私たちが求めるケア ⑨本人・家族が苦闘しながら切り開いてきた地平 文/山内雅弥
「夢と現実の境界にある恍惚の世界に魂を浮ばせているようだった」。有吉佐和子のベストセラー小説『恍惚の人』(1972年)が描いた認知症観は、社会に強い衝撃を与えただけでなく、その後も日本人の心に長く影を落としてきました。そんな時代、孤立無援のなかで介護に苦しむ家族が声を上げたのが1980年1月、「呆け老人をかかえる家族の会」(現・認知症の人と家族の会)です。京都に全国から90人が集まり、堰を切ったように胸にためてきた思いを語り合いました。同じ立場の者同士の共感は、今も活動の柱である「つどい」へと受け継がれています。
支部結成は全国にひろがり、広島県でも翌年5月、5人の介護家族を中心に支部が誕生。早川一光医師らとともに、認知症啓発の講演を重ねました。まだ介護保険もない時代、家族は必要に迫られ、支援の形を自ら生み出していったのです。
1986年に広島市内で始まった「詫老いこいの家」は、「1時間でもほっとする時が欲しい」という切実な声から発足。介護を経験した会員が本人を預かり、家庭的な雰囲気のなかで半日をともに過ごす。自宅を離れ、家族以外の人とかかわることで本人が少しずつ前むきになっていった姿が忘れられません。本人の好みを尊重し、家族とともに喜びを分かち合う姿勢は、まさに認知症ケアの原点でした。
2004年には、全国に先駆けて若年性認知症のつどい「陽溜まりの会」を結成。若年性認知症の妻の介護と仕事の両立に悩んでいた2人の男性からの相談がきっかけでした。2007年の「若年期認知症サミット」開催へとつながり、全国へ陽溜まり運動がひろがりました。
認知症ケアは、医療や福祉の専門職だけでなく、本人と家族を取り巻く地域社会のスクラムがあってこそ成り立ちます。私たちは、一貫して本人・家族と同じ目線で不安に寄り添い、ともに試行錯誤しながら道を切り開いてきました。その歩みは、AI時代になっても決して変わらないと確信しています。
やまうち まさや 認知症の人と家族の会・広島県支部副代表
(民医連新聞 第1858号 2026年8月17日号)
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