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民医連新聞

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人権としての社保運動交流集会学習講演 共生社会実現に声なき声を聴く姿勢 東京都立大学教授 矢嶋里絵さん

 10月24日、全日本民医連が都内で開催した「人権としての社保運動交流集会」で東京都立大学教授の矢嶋里絵さんが「知的障害のある人と家族の人権 ~津久井やまゆり園事件を契機に~」をテーマに学習講演をしました。概要を紹介します。(髙瀬佐之記者)

■津久井やまゆり園事件の根

 2016年に発生した津久井やまゆり園事件は、知的障害のある入所者19人が殺害された事件。9年がたち、事件の風化がすすむなかで、矢嶋さんは「今こそ『なぜ事件が起き、社会のどこに問題があったか』を考える必要がある」と語ります。
 加害者である元職員は犯行時「障害者は不幸しか生まない。心を失った人間を殺しても誰も悲しまない」と発言。裁判では被告の責任能力の有無ばかりが注目され、差別や偏見がどのように形成されたのかという本質的な部分は解明されませんでした。その結果、「事件の根が掘り下げられないまま終わった」という障害当事者や被害者家族の失望が残る結果に。
 その後も、精神科病院や障害者施設での虐待、暴行、長期拘束などの事件は各地で発生。津久井やまゆり園事件のような悲劇を生む「土壌」は消えていません。

■事件が起こりうる土壌

 2023年には、東京都の滝山病院で患者への暴行や過剰な拘束が明らかに。しかし、精神病院協会会長の山崎学さんは東京新聞の取材で「地域で見守る? 誰が? 病院にいた方が幸せだ」と語り、社会に根強く残る「隔離の発想」が浮き彫りに。矢嶋さんが学生やケアワーカーに山崎さんの発言を紹介すると、「一理ある」と感想を寄せる人が少なからずいるといいます。障害のある人を「社会が受け止めきれない存在」として排除する意識が、社会全体で浸透している現状もまた事実です。
 神奈川県立の障害者入所施設「中井やまゆり園」でも、事件後に虐待が。暗い部屋に長時間閉じ込め、拘束をくり返すといった行為が明らかになりました。
 悲劇は施設内にとどまりません。2024年、千葉県長生村で、70代の父親が知的障害のある息子を殺害する事件が。この家族はかつて中井やまゆり園を短期利用していましたが、虐待発覚後の入所停止措置により受け入れ先を失いました。父親は介護の限界を訴えていましたが、支援につながることができず、孤立の末、犯行におよんだとされています。事件後の検証委員会は「家族の責任ではなく、社会全体の支援不足という『社会的ネグレクト』として捉えるべき」とのべました。また、「親亡き後、子はどうなるのか」という家族の不安は長年の課題です。親自身の人生が犠牲になり、きょうだいがケアを担う「ヤングケアラー」も増えています。貧困や虐待など、複雑な問題が重なっており、単に「地域に移れば安心」という話ではありません。

■社会の意識の遅れ

 制度を整えても、それをささえる国民の理解や価値観が変わらなければ意味がありません。2023年の世論調査では、「障害に対する偏見がある」と答えた人が約9割、「障害者差別解消法を知らない」と答えた人が7割を超えています。矢嶋さんは「無関心のままでいる限り、差別や排除の芽は消えない」と強く訴えます。
 息子が津久井やまゆり園入所者で幸い被害を免れた平野泰史さんは、「あの事件が起きても不思議ではなかった」と語りました。この言葉に矢嶋さんらは大きな衝撃を受けたといいます。矢嶋さんは、「事件を加害者個人の特異な思想にもとづく凶悪犯罪として終わらせてはいけない。施設の構造や、社会福祉、法制度などの要因が事件に関与している。要因を解消しなければ事件はくり返される」と指摘します。

■障害者である前に人間

 全国の知的障害のある人の当事者団体「ピープルファースト」は事件後、神奈川県知事へ要望書を提出しました。要望書には、当該被告人の「心を失った人間」という発言に杭を打つように「私たちは障害者である前に人間です。自分の名前が言えない人でも心があります」と書かれています。
 知的障害のある人は、今もなお「施設」や「家族」に生活の多くを委ねざるを得ない現実があります。矢嶋さんは「なぜそのような形が続いているのか、本人が自分らしく地域で暮らすために、法や支援がどうあるべきかを明らかにしたい」と語ります。また「本人たちの声なき声を聴くこと、理解しようとする姿勢を大切にすること。その先にこそ、誰もが安心して生きられる共生社会が見えてくるのではないか」と話します。
 事件から9年。津久井やまゆり園事件は、社会に問いを投げかけ続けています。障害のある人を「守られる存在」としてではなく、一人の人間として尊厳をもって生きられる社会へ。
 事件を過去の出来事にせず、私たち一人ひとりが差別や無関心を生まない社会づくりに向き合うことが求められています。

(民医連新聞 第1841号 2025年11月17日号)