相談室日誌 連載586 入院きっかけに笑顔もどる身寄りない生保利用の患者(鹿児島)
これは、前任地の鹿児島生協病院に勤務していた頃に、数年間にわたってかかわった、身寄りのない男性患者のケースです。
Aさんは、生活保護を利用していましたが、金銭管理が困難で、自立した生活は難しく、自宅は長年「ゴミ屋敷」の状態でした。ほとんど帰宅せず、生活保護の担当者も面会できない状況が続いていました。
6年前(当時65歳)、腰痛で入院をきっかけに、本人が施設入所を希望し、介入を始めました。しかし、ADLは自立していたため介護保険を申請するも要支援にも該当せず、支援の制度上の壁にぶつかりました。一方で、自宅は家主から強制退去を受けるほどの環境で、退院先としても適さず、環境調整を目的に他院へ転院。その後、市内の救護施設に入所しました。
しかし、施設での生活には馴染めず、無断で退所し、一時行方不明となった後、脱水状態で再び鹿児島生協病院へ入院となりました。あのとき、「助けてくれ」と涙ながらに訴えた姿は、今でも忘れられません。
その後、地域包括支援センターの協力も得て、介護事業所が運営する賃貸住宅への入居が決まり、約1カ月の入院を経て退院。新たな生活を始めることができました。
以降は要支援認定もおり、周囲のささえを受けながらの生活が続きましたが、一昨年には顎部に悪性腫瘍が見つかり、術後の影響で経口摂取が困難に。胃ろうの造設で、自宅での栄養管理が難しくなったため、介護保険の区分変更申請を経て要介護認定を受け、市内の介護施設へ入所しました。
数年間かかわるなかで、怒りの感情をぶつけられることもありましたが、退院後の定期受診時には私を訪ねて来ることも多く、たくさんの話をするようになり、笑顔も多く見られるようになりました。
家に帰らず人と接する機会がなかった頃と比べると、入院をきっかけに人とのつながりを取り戻せたのではないか、当時の主治医ともそんな話をしました。そして今年の初め、施設で静かに息を引きとりました。
この数年間、私や施設職員、介護関係者とのかかわりが、Aさんにとってどのような意味を持っていたのか、今も思いをめぐらせています。
(民医連新聞 第1833号 2025年7月21日号)
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