事業所のある風景

2021年12月15日

民医連事業所のある風景 京都/京都民医連中央病院 「なくてはならない病院」をめざして

急性期教育病院

 京都民医連中央病院は2019年11月に、その誕生の地である中京区西ノ京から右京区太秦に移転リニューアルしました。
 新病院は、急性期一般病棟7病棟275床、ハイケアユニット12床、緩和ケア病棟21床、回復期リハビリテーション病棟51床、地域包括ケア病棟52床の病棟構成です。腎循環器センター(透析65床)、大腸肛門病センター、消化器センターを設置し、泌尿器科や歯科口腔外科などの診療科で診療体制を強化しました。
 臨床研修では今年度まで11年連続でフルマッチを続けており、卒後臨床研修の第三者評価でも研修医の満足度は高く評価されています。多職種が連携してのカンファレンスや症例検討、医療チームの活動も活発です。京都市西北部の地域包括ケアを支える「急性期教育病院」を追求しています。

病院のあゆみ

 京都民医連中央病院は、京都民医連の共同事業として1987年に京都市中京区の西部に開設されました。そのルーツは60年に開設された右京診療所です。診療所の初代所長は京都民医連中央病院の初代院長でもある松原為和医師です。診療所は開設2年後には27床の右京病院となり、77年策定の京都民医連の第一次長期計画において、京都民医連のセンター病院建設の準備病院と位置付けられました。
 その10年後の87年3月、京都民医連中央病院は開設しました(当初205床)。92年には右京病院が廃院となり、300床に増床しています。
 90年代から2000年代にかけ京都民医連中央病院はその後のありように大きな影響を与えた二つの経験をしました。一つは、患者の救命のための血漿交換療法が明確な根拠なく査定されたことに対し、減点の復活をめぐって審査機関と行政と争い、高裁で全面勝訴した「不当減点訴訟」です。たたかうことで、1980年代以来の医療費抑制政策のもとですすめられた経済審査に歯止めをかけ、患者の受療権をまもり、保険診療の適用範囲拡大をかちとりました。
 もう一つが、検査をしないまま虚偽報告を行っていた「細菌検査室事件」です。事件を受けて倫理委員会の立ち上げや病院機能評価の受審などを通じ病院の改革にとりくみ、安全・安心、患者本位、地域に開かれた医療という新しい理念を確立する契機となりました。
 2011年には上京病院の廃院および吉祥院病院の増改築に伴い病床が移動され411床に増床。開設から28年を経た15年には、老朽化と一床当たり床面積という医療法上の問題に対応するため病院リニューアルの検討を開始しました。全国の民医連の皆さんの協力も得て移転経営計画を立案し、19年11月に新病院開設に至っています。この新築移転も京都民医連第五次長期計画に位置付けて、すすめました。

地域のすべての人びとにとって
「なくてはならない病院」をめざして

 病院1階の廊下に京都民医連中央病院の歴史を紹介する「History Board」が設置されています(写真下)。歴史に学び、新しい歴史をつくる思いを込めて「京都民医連中央病院 道程(これまで)から未来(これから)へ」と名付けられています。次代のリーダーとなることを期待される職員で構成するプロジェクトチームが、病院の歴史を学びながら作成しました。これからも移転リニューアルのビジョンである「なくてはならない病院」をめざして歩み続けたいと思います。
京都民医連中央病院 事務長 高尾 勝)

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