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民医連新聞

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これで学ぶ 暮らしのなかの社会保障 ⑥戦時体制下の社会保険制度と医療:その歴史的背景

 1931年の「満州事変」や1937年の「盧溝橋事件」をきっかけに日中戦争が勃発し、日本は本格的な戦時体制へ移行しました。この軍事的要請に伴い、特殊な社会保険の整備が行われました。
 1936年には、寺内寿一陸軍大臣が兵士の健康状態を危惧し、国策としての保健制度樹立の必要性を提唱しました。その後、軍事的必要性から1938年1月に厚生省が設置され、同年4月には国家総動員法、7月には国民健康保険法が施行されました。さらに1939年には船員保険法や職員健康保険法、1941年には労働者年金法(厚生年金の前身)が制定されるなど、戦時体制をささえる法整備が急ピッチですすめられました。
 戦時下で生まれたこれらの制度、とりわけ国民健康保険について、2012年発行の『平成24年版厚生労働白書』では「健兵健民政策としての性格を有していた」と明言されています。法学者の風早八十二(やそじ)は、当時の徴兵検査の結果によって兵力そのものの危機が露呈したことが国民健康保険法案の背景にあると指摘し、「医療の社会化せしめたモメントはかえって凄(せい)絶(ぜつ)なる戦争要求であったという逆説的な事態が示される」と批判しています。海運の国防上の重要性から制定された船員保険法や、都市生活者への浸透を狙った職員健康保険法も、同様の文脈に位置づけられます。
 健兵健民政策として創設されたとはいえ、本制度を公的に全面的にささえる発想は当時ありませんでした。
 帝国議会での政府委員による「本制度ハ中産以下ノ者ヲ対象ト致シテ居リマスノデ、貧窮者ト雖(いえど)モ可及的ニ之ヲ包含シ、共済ノ精神ニ則リ相携へテ其成果ヲ発揚セシムル」との説明や、同法第1条にある「相扶共済ノ精神ニ則リ」という文言からもわかるように、困窮する国民同士の相互扶助として位置づけられていました。この背景には、「道徳主義を強調することを通じて国庫負担を軽減しようとする姿勢」があったと指摘されています。
 太平洋戦争の開戦に合わせた1941年には、労働者年金法が制定され、翌1942年に施行されました。同法は廃疾年金に3年、遺族年金と老齢年金に共に20年の保険料拠出期間が必要であったため、一定期間は給付を行わずに積立金を増やす仕組みになっていました。名目上は労働者の老後・遺族・障害への生活保障を目的としていましたが、その真の目的は「生活保障を餌に戦費調達をはかる」ための制度であったといえます。
 歴史的な経緯を知ることは、現代の社会保険制度、特に医療保険や年金制度を多角的に見つめ直す上でも重要です。

社会保障研究者・水彩画家 芝田英昭

(民医連新聞 第1861号 2026年10月5日号)