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民医連新聞

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診察室から 出会い学んだ「患者が私の心に残る」生き方

 中二の時に歴史年表を眺めながら「歴史に名が残るような人生を送りたい」と思いました。でも「それは無理」とすぐに悟り、「ならば自分がいなくなった後でも、人の心に残る生き方をしよう」と心に決め、医師を志しました。
 医師になって数年後、看取った患者の孫が私のことを作文に書いてくれました。「人の心に残る」は医師として仕事をしていれば自然に起こることと気づき、この職業に就けたことへの達成感は感じたものの、なんだか少しあっけなく思ったことを覚えています。
 卒後12年目、出産を機に今の勤務先に移りました。毎月の会報紙に、印象に残った患者のことをつづりました。心不全を患いながら家業をささえた町工場の奥さん。子どもをかばって事故に遭い、輸血でC型肝炎に感染、のちに肝がんを発症した元仕立て職人のおじさん。心優しく誠実に生き、たまたま主治医となった私を信頼してくれた患者たちに、果たして自分は本当に全力で応えたのだろうか―何度も自問しました。やがて、気づきました。「患者が、私の心に残っている」ことに。
 出会い、ともに歩んだ時間のなかで、患者や家族から多くを学び、人生を豊かにしてもらっていたのは私の方でした。「私が患者の心に残る」よりもむしろ「患者が私の心に残る」ことで、私は自分だけではなし得ない様ざまな思いを体験し、人として成長させてもらっていました。医師という仕事のありがたさを、あらためて心から感じ、この職業に就けた運命に心から感謝しました。
 東京電力福島第一原発事故後、放射能から子どもを守る活動にかかわるなかで、医師には診察室の外で果たすべき社会的な使命があると気づきました。民医連には、水俣病や放射能問題などにとりくんできた大先輩が多くいて、学べる機会が多彩で、助けられています。患者、そして仲間との出会いに感謝しながら、これからも患者と社会に、医師として恩返しをしていくために学び、行動していきたいと思っています。

(牛山元美、神奈川・さがみ生協眼科・内科)

(民医連新聞 第1842号 2025年12月1日・15日合併号)

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