農民とともにつくった富岡診療所に始まる

 埼玉西協同病院のある埼玉県所沢市は、1911年(明治44)、軍用の気球・飛行船の研究を目的に、日本初の所沢飛行場が誕生。日本の航空発祥の地としても知られ、米軍所沢通信基地もあります。米軍基地は7割が返還されましたが、97万平方メートルという広大な土地がいまだに市の中心部に残っており、市民の暮らしに大きな弊害を及ぼしています。
 埼玉西協同病院は今年、開設67年目を迎えました。1951年に当時無医村だった「富岡村」に、農民とともにいのちの平等を掲げ、力を合わせて富岡診療所をつくったのが始まりです。その後、事業拡大・移転を繰り返しながら、埼玉県西部地域の拠点病院として役割を担ってきました。

3つのコンセプトを掲げ、今年4月に新棟を建設

 当院は一般急性期病棟と地域包括ケア病棟をもち、2019年4月に、それまでの50床から99床に増床して新棟を建設しました。建設にあたっては「病気でなくても行きたくなる病院」「地域包括ケアを推進する病院」「人を育て働きやすい病院」の3つのコンセプトを掲げ、具体化してきました。また、病院歯科を新たに開設し、入院患者で一番多い誤嚥性肺炎の発症率の減少や、地域包括ケア病棟の患者さんの口から食べることを支援し、在宅復帰をより効果的にすすめることができるようになりました。
 また健診センターをつくり、安全性や利便性を高めるとともに、健康づくりのきっかけづくりをすすめています。

組合員とともに退院支援をすすめる

 地域包括ケア病棟は所沢市の在宅後方支援ベッド事業に登録しています。在宅診療医や急性期病院からの入院依頼は、どんな方でも絶対に断らず受け入れています。しかし在宅復帰困難な患者さんも増加していますので、入院直後からの介入や地域の医療機関やケアマネジャーとのカンファレンスを行い、連携を強めて、安心して地域に戻れるように支援しています。そのため在宅復帰率は80%を常に超えています。
 当院の周辺は所沢市内でもとくに高齢化率が高く、独居も多い地域です。そこで、組織担当が退院する患者さんに支部の活動や生活ボランティアを紹介し、退院後に地域組合員が訪問するという流れをつくり、組合員とともに退院支援をすすめています。
 新棟の1階には地域に開放するコミュニティールームを設置しました。貧困の問題にはフードドライブや多世代食堂、フレイル予防の体操教室、オレンジカフェなど活用しています。
 今後も多くの方に新しい病院をつかっていただき、地域住民と連携しながら、安心して暮らせるまちづくりの活動も積極的に行っていきたいと考えています。

埼玉西協同病院 事務長 小暮 里美)

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