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民医連医療

民医連医療

民医連事業所のある風景 東京 病体生理研究所 地域住民の生活と健康を守る検査機関として

 病体生理研究所は東京都の北部、埼玉県と隣接する板橋区にあります。1949年に初代理事長・秋元寿恵夫の横浜市日吉の自宅横に秋元研究所として創立し、52年に病体生理研究所に改名、65年に東京都板橋区に移転、2015年に同じ区内で新築移転しました。現在76年目を迎えています。
 当研究所は臨床検査室の認定に特化した、臨床検査室の品質と能力に関する国際標準規格「ISO
15189:2022」認定取得施設です。第三者評価を取得し、医療機関、健診センターから厚い信頼を得ています。
 法人の定款には「国民の生活と健康に影響する要素に刮目し、…国民の生活、健康及び福祉並びに医学の向上に寄与する」と創立者の意志が含まれており、本業は登録衛生検査所ですが、これまでには活版印刷労働者の鉛中毒や酸性雨の検査、ビキニ事件(1954年)の被ばく者の健康調査などに貢献してきました。2000年代初頭には、アスベストが原因とされる中皮腫の早期発見のため、東京土建組合・国保組合の建設労働者延べ18万人を対象に中皮腫のマーカーであるメソテリン検査を実施し、研究型検診としてとりくんできました。
 80年代初頭、医療費削減を目的として臨床検査の項目が診療報酬改定で約10%も連続して引き下げられるなか、当時の東京民医連検査部会の責任者たちが、病院ごとの重装備での検査室運営の困難さから、東京民医連の中央検査センターとしての役割を担い、人と分析器と検体を集中することで共同事業化することを県連的な議論により意思決定し、現在に至っています。検査結果にとどまらず、新しい検査方法や試薬・分析器の特徴などの情報提供、学習会への講師派遣や急な欠員への支援など、一般の衛生検査所とは幾分異なる立ち位置になります。共同事業所としての開始時は、検体検査は病体生理が担い、病院の検査室は生理検査にシフトすることですすめられましたが、感染症や急性炎症での診療前検査の要求が高まり、集中化から再び分散化に戻るなど、幾たびかの時代の波を経験しています。近年では2020年のコロナウイルスパンデミックの渦中、PCR検査の要望に対して同年4月にいち早く検査受託を宣言し検査要求に対応できたことは、検査共同事業所としての存在意義にかかわることと捉えています。また、米軍横田基地に隣接する東京多摩地域で環境水中のPFAS汚染が発覚し、地域住民の検査要求への対応から、24年4月にはPFAS血中濃度検査を開始しています。受託開始から1年以上経過しましたが、この間では汚染が発覚した地域の自治体が、検査の公費負担を宣言し、公募による厳しい選定条件を経て検査施設として選定されるなど、検査の品質が評価されたものと捉えています。
 民医連の検査機関として、地域住民とともに安心して住み続けられるまちづくりのため、単に検査分析するだけでなく、自治体への要請、市民の会の学習会への講師派遣など、環境・汚染源対策や健康被害予防にとりくんでいます。
病体生理研究所 専務理事 藤井浩之)