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民医連新聞

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診察室から 原点

 2004年の臨床研修必修化と同時に、耳原総合病院で初期研修を開始し、修了後は総合診療医として働いています。民医連で研修をしようと思った理由は、医師を志した原点でもある、困っている人の役に立てる人間になるための経験を積むことができると感じたからでした。しかし、医師として多くの患者とかかわるなかで、医学・医療の枠組みでは対応できない問題があまりにも大きいことに無力感を感じるようになりました。
 そんななか、偶然の出会いから2012年に全日本民医連保健予防・ヘルスプロモーション委員会(当時)に入れてもらい、その流れで2015年日本HPHネットワーク(J―HPH)結成時から運営委員を務め、日本プライマリ・ケア連合学会SDH検討委員としても活動しています。それらの活動を通して、ヘルスプロモーションやSDHの学びを深め、患者さんの問題点を個人に起因するミクロレベルだけでなく、地域やコミュニティに起因するメゾレベル、社会や国家に起因するマクロレベルに層別化して捉える視点を身に着けることができるようになりました。このことは自分のなかに生じる無力感や患者や周囲の人たちに対して抱いてしまう陰性感情とむき合う上で大きな力となっています。一方で世の中に目をむけると、残念ながらJ―HPH前CEO島内憲夫先生が常におっしゃっている「ヘルスプロモーションの最大の敵は貧困、究極の目標は平和である」という言葉の実感がどんどんリアルになってきています。
 私が医師を志した原点の原点は、8月9日に長崎で産まれたというもう一つの偶然です。世界に目をむけると無力感にさいなまれてしまいますが、子どもたちが戦争に巻き込まれず生きていくことができる世の中であってほしいと強く感じています。戦後80年であった2025年がいつまでも新たな戦前と呼ばれることなく、戦後90年、戦後100年と年月が過ぎていくために、自分にできることを、仲間を増やしながらとりくんでいきたいと思っています。

(大矢亮、大阪・耳原総合病院)

(民医連新聞 第1846号 2026年2月16日号)

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