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民医連新聞

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戦後80年 記憶と希望を結ぶ場所 福岡・健和会大手町病院 小倉に輝く憲法9条の碑

 福岡・北九州市小倉北区にある健和会大手町病院前の「9条ひろば」に、憲法9条の碑が建ちました。小倉から平和を訴える意味を、建立にかかわった人たちに聞きました。
(松本宣行記者)

 健和会大手町病院のある小倉は、戦前・戦中に軍都として栄え、西日本最大の兵器工場「小倉陸軍造兵廠」(以下、造兵廠)があった地域です。

負の遺産から生まれた旧病院跡地の活用

 佐藤剛さん(事務)は「当院は2022年3月に新築移転した。旧病院跡地の活用方法を議論したが、ここは造兵廠の跡地。建物の新築も跡地利用も制限があった」と、色濃く残る戦争の悪影響について話し出しました。大手町病院跡地利用プロジェクトが発足し、跡地を「9条ひろば」と名付け、「人が集まれる、ゆっくりできる場所~みんなで創り出す場所~」というコンセプトで、だれでも利用可能な広場にしました。現在は、看護学生や職員の休憩場所、地域の子どもたちの遊び場にもなっています。名称のとおり、平和を発信するため、広場に9条の碑を建立したいという流れができました。

市民の熱意が実現 デザインに込めた願い

 9条の碑の建立のため、2024年7月に「北九州市に憲法9条の碑をつくる会」(以下、つくる会)を結成。デザイン公募と建立募金をすすめました。
 募金は637人から集まり、400万円を超えました。法人職員や共同組織にとどまらず、他団体・企業・法律家など、ひろく呼びかけた結果、「すばらしいとりくみ」との称賛の声とともに寄付がひろがりました。
 永末真也さん(事務)は、「クラウドファンディングのアイデアもあったが、民医連綱領の『地域・職域の人びとと共に』を重視した。地域に根差した関係を実感できた」とふり返ります。
 デザイン公募は17人から21案の応募があり、職員の岡部由美子さん(言語聴覚士)の作品が選ばれました。数字の9と条文が寄り添い、ハート型のシルエットで、未来へ続く意味を込めています。岡部さんは石碑になると思っていましたが、制作会社から繊維強化プラスチック素材の提案があり、配色も自由と知って、岡部さんとつくる会で話し合い、色が決まりました。ピンクはいのちと愛、グリーンは平和を意味します。お披露目となった憲法記念日の5月3日の除幕式には、200人超の市民が訪れました。

戦争と隣接した地でいのちを守り、平和を学ぶ

 小倉は長崎の原爆と密接に関係しています。1945年8月9日、アメリカ軍のB29爆撃機ボックスカー号が原爆ファットマンを搭載し、第一目標の小倉上空に飛来しました。しかし、当日の小倉の上空は、厚い雲と前日の八幡大空襲の煙におおわれて、目視での爆撃が不可能だったため、ボックスカー号は長崎に向かい、原爆を投下しました。
 岡部さんは「戦争中、私の祖父は徴用で造兵廠にいた。小倉に原爆が投下されていたら、私は生まれていない。その造兵廠の跡地に対極ともいえる、いのちを守る民医連の病院があり、そこで私は働いていて、祖父とのつながりを感じる。さらに9条の碑を建てることができた。デザインにかかわれて光栄に思う」と語ります。
 永末さんは碑の建立後、9条ひろばで遊ぶ子どもたちが、条文を読み上げる姿を見ました。「子どもたちが9条を意識した。平和な未来への道筋が見えた気がした」と目を細めます。子どもたちが条文を読めるように、ふりがなをつけたのは、岡部さんの発案です。
 取材当日は、碑の解説文のとりつけ工事が行われ、碑の台座に寄付者の名簿を納める、碑が完成する日でした。つくる会の会長の前田憲徳さん(弁護士)は、台座に名簿を封入後「原爆の投下目標だったこの地に、平和のシンボルができた」と語りました。
 今後9条の碑の建立をめざす、全国の仲間へメッセージを、岡部さんに聞くと「碑をデザインする前に、各地の9条の碑を参照した。土地柄や、地域の事情を反映していた。私も子どもたちが遊ぶ場を意識した。もっとたくさん、いろいろなデザインの9条の碑が見てみたい」と、新たな9条の碑への期待を語りました。

(民医連新聞 第1834号 2025年8月4日号)

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