Dr.小池の世直し奮戦記

2015年9月30日

Dr.小池の世直し奮