戦後80年 原爆の実相知った責任を力に 原水禁2025世界大会(広島) 核兵器廃絶と平和なくらしの実現を
被爆80年の今年、原水爆禁止世界大会は広島と長崎で開催されました。被爆者が少なくなっているいま、被爆者とともに、次世代への「継承」を掲げます。8月4~6日の広島大会の様子を取材しました。(髙瀬佐之記者)
次代世につなぐ
8月4日、広島県立総合体育館で広島のつどいが開催されました。現地とオンラインを合わせて2600人が参加しました。被爆体験では、黒い雨の被爆者、胎内被曝者を含む、5人の被爆者から証言を聞きました。広島共立病院の元職員でSWの三村正弘さん(原爆胎内被爆者全国連絡会、事務局長)は、胎内被曝者として証言者の1人として報告しました。被爆した両親は相次いでがんになり、15歳で原爆孤児となった三村さん。「私に被爆体験はない。しかし私は生まれたときから被爆者。最年少の被爆者として継承すること、核廃絶の思いを次世代につなぐことはできる。たたかいつづけよう」と力強いメッセージを参加者たちに訴えました。後半には、田中聰司(さとし)さん(広島被爆者団体連絡会議、事務局長)が、「いのちある限り訴え続けていく。つながりをひろげ、声をあげ続けよう」と発言しました。
青年のひろば
2日目は、参加者が12の分科会に分かれ、学習を行いました。「継承」の思いをつなぐ「青年のひろば」の参加者は250人。学習講演や被爆者の証言、海外の青年活動団体の話を聞き、交流を通じて、核廃絶の思いを語りあいました。長野・上田生協診療所の山本まゆかさん(事務)は、「国によって歴史の伝え方や学び方は違う。交流を通じて視野をひろげていきたい」とのべました。さらに、医学生(沖縄民医連の奨学生)は「証言者が少なくなっていることに危機感を感じる。私たちの世代が証言者の言葉や想いを受けとり、ひろめていきたい。声をあげている人たちを知り、私も声をあげたいと思った」との感想。また、他の民医連職員からは、「今の世界情勢をみて、核廃絶は難しいのでは」という意見も出ましたが、「平和が続くのが当たり前になっている日本だからこそ、平和に対しての青年活動が消極的。民医連の青年職員として、平和をつなぐ活動をしていきたい」と熱い思いも語りました。
民医連参加者で交流集会
2日目夜の民医連参加者交流集会では、全国から300人の民医連職員が集いました。記念講演では、被爆者で、福島生協病院のSWだった山田寿美子さんが、思いを職員へ伝えました。
山田さんは2歳の時に被爆。父の骨は見つからず、母も2週間後に亡くなりました。傷を負い、戦後は原爆孤児として、偏見にさらされる被爆者として、孤独とたたかってきました。山田さんはこの間、急激に白血球が減っており、体調の不安があることを参加者たちに打ち明けました。続けて「被爆者のほとんどの人たちが、いつ病気になるかわからないという不安を抱えて生きている」と語り、「核兵器をなくすために、いまこそ世界の人と、地域の人とつながることが重要」と呼びかけました。
山田さんが用意したメモ用紙には、ペンでびっしりと文字がつづられていました。「『親がいてくれたら』そう思って生きてきた。私のような戦争孤児はなくしたい」山田さんの切実な思いが胸に刺さりました。
後世につなぐ
ある民医連青年職員は「いま、ここで世界から核をなくそうとがんばっている人がいる一方で、無関係だと思っている人もいる。友人には活動を『きれいごと』といわれた。しかし私たちは、事実を知った責任がある。ひろめていく力が求められている」と語りました。
被爆80年。過ちを繰り返させないために、いのちとくらしを守る、民医連で働く私たちから被爆者の思いをつないでいくことの大切さを学んだ大会でした。
(民医連新聞 第1835号 2025年8月18日号)
