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民医連新聞

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能登半島地震から1年 被災者の声と生活実態の調査は政治変える力

コミュニティー保つ支援を
奥能登被災地へ秋の地域訪問行動

 全日本民医連は石川民医連の要請を受け、能登半島地震被災地「秋の地域訪問行動」を全国支援しました。昨年10月28日~11月27日までに全9クール228人が参加し、石川県健康友の会連合会奥能登ブロック友の会会員を訪ね、輪島市、穴水町、珠洲市へ。訪問数は1657件、対話数は482件にのぼりました。

初の珠洲市へ

 11月18~20日、第7クールには12人が参加し、255軒を訪問、42件対話しました。2日目は、今回の訪問行動で初めて珠洲市を訪ねました。
 珠洲へは穴水から車で約1時間。道の駅すずなりを拠点に、津波被害の大きかった蛸島(たこじま)地区、半島先端の狼煙(のろし)町と三崎町を訪問しました。海が近く空がひろい美しい光景のなか、ブルーシートがかかる家が立ち並び、震災後1年たつ今もなお被害の爪痕が。街中には解体業者の姿がぽつぽつ、あまり人けはありません。輪島よりも公費解体がすすみ、訪問リストのいくつかはすでに更地でした。

傾聴が励みに

 蛸島地区で家を直していた男性と話しました。そこは地震で「全壊」認定され、現在仮設住宅に住む叔父の家。叔父が戻れるよう公費解体で離れを一部残し、男性が仕事をやめて改修するそうです。家は傾き基礎にはヒビが。地震のたびに恐怖を感じると言います。水道は、何度役所に連絡しても「順番に」と言われ一向に復旧せず、自ら地面を掘り、YouTube動画を参考に道路から引きました。
 「改修後の自分の仕事もどうなるかわからないが、今やるしかないのでやっている」。直接被災せずとも地震で人生が変わることに衝撃を受けました。「こんなに人と話したのは久しぶり。話しかけてもらえてよかった」と言われ、訪問行動の意味を感じました。

集落の力強さ

 どこを訪問しても、みなさんが心配していたのは、集落の行く末です。「半壊認定の友人は医療費が無料で、ねたんでしまう」と、正直な気持ちも聞きました。
 一方、驚くのは同じ集落の人の被害状況から避難先まで、細かく把握していること。狼煙町では細かい避難者確認名簿をもとに地震後すぐに安否確認、逃げ遅れた80代女性を助け、犠牲者はゼロでした。コミュニティーの密度と力強さを感じました。そのコミュニティーが失われない、誰もが孤立しない復興支援が必要ですが、公的支援は不十分です。(全日本民医連事務局 濵野紗江)

ふるさと回帰をかなえるには
MMAT被災地県連懇談会より

 全日本民医連は昨年11月30日~12月1日、MMAT被災地県連懇談会を石川県内で開催しました。全国から23人が参加した初日の被災地視察・懇談では、穴水町と輪島市を訪れました。

実像と方策を学び

 穴水町下唐川地区では、過去の災害の教訓から発展してきた「ふるさと回帰型応急仮設住居」を見学しました。他より時間はかかるものの、住み慣れた集落内に木造戸建てを整備。2年の仮設住宅入居期間後は町営住宅に転用し、希望者に譲渡できる恒久住宅です。
 「2年で更地に戻す従来の仮設より安上がり。年寄りはとても住宅再建などできない。どこも融資してくれない」と左部(さぶ)淳一さん。土地を提供した住人です。32世帯が暮らしていた同地区で残ると決めたのは、高齢者ばかり10世帯ほどだと言います。
 輪島市門前町浦上地区は、元日の地震と9月の豪雨で二重に被災した地域。公民館館長の喜田充さんは、壮絶な体験を語り、「駐在所も郵便局支所も被災してなくなる可能性が大きい。集落が維持できない」と危機感を示しました。

地域に根差した運動

 被災地は再び厳しい冬を迎え、「前例のない遅さ」を指摘される復旧・復興が、さらに鈍化すると懸念されています。地域訪問行動などでコーディネーターを務める石川勤医協の水上幸夫さん(事務)は、「応急的に直した道路では除雪が十分できず、能登に行くことすら困難になる」と指摘します。
 被災者への医療費窓口負担・介護保険利用料の免除措置は、6月まで延長されました。しかし豪雨災害被災者は対象外。対応を迫ってきた石川民医連事務局次長の藤牧圭介さんは「国や県は消極的」と、運動の必要性を強調します。
 一方、輪島診療所は昨年11月決算で黒字化を達成しました。事務長の上濱幸子さんは、「職員は自ら被災しながら懸命に、患者・利用者をささえてきた。その職員を守るために、事業を守ることに必死だった」とふり返りました。生業(なりわい)を奪われ、ふるさとを離れざるを得ない現役世代が多いなか、輪島診療所は地域に根差し、奮闘しています。(丸山いぶき記者)


被災地県連の経験を交流

 懇談会2日目は金沢市内で、石川、宮城、福島、兵庫、広島、福岡、熊本と、大きな災害を受けた各県連が経験を交流しました。
 石川は、職員のメンタルヘルスのとりくみも報告。「精神科医がいない県連もある。大災害が起きたら、躊躇(ちゅうちょ)なく全日本民医連に相談を」と呼びかけました。
 2011年の東日本大震災を経験した宮城は、「医療費免除措置は自治体ごとに打ち切り時期が違う。当事者の声を集めて要望することが大切」と指摘。災害公営住宅調査について報告しました。
 東京電力福島第一原発事故を経験した福島は、原子力に依存しないエネルギー政策や18歳未満の医療費無料化など、運動で勝ち取ってきた成果を報告。復興計画の変質も指摘しました。
 今年は1995年に起きた阪神・淡路大震災から30年。兵庫は、個人補償がほとんどない時代から、運動によって被災者生活再建支援法などの制度を構築してきた歴史を紹介。「被災者の声と生活実態などの調査データが政治を変える」と訴えました。
 広島は、2018年の西日本豪雨で、土石流に飲み込まれた広島県坂町小屋浦地区の支援、福岡・佐賀は17年の九州北部豪雨で被災した福岡県東峰村の支援について報告しました。熊本は、18年の熊本地震と20年の熊本豪雨について報告。「職員を守ることが地域医療を守ることにつながった」と総括しました。(『いつでも元気』編集部 新井健治)

(民医連新聞 第1820号 2025年1月6日号)

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