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民医連新聞

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第17回看護介護活動研究交流集会 記念講演 「おもしろいね」の視点でケア実践

上智大学外国語学部教授 小川公代さん

 上智大学教授の小川公代さんが、「ケアする惑星~他者への想像力から自分の言葉でケアを語り直すために」をテーマに講演。概要を紹介します。(奥山千佳記者)

 夏目漱石が30代前半で仕事のためイギリスに単身留学し、苦労していたことはあまり知られていないかもしれません。なぜこの話から始めたのかというと、ケアは「弱さを知る」ことなのではないかと思うからです。弱さは何かきっかけがなければ、なかなか自分で気づけないものです。外国では言葉が通じず、価値観も全く違う。日本では暗黙の了解で理解し合えることも、イギリスでは言葉にして初めて相手に伝わる文化が醸成されてきました。しかも外国語ですから漱石もおそらく、苦労を重ねたのではないかと思います。

■「ストレイ・シープ」

 留学から戻った漱石は、しばらくして朝日新聞に『三四郎』を連載します。キーワードは、作中に何度も出てくる「ストレイ・シープ(迷える子羊)」です。能力主義的な社会で、自分たちはあえて「そういう価値観とは距離を置きたい」という気持ちが現れた言葉です。
 もちろん、能力主義を避けて通ることはできませんが、能力主義に自分の存在を全部飲み込まれてはいけないといつも思っています。

■カイロス時間とクロノス時間

 小説を読んだとき、過去の経験や思い出、感情を思い出す時間があります。これを私は「カイロス的時間」と呼んでいます。これはアガンベンという哲学者も使っています。「クロノス的時間」とは、朝起きて、出社するなど、時系列に沿った時間のことです。
 カイロス的時間とは記憶や想像力でつながる時間とも言えます。たとえば、母と私の間には、2人が共有してきた時間があります。かつて私の母が味方になってくれたおかげで、フルートを習えた記憶がありますが、その母と共有した経験をたどる時間は、まさにカイロス的な旅を経る感覚があります。そういう奇跡の時間なのだと思います。

■能力主義からストレイする

 以前私は母に「歩くのが遅い」と言ってしまいました。これは能力主義の悪いところで、「早く歩ける人」と「早く歩けない人」という優劣で分けて、自分が優れた人間だと勘違いしてしまう。それが言葉の暴力であるということを私たちはあまり考えません。
 私たちはケアをして初めて、自分がいかに傲慢な人間だったかに気づかされるのではないでしょうか。
 組織開発コンサルタントの勅使川原真衣さんの著書『人生の「成功」について誰も語ってこなかったこと』の帯文に、わたしは「『すごいね』より『おもしろいね』」と書きました。「すごいね」は優劣をつける言葉。「すごい」ではなく「おもしろいね」のほうがいいのではないかと私は思います。

■コスパでは測れない仕事

 勅使川原さんは、「能力主義を疑ってかかりましょう」と言います。
 医療だけでなく、教員の仕事も、まさに「コスパ」とはかけ離れたケア実践だと感じています。ケアにかかわる仕事の処遇はよくないと言われていますが、それは「ケア実践」に価値が与えられていないからです。コスパが悪いなら、そういう職種には就かないという人が出てきても不思議ではありません。でも、そんな未来を私たちは望んでいるでしょうか。コスパでは測れない価値ある仕事が、私は本当に大切だと思っています。

■見せる安心、感じる安心

 勅使河原さんによると、安心には「見せる安心」と「感じる安心」の二つの側面があり、能力主義や、優劣の評価につながるものを求める人の多くは「見せる安心」にとらわれているといいます。
 私は、この「見せる安心」と「感じる安心」を、ケアをするときに当てはめて考えています。たとえば、母と手をつないで病院から薬局へ向かうとき。「見せる安心」は、「私はケアをがんばっています、すごいでしょう」と人に評価されることを期待するものです。他方、「感じる安心」は、母と歩く時間そのものが本当にかけがえがないとその瞬間感じていることです。

■偶発性に満ちた人生

 人生は偶発性に満ちています。悲劇にも遭うけれど、笑いに変わるような偶発性もそこに含まれています。紆余(うよ)曲折がありますが、ケアとともにある人生は、コスパではない。「すごいね」でなく「おもしろいね」という感性で生きていきたいと思います。
 みなさんが素晴らしい活動をされていることに、私も私の母も助けられています。ぜひ、「おもしろいね」という楽しさを実感しながら、ケアの実践を続けていっていただければと思います。

(民医連新聞 第1863号 2026年11月2日号)