いつでも元気

2002年3月1日

アメリカでひろがる草の根の“戦争反対”

「テロの実行犯も、テロリストをかくまう国も同罪だ」として、アフガニスタン以外の国にも攻撃を広げるというブッシュ大統領。
 マスコミ報道ではアメリカ国民の「報復戦争反対」の声はほとんど伝わってきませんが、実際のところどうなのか。米カリフォルニア州サンノゼ在住の円道正実さんに、通信を送っていただきました。

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カリフォルニア州立大学バークレー校で行なわれた報復戦争反対集会。「バーバラ・リーは私の誇り」のプラカードが。リー下院議員は、大統領に報復戦争の全 面的権限を与える決議に、ただ1人反対投票をした(2001年9月20日)

 ある夜、静まりかえった空気を震わせ軍用機の音がした。どこに向かうのだろう。何をしているのだろう。音は遠く離れたかと思うとまた近づく。
 二〇〇一年九月一一日、ハイジャック機が世界貿易センタービルに激突するや、ただちに全米の空港が閉鎖され、大統領は「これは戦争だ」と宣言した。上空 に上がることを許されているのは軍用機だけだ。映画でよく耳にするヘリコプターのパタパタいう音は、戦争を知らない世代の私にも嵐の前ぶれを感じさせた。

 テロをとるかアメリカをとるか

 九月一一日以来、どれほどの星条旗が売れただろう。オフィスで、学校の職員室で、病院で、スーパーの店頭で、郵便局で。そして街を走る自家用車、消防車、パトカーと、全米に星条旗が掲げられた。
 United We Stand(アメリカは団結する)と書かれたシールやブローチも飛ぶように売れた。なかには自分の車のボディ全体に、スプレーで星条旗を描いてしまうほど凝った人もいた。
 「愛国心を示すために、皆で星条旗の色の入ったTシャツを着てきましょう」とメールが届いた学校や職場もある。
 多くのアメリカ人は、アフガニスタンへの空爆を支持することが「アメリカ的である」と信じて疑わない。何せ、大統領から与えられたのは二者択一。テロかアメリカか、どちらを取るのだ、と。

  テロ事件から6日後に

 テロ事件から六日後、私はカリフォルニア州スタンフォード大学近くの人通りの多い街にいた。その一角にある広場で、ブッシュ政権の「二者択一」に「待った」の声をあげた人びとが集まった。
 「テロも戦争も反対!」と彼らは手づくりのプラカードを掲げた。
 テロの攻撃を受けたニューヨークでは、倒壊した世界貿易センターからまだ煙がたっていた。「お前らはテロの仲間か!非国民!」。通りを歩く人びとから集会参加者へ罵声が飛ぶ。警察の警備が両者を近づけないように見張っている。

  自分の国がやってきたことを

 この集会でスピーチをしたスタンフォード大学教授、ジョエル・ベイニン氏はマイクを握りこう訴えた。
 「私は中東の歴史を専門としているので、この種の事件が起きると多くのマスコミから取材を受ける。そして必ず?どうしてアラブ、イスラム系の人びとはア メリカを嫌っているのか?と質問される。 アメリカ人が観光で中東を訪れたら、たいていのアラブ、イスラム系の人は彼らを歓迎してくれる。アラブ、イスラ ム系の人はアメリカ人を嫌っているのではなく、アメリカ政府のとってきた政策を嫌っているのだ。ジャーナリストもふくめて、アメリカ人は自分の国がやって きたことについてあまりにも知らない」
 「自分の国がやってきたこと」をよく知る一人の男性がその場にいた。彼はベトナム戦争を経験した帰還兵だった。各地の反戦・平和集会に参加し、帰還兵の立場から戦争の悲惨さを訴えている。
 「ベトナムへ行く前は、戦争に行くのは愛国的で名誉なことだと信じて疑わなかった。でも現実はあまりにも悲惨だった」。彼はいま平和集会で反戦グッズを売り、その収益で次世代の若者を戦場へ送らせないためのたたかいをしている。

  アフガンの犠牲? それは仕方ない

 あの凄惨なテロ事件から四カ月。アフガニスタンでは暫定政権が誕生したとはいえ、依然アメリカによる空爆が続けられている。
 米軍が「報復」として始めた空爆で死亡した一般のアフガニスタン人の数は、すでに三七〇〇人以上といわれる。これには空爆から逃れるために難民となり、 飢えや寒さ、劣悪な生活環境から病いにかかり命を落とした人びとの数は、もちろんふくまれていない。
 平和集会参加者に向かって「この非国民!お前らもアフガンで死ねっ!」と星条旗を掲げて叫んでいた男性に、私はたずねたことがある。「アメリカの空爆に よって失われている、テロとはまったく関係のないアフガニスタンの人びとの命についてあなたはどう思いますか?」と。
 以前日本で英会話を教えていたことがあるという自称、親日家の彼はこういいきった。
 「アメリカが狙われたんだよ。ニューヨークじゃあれだけ多くの犠牲を出したしね。アフガンの犠牲? それは仕方ないよ。日本だって昔、アメリカが原爆を落としたことで戦争を終えられたんだ」

  人道的な戦争を行なっている?!

