診察室から 患者に「必要」なケアとは?
最近私の心をとらえて離さない女性がいます。70歳の女性、Aさんです。リウマチがあり、内縁の夫と死別後は一人ぐらしをしています。関節痛があり歩くのもゆっくりで、アパートの二階に住んでいますが、階段で転んだこともあります。
ここまで聞くとフレイルな高齢女性ですが、Aさんは一筋縄ではいかないキャラクターなのです。お酒を好み、タバコを手放せないAさんは、生活保護を利用していて、支給日の数日後には所持金は100円を下回り、近くのお店に行ってはツケで飲食しています。水道光熱費の支払いも滞り、ある日とうとうライフラインが止まるという事態になってしまいました。水道も止まってしまうと、いのちの危険があるということで、私たち病院のスタッフとヘルパーとケアマネジャーが集まって、対策会議を開きました。当初、私たちはお金の管理をなんとかしようと知恵を絞りましたが、Aさんから金銭管理を取り上げるのもおかしい、となり、最終手段はAさんを病院に入院させようか、という話題がでました。その時に、一人の看護師がポツリといいました。「でも、Aさん困っているんですかね?」全員がはっとしました。たしかにAさんは困っている様子ではないのです。飄々と行きつけのお店に行きちょっとしたお酒とちょっとしたおつまみを食べて、近くにある商店街の中をフラフラフラと歩き、家に帰ってきます。そしていつもニコニコとして過ごしているのです。
型にはまった介護やケアのプランというものにAさんを当てはめてしまうと、私たちは非常に気が楽になるのですが、それはAさんのためのケアではないということに全員が気づかされました。その後も紆余曲折はありましたが、Aさんは今も自宅でくらしています。ライフラインは先日ようやく再開しました。課題は山積みですが、Aさんがなにを必要としているのかという点に全員が一生懸命向き合おうとしているこのチームが、私は大好きです。
(民医連新聞 第1834号 2025年8月4日号)
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