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民医連新聞

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第41回 民医連全国青年ジャンボリー in 兵庫 コロナ禍のり越え仲間と笑顔で埋め尽くす

阪神・淡路大震災から30年
困った人に向き合う姿勢は民医連綱領が指針

 昨年11月27~29日、兵庫県で第41回民医連全国青年ジャンボリーin兵庫を開催し530人が参加。韓国グリーン病院からも3人の青年職員を招待しました。完全対面での開催は6年ぶり。阪神淡路大震災から30年となった今集会。全国の青年職員の学びと出会いの様子を紹介します。(髙瀬佐之記者)

 会場に向かうキャリーケースを引く青年たちは緊張の面もち。今回のジャンボリーのテーマは「今何しとう? 会って話そうや~6年ぶりの再開 県を越えて出会い仲間と笑顔で埋め尽くそう~」です。実行委員が作成したオープニング動画は、過去2回のWEB開催の様子をふり返りました。開会あいさつは、全国実行委員長の西村理央さん(京都・SW、JBネーム:らる)。「初めて会う人ともたくさん話し、学びを持ち帰ってほしい。この大会が終わった時に、出会えてよかったと思ってもらいたい」と話します。
 全日本民医連副会長の眞木高之さん(島根・医師、JBネーム:たーぼう)は民医連がめざす社会と、現在の社会情勢に触れ「民医連綱領の実現には、今までの方法を大きく変える必要もある。その原動力は、体力、気力、夢のある青年たち。お互いに助け合う仲間を増やす機会にしてほしい」と呼びかけました。兵庫民医連会長の大澤芳清さん(医師)は、1992年に兵庫県淡路島で開催した第21回民医連全国青年ジャンボリーの実行委員長。「30年以上たった今でも、当時の仲間とつながりがある。学び、兵庫県を楽しんでほしい」と歓迎のあいさつをしました。

大交流会

 全58班は、県を越え多職種で構成。初日に交流しながらお互いにJBネームを決めました。怪獣の着ぐるみや、有名キャラクターにふんした実行委員の大交流会班が大きな声で会場に呼びかけ、全員でウエーブをし、徐々に緊張もほぐれます。
 夕食交流会でも、大交流班が会場を盛り上げます。兵庫民医連の職員たちもダンスを披露。その後は班対抗の「早口言葉」、全員参加の「じゃんけん大会」など。会場には大きな歓声や笑い声が。参加者たちの親睦を深める大きな交流会になりました。

学習講演
阪神・淡路大震災と民医連の災害支援

兵庫民医連前事務局長 東郷泰三さん

 震災当時、東郷さんの自宅は大きく壊れ「飛行機が団地にぶつかったと思った」とふり返ります。長屋など、古い住宅が多い地域ほど被害が集中し、所得格差が被害の大きさに直結。避難者数は32万人以上に。神戸市の5人に1人が避難生活を余儀なくされました。震災後、民医連の支援者は1万3000人にのぼり、地域に出て安否確認や支援物資の配布、健康チェックなどを継続。「地域はもう一つの病棟」という民医連の姿勢が自然に実践されました。被災後の医療現場の対応は極めて過酷で、孤立した病院は自力で対応するしかなく、「家族や関係者以外の患者は受け入れない」という地域の病院も。東郷さんは、「われわれも全国の民医連の支援がなければできなかった」と言った当時の兵庫民医連医師の言葉を紹介しました。
 東郷さんは、災害関連死が多く発生する現状をしめし「関連死をさせない地域社会づくりが必要」と指摘。海外で運用されている「スフィア基準」(被災者支援の最低基準)を紹介しました。また「綱領の視点で、地域の実態を発信し、声をあげることで社会を変える力になる。災害支援は、日々の医療の延長線」とのべました。

これからの世代が創る民医連の災害支援〜想いを重ね未来へ〜

奈良・土庫病院(医師) 下林孝好さん

 民医連の災害支援の原点は1954年の結成初年度に起きた北海道岩内町の大規模火災にさかのぼります。その後も災害は各地で起き、支援を続けるなかで仲間が全国にひろがり、民医連の組織を大きく育ててきました。
 阪神・淡路大震災では、救急搬送を断らなかった病院のうち2つが民医連の病院。患者を断らない姿勢が貫かれていました。東日本大震災では1万5000人を超える支援者が集まり、日本赤十字社に並ぶ規模に。下林さんは「民医連だから災害に強いのではなく、困った人に向き合う姿勢が結果として災害でも力を発揮している」と語り、「『困ったところに民医連あり』という言葉を忘れないでほしい」と呼びかけました。
 講演後は、災害をテーマにしたワークショップが行われました。各班には、震災から1週間~半年後など、それぞれ異なる場面設定のシナリオが配られ、班ごとに起こりうる課題を出し合い、「民医連としてどんな支援ができるか・どんなとりくみが必要か」を話し合い、青年ならではの発想で活発な意見を交わしました。最後は各班で「行動宣言(自分たちが災害支援に行ったら)」を一枚の紙に書き出します。「最後の砦になる」「多職種連携プレーで支援に孤立をつくらない」と記入した班も。下林さんは「民医連職員として、どんなときも『ささえる気持ち』を忘れないでいてほしい」と訴えました。
 最終日は、全58班から集まった行動宣言を一つずつ紹介。下林さんは「私たちの行動は、民医連綱領をもとにしている。綱領が、最終的に災害支援でも指針になる」と話しました。

震災遺構フィールドワーク

 2日目は、神戸の震災遺構をスタンプラリー形式で巡ります。慰霊碑や、被災した高速道路の陸橋など19ポイントのうち、マストポイントは実行委員がガイドを務めました。午後は、「阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター」を見学。写真パネルや映像、遺品などで災害時から復興や防災を学び、参加者たちは真剣なまなざしで展示を見つめます。
 6年ぶりに参加した平田菜実さん(大阪・事務、JBネーム:女王様)は「歴史を学び、災害に備える勉強になった。全国の民医連のつながりに驚いた」と話します。今回初めて参加した小谷玲央さん(兵庫・理学療法士、JBネーム:社長)は「他県の多職種と話せて楽しかった。明日からの活力にしたい」と話します。
 3日目は下林さんの講評と振り返り。最後には班メンバーで寄せ書きにメッセージを書きます。多くの寄せ書きに「出会えてよかった」の文字が。閉会後は、各県で順番に退場。抱き合って「また会おうね!」と言葉をかわす人も。初日の開会時には見られなかった笑顔が溢れます。
 今回初めて参加した田中雄裕さん(宮城・歯科医師、JBネーム:じゃがビー)は、「今回は、先輩医師たちが声をかけてくれて参加した。自分もいつか後輩医師を送り出したい」と話します。また新卒入職して参加した稲田真聖さん(高知・看護師、JBネーム:ランナー)は「ここに来て、ひとりぼっちじゃないと思った。全国に仲間ができた気分」と話します。
 コロナ禍をのり越え、全国の青年職員をつないだ今大会。3日間の様子をふり返ったエンディング動画は感動を呼びました。
 次回の2027年は福岡県で開催。閉会式で兵庫県からバトンが渡されました。
 民医連の未来をつくる青年職員。学びを持ち帰り明日からの実践につなぎます。

(民医連新聞 第1843号 2026年1月5日号)