優生保護法問題 学習講演 すべての被害者に補償を 弁護士 藤原精吾さん
全日本民医連は8月1日、藤原精吾さん(弁護士、優生保護法国賠訴訟兵庫弁護団長)を講師に、『すべての被害者への補償実現、優生保護法問題の全面解決にむけて』の学習講演を全日本民医連会議室で行いました。
1948年から1996年まで施行された優生保護法で、強制的に不妊、中絶手術を受けさせられた被害者は約8万5000人にのぼります。昨年7月の最高裁判決から1年が経過し、当面の焦点は、被害者への補償と尊厳の回復です。2025年1月に、補償法が施行されていますが、認定件数は同年5月末で582件と、全被害者の1%にも達していません。また、被害者一人ひとりに、補償対象であることを知らせる「個別通知」を実施している自治体は、全国で8県にとどまっています。10~20代で不妊手術を受けさせられ、苦しみを抱えて生きてきた被害者のために、早期の全面的な解決が求められています。
■医療従事者として
優生保護法は、当時の厚生省(現在の厚生労働省)が中心となり、医師や政治家の意見を取り入れながら法案が作られました。国は該当となる障害リストを提示し、遺伝性のない病気や、原因不明な病気も不妊手術の対象としていました。さらに、医師は対象者を見つけた際、行政に申請する必要があり、本人が手術を拒否した場合、「だましても良い」「拘束して麻酔で眠らせても良い」という運用がされていました。また、本人の同意が得られない場合は、家族に同意させて手術することも。厚労省によると、当時不妊手術を受けた人は約2万2000人。そのうちの約8000人は家族の同意で手術が行われました。家族は、社会からの差別的風潮や経済的負担、制度上の圧力から、同意に至ったケースが多いといいます。
藤原さんは、「優生保護法の法制定と実施にあたり、医療従事者の果たした役割は極めて大きい。手術を実施してきたのは医師。医療団体はこの人権問題に向き合い、いまも被害者の問題は続いていることを認識してほしい」と指摘し、「人間の価値基準をランク付けする考え方が、どう間違っていたか。内なる優生思想がどのようにして生まれたのか。過去の反省をするならば、この問題に真剣に向き合うべき」と訴えました。
■尊厳と名誉を取り戻す
被害者には、「自身が手術を受けたことを知らされていない」「補償法で、補償請求ができることを知らない」「請求したくても自身で手続きが難しい」人びとがいます。行政記録や病院のカルテ調査、被害者の掘り起こしなど、すべての被害者に補償を届ける活動は、人としての尊厳と名誉を取り戻すことです。優生手術がどのような人に、どのように行われてきたかを社会へ明るみに出すことにつながります。
優生保護法の目的は、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止すること」。背景には、欧米諸国ですすんでいた「優生学」やナチス・ドイツの強制断種政策を参考にしていました。差別や分断があおられるいま、優生保護法の犯した罪を、社会が見つめなおす活動が求められます。藤原さんは、「人間は、一人として同じ人はいない。違って当たり前だということを前提にした社会にしていきたい」と訴えかけます。
無差別・平等を掲げる民医連として、人権意識の学習や、当事者としての結びつきを、さらに強めていく必要があります。藤原さんは、「患者や障害者、当事者たちと共同のいとなみを通じて、優生思想の誤りについて、個人の尊厳や人権と倫理について学び続けてほしい」と民医連に期待を語りました。
●民医連としてのとりくみ
熊本民医連は、人権をめぐる運動を活発にとりくんでいます。川上和美さん(全日本民医連副会長)は「人権問題をまずは幹部が学び、ひろめていく。学習のなかで、医療は人権の最先端にいると気づいた。自治体で温度差の違う人権問題に、医療従事者である私たちからとりくんでいく意義がある」と活動を呼びかけました。
きょうされんの、佐藤ふきさんは「優生保護法は当時、社会全体が、本人の思いを無視して、『善かれ』と思ってやっていた。意識感覚的には、障害分野に限らず、子育てにも共通する部分があるのではないだろうかと思う。人権問題は、問題意識をしっかり持っていないと見失ってしまう。だからこそ学び続ける必要がある。民医連とのつながりは大きく、心強い」とのべました。
山本一
さん(全日本民医連副会長)は、「被害者問題や社会課題は、いまも続いている。同じ医師として、当時に自分が同じ立場にいたら、どのようにこの法律にかかわっていただろうか、と考えさせられた。民医連として繰り返し学び、行動していきたい」と今後の思いを語りました。
「旧優生保護法補償金等に係る特設HP」
子ども家庭庁

(民医連新聞 第1836号 2025年9月1日号)
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