 テロ事件後、アメリカでは、テレビをつければ「我が国は団結する」の字幕が飛び出し、新聞を開けば「切り抜き用・星条旗セット」が折り込まれている。
 アメリカ在住のヨーロッパ人は、「ナチスドイツを思い出す」と空気の重たさを懸念する。しかし当のアメリカ人の多くは、「空爆は一般人がいない山の方に 落とし、それ以外のところには食料も投下した。アメリカは人道的な戦争を行なっているんだ」と真顔でいう。
 たしかにテレビでは、空爆シーンは閃光がチラチラ映るか、遠くの山に煙が見える程度のものしか放送しない。そして湾岸戦争のときと同じコメントが流される。「空爆による一般人の犠牲については、詳しい情報が入ってきていません」

  テロを生む土台は「二重基準」

 アメリカの一般市民に「人道的な戦争をしている」と思わせることにほぼ成功したブッシュ政権は、?テロと 関わる?他の国へも戦争を拡大するとすでに公言している。彼らの論理では、アメリカによる空爆で生じるであろう命の損失は、ニューヨークのテロ攻撃で失わ れた命とは価値が違うのである。
 このダブルスタンダード(二重の基準)が、テロを生む土台の一つになっていると平和活動家たちは口をそろえていう。

  空爆開始の日に数千人の緊急集会
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平和集会で「反戦グッズ」を売るベトナム帰還兵の人たち

 保守的な勢力が全米を揺さぶる一方、九月のテロ攻撃の犠牲にあったニューヨーク市民をふくめ、平和と共存を求めて立ち上がった人も多い。
 昨年一〇月、アメリカによる空爆が開始したその日、カリフォルニア州サンフランシスコでは、「空爆の即時停止を求める緊急集会」に数千人が結集した。サ ンフランシスコの繁華街はまたたく間に大デモ会場となった。この日の朝よびかけた集会なのに、用意したプラカードや署名用紙が足りなくなるほどで、主催者 側もうれしい悲鳴をあげていた。

  テロ対策口実に国民の権利奪うな

 首都ワシントンのホワイトハウス前広場でも集会とデモ行進が行なわれた。会場は、あのキング牧師が「I have a dream=私は(すべての差別がなくなる日を)夢みる」の名演説を行なった、アメリカ人にとって由緒ある場所である。当初、集会の許可を申請したとこ ろ、当局はこれを拒否した。「テロ対策を口実に国民の基本的権利を奪ってはならない」と、民主的弁護士団体がすぐに立ち上がり、当局はしぶしぶ許可を出し たのだった。
 争いから「共存」の歴史づくりへ。
 一〇代の若者がマイクを握る平和集会で、九〇歳のカップルが拍手を送る。車いすの女性が、ホームレスの男性が、幼い子どもの手を握る親たちが、平和行進に加わる。大統領が何をいおうと、平和を求める声をアメリカは失っていない。

  人間として「やるしかない」

 南アフリカの人種隔離政策(アパルトヘイト)廃止を求めてたたかった、ある活動家がラジオのインタビューでこんなことを話していた。
 「政治運動をしていた私がいうのも変ですが、当時の南アフリカでアパルトヘイトを廃止するなんてできるわけがないと思っていました。じゃあなぜ活動に参加したか。それは人間としてやるしかなかったからです」と。
 そして彼らは歴史を動かした。それと同じ声が、平和運動に参加するアメリカの若者のなかからも聞こえる。
 「自分の税金が、アフガニスタンの子どもを死に追いやっている。冗談じゃないよ。湾岸戦争のときもそうだった。どれだけの犠牲を出したらこの国の政府は 納得するんだ。なぜ集会に参加するのかって? じっとしていられないんだ。やるしかないだろ?」

  勇気と信念を試されるが

 少数派であるとき、人は勇気と信念を試される。平和を求めるということは、単に集会やピース・ウォークに参加することだけではなく、常に自分自身を教育していくことなのだと思う。そしてその教育とは、世界市民としての義務を知ることなのではないかと思う。
 アメリカに暮らす私も、「アメリカの政策を批判するなら、さっさとここから出て行け」といわれることもある。
 しかし自分の信念が人道にもとづいたものであるのなら、必ずそこには一緒に立ち上がってくれる人が現れる。国際人になるとは、人道に対するすべての暴力 を行動をもって批判し、世界のすべての民族と共存するために、どんな努力をするべきかを考えることなのだと思う。

 ある作家がこんな言葉を残した。
“自分の政府が間違った方向に進もうとしたとき、それを批判することは、もっとも愛国的な行動である”

いつでも元気 2002.3 No.125

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