民医連新聞

2019年11月5日

相談室日誌 連載474 訪問調査でつながった被災者 孤独や不安の声に寄り添う(宮城)

 東日本大震災から8年半が過ぎました。被災したAさん(50代・男性)から相談を受けたのは昨年末のこと。Aさんの自宅は大きな津波被害を受けた地域にありました。震災後、黄斑変性症で視力が低下し運転ができなくなりました。災害公営住宅に入居後は近隣住民との関係に悩み、うつ病を発症、退職を余儀なくされました。潰瘍性大腸炎、脳梗塞を相次いで発症。震災後に妻と離婚し、息子、障害のある娘、母親の4人暮らし。収入は息子のバイト収入、娘の障害年金、母親のわずかな年金のみでした。
 Aさんが脳梗塞の治療を終え、退院した日、ポストに入っていた宮城民医連の災害公営住宅調査の案内を目にし、「自分の住む市は低所得の被災者の医療費は無料だが、ほかの市のように有料になった場合、どうしたらいいか心配」と電話をかけてきました。訪問した診療所の職員が生活状況を詳細に聞き取り、ソーシャルワーカーの支援へとつなぎました。
 在職中に発病したため障害厚生年金の対象になると思われ、受給に向けた相談をしていきました。Aさん宅は当院から遠く、かかりつけでもないため、他院からの眼科、精神科、初診時の診断書の取得を電話による相談で援助。地域の自立支援相談事業を担う窓口の協力を得て、数カ月かけて手続きをしました。
 今年3月末で県内全ての自治体で被災者への医療費免除措置が打ち切られました。Aさんは1年で3度も入院し、娘や母も通院中。家賃減免が無くなったら、災害援護資金の返済猶予が切れたら…と、不安はつきません。それでも初回の相談から半年が経ち、Aさんから「無事障害年金をもらうことができました」と明るい声で電話がかかってきました。災害公営住宅訪問から支援につながった事例であり、あらためてアウトリーチの重要性を感じました。
 全国で自然災害が多発しています。時が経過しても、被災者の暮らしに寄り添い、孤独や問題を抱える人の声を拾えるよう、長くかかわり続けていくことが求められると感じています。

(民医連新聞 第1703号 2019年11月4日)

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