MIN-IRENトピックス

2020年1月7日

四肢麻痺患者も社会参加を ジーンズスーツでカメラマン 長野 全日本民医連 神経リハビリ研究会

 2019年10月25~26日に第29回神経リハビリ研究会in長野を開催しました。1日目の昼食交流会で目を引いたのは“坂内写真館”。重度障害を持つ青年が参加者の記念写真を撮影していました。(代田夏未記者)

 昼食交流会の会場入口にできた列。その先頭には笑顔で記念写真を撮る参加者たちの姿がありました。写真を撮るのは車いすに乗った坂内秀行さん(39歳)。大好きなジーンズのスーツを着こなして、愛用のカメラで写真を撮っていました。

■福島から山形、そして長野へ

 坂内さんは2011年にくも膜下出血で倒れた後、脳炎を発症。完全四肢麻痺となり、意思も伝えられない状態になりました。症状が改善せず病院から「看取りにした方がいいのでは」とも言われました。納得できず、ほかの病院を受診するも結果は同じ。実家の福島・会津で往診を受けながら、母の幸子さんと婚約者の奥村織子さんが在宅介護をしていました。
 しかし、どんどんやつれていく坂内さん。往診に来た歯科医師が「このままでは助からない」と、山形・鶴岡協立リハビリテーション病院の福村直毅医師を紹介。12年8月に診察を受けました。「初めて会ったときはやせ細り、骨に皮がついている状態だった」と福村さん。福村さんの治療を受け回復の兆しが見えました。
 そんな中、15年に福村さんが長野の健和会病院へ転勤することになりました。
 鶴岡協立リハビリテーション病院の医師から「坂内さんの調子が良くない」と連絡をもらったのは、2年後の17年。「新しい治療をはじめたから長野に来てみないか」と福村さんは提案。母、婚約者と3人で長野に引っ越し、治療が始まりました。新しい治療で坂内さんの意識は回復してきました。

■あこがれの倉敷へ

 坂内さんの趣味はカメラとジーンズ。それを聞いた福村さんが以前、岡山県倉敷でジーンズのオーダースーツをつくった話をしました。記憶がはっきり残らない坂内さんですが、この話だけは覚えているのです。「私が行くと緊張してか目線が合わないけれど、ジーンズスーツの話はニコニコ聞いてくれる」と福村さんは振り返ります。
 人とかかわることが好きな坂内さんに「ジーンズスーツを着て、神経リハビリ研究会でカメラマンをしてもらうのはどうだろう」と福村さんは提案しました。家族に話すとすぐにOKの返事。ジーンズスーツを買うため、発症後初めて1泊2日の倉敷への旅が決まりました。
 福村さんと坂内さん、幸子さん、奥村さんと、有志で募った職員の看護師1人、理学療法士2人、事務2人の計9人で、福祉車両をレンタルして7時間かけて倉敷へ向かいました。デニムスーツの生地選びでは、しっかりと意思を示して理想のスーツをつくることができました。
 「ジーンズ好きというより、ジーンズマニアの方が合っているかも。倉敷のジーンズショップに就職しようとしていたほど好きなんですよ」と奥村さん。坂内さんはその隣でニコニコと笑顔を見せます。「すごく楽しみにしていて、インターネットで下調べをしてスーツの生地やボタン、裏地まで決めていた」と幸子さんも話します。
 カメラも趣味の坂内さんについて「昔使っていたフィルムカメラは使えないけれど、レンズは昔のものを使って何とか撮れるように工夫している」と奥村さん。

■人の温かさに家族も安心

 “坂内写真館”は列をつくるほど大盛況。笑顔の絶えない坂内さんの周りには、多くの人が集まり、参加者とともに写真を撮る姿もありました。
 坂内さんの思いが実現した倉敷の旅は、いろんな人の協力がありました。「ジーンズの店は貸し切り状態にしてくれていたし、レストランも車いすが通れるように工夫してくれた」と福村さん。「リハビリは生活していくためのもので、地域に出て外の環境にふれ合わないとわからないことも多い。町の一員として旅行ができて、みんな協力してくれることを感じてもらえた。介護中心の生活だった家族も、肩の力が抜けたように感じた」と笑顔で話します。
 「患者も普通の生活を送りたいという願望があり、個人が持っている能力がある。その能力を引き出せたら、私たちも幸せになれる。その過程の中でどうかかわるかが大切」と福村さん。重度障害者も社会参加ができ、本人だけでなくかかわる人たちの希望となりました。

(民医連新聞 第1707号 2020年1月6日)

お役立コンテンツ

▲ページTOPへ