第17回学運交 記念講演 不条理のそば黙って通りすぎない フォトジャーナリスト 安田菜津紀さん
都内で開催した第17回全日本民医連学術・運動交流集会で10月10日、フォトジャーナリストの安田菜津紀さんが「紛争地、被災地に生きる人々の声 ~取材から見えてきたこと~」と題し、講演をしました。概要を紹介します。(髙瀬佐之記者)
■福島県大熊町の捨石塚と原発
スクリーンに映し出されたのは、福島県大熊町にある「捨石塚」と刻まれた慰霊碑。「これ、何かわかりますか?」安田さんは参加者へ問いかけます。
戦時中、大熊町には磐城(いわき)飛行場という特攻隊の訓練飛行場がありました。積みあがった丸石は、特攻訓練に集められた若い兵士たちが、先に戦地へ向かった仲間を思い、海から拾って積み上げたものだと伝えられています。のちに磐城飛行場跡地は東京電力福島第一原発の建設場所となります。そして今、周辺には除染廃棄物を保管する中間貯蔵施設がひろがっています。「国策の名のもとに、同じ土地がくり返し犠牲にされてきた。このことはあまり知られていない」と安田さんは指摘します。
■娘を探す父の12年
東日本大震災、当時小学6年生だった、娘の汐凪(ゆうな)さんを津波で亡くした木村紀夫さん。遺骨が見つかるまでの年月と、奇跡的ともいえる発見の瞬間を紹介しました。しかし、遺骨を見つけた木村さんは「喜びたくても喜びきれない」と安田さんに伝えます。「震災直後、捜索中に起きた原発事故で、その場から避難せざるを得なかった。自分はあの時、生きていたかもしれない娘を置き去りにしてしまった」。木村さんは今も自責の念にかられています。
そんな木村さんが出会ったのが、沖縄で40年以上にわたり戦没者の遺骨収集を続ける具志堅隆松(たかまつ)さん。娘の捜索現場を残したいが、娘一人のために遺構にしてよいのか葛藤する木村さんに、具志堅さんは「一人のいのちを大切にできない社会が、みんなを大切にできるはずがない」と応えました。その言葉は、戦争・震災・原発という異なる現場を超えて、「いのちの尊厳」という一点で重なり合います。
映像には、2022年に大熊町で汐凪さんの遺骨を見つけ出す様子が。「今、お父さんが掘り出すからな」。具志堅さんの声が会場に響きます。
安田さんは山口県の海底炭鉱「長生炭鉱」も紹介し「語られていないいのちがある。いのちをないがしろにする社会が、生きている人間の尊厳を守れるだろうか」と問いかけ、「この人たちはなぜ死ななくてはならなかったのか。国の責任はどこに行ったのか。あやふやにされては困る」具志堅さんが訴えていた言葉を、安田さんが参加者へ力強く伝えます。
■「そこには営みがあった」
戦場になる前のパレスチナ自治区ガザ地区の写真。穏やかな海辺の街、子どもたちが凧をあげる姿。毎年行われていた、東日本大震災の復興を願ったイベントの様子です。安田さんは、学校で凧の準備をする14歳の少女シャヘドさんを紹介します。「私は日本から送られる支援物資で育った。次は私が日本の人たちに何か伝えたい」。涙を流し日本へ思いを語っていたシャヘドさん。2023年11月、その学校は爆撃を受け、今は跡形もありません。安田さんが、シャヘドさんへ宛てた安否確認のメッセージは未だ、既読がつかないままです。「ガザは初めから瓦礫(がれき)ではなかった。封鎖下にも日常が、営みがあった。ガザでくらしていた人たちはなぜ死ななくてはいけなかったのか。『この少女は、日本の復興を願い、良いことをしたから守られるべきだ、守ってあげよう』ということではないはず。そもそも世界中の、どんな人でも子どもでも、いのちや人権は守られるべき」と話します。
安田さんがもう一人紹介したのは、ヨルダン川西岸の放牧地でくらしていた男性。かつては豊かな緑がひろがっていた場所も、今はイスラエル入植者の襲撃で荒れ果てています。彼は安田さんに「ねえ。どうしたらいい?」とくり返し問いかけました。「その問いに、私たちはどう応えることができるでしょうか」安田さんは静かに、参加者に投げかけます。
■知ることを知らせる
安田さんは、最後に具志堅さんの言葉を紹介します。「『不条理のそばを黙って通りすぎない』ためには、不条理に気づき、語り続けること。福島や沖縄、遺骨捜索、ガザのこと。皆さんが今日『知ったこと』を、まずは身近な人に『知らせる』ことをしてほしい」と話しました。
(民医連新聞 第1840号 2025年11月3日号)
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