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民医連新聞

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診察室から 人を幸せにするコミュニケーション

 私は、生まれつき耳が聞こえません。音に頼らない人生は、決して特別な修行ではなく、私にとっては「当たり前の日常」です。生を受けて39年、医師として14年、多くの人びとや患者とむき合うなかで、私はずっとコミュニケーションについて考え続けてきました。私にとってコミュニケーションとは、言葉を聞き取ることではありません。表情のわずかな変化、顔色、呼吸のリズム、視線の揺らぎ。そうした細やかな情報を全身で受け取り、相手の気持ちを理解しようとするいとなみです。耳が聞こえないからこそ、「相手をしっかり見る」ことは、成長の過程で自然と身につきました。
 その姿勢を、患者はこう言います。「ちゃんと目を見て話してくれる。安心できる」と。医師としてこれ以上ありがたい褒め言葉はありません。しかし同時に、私はためらいも覚えます。コミュニケーションは一方通行ではなく、相互の歩み寄りによって初めて成立するものだからです。
 情報技術がどれほど進歩しても、人が人らしく幸せに生きるための基盤は、やはり人と人との確かなかかわりにあります。ところが、いつものやり方が「正しい」「当たり前」だと思った瞬間、私たちの思考は硬直し、柔軟性のあるコミュニケーションを失ってしまいます。ろう者は、音声中心の社会のなかで、知らず知らずのうちに孤立します。それは、年齢を重ねて耳が遠くなった人にも共通する現実です。「無意識の抑圧」は、善意の顔をして社会に潜んでいます。
 だからこそ、自らしっかりと声をあげ、耳を傾ける姿勢を見せることが大切です。互いに一歩踏み出すだけで、社会はきっと優しくなれると信じています。
 人を幸せにするのも、不幸にするのも、コミュニケーションから始まります。たった一度きりの人生を、温かい理解の連鎖で満たしていきたいと願う人がほとんどではないでしょうか。それを達成できるかどうかは、私たち一人ひとりの選択にかかっていると思います。

(今川竜二、大阪・東大阪生協病院)

(民医連新聞 第1845号 2026年2月2日号)

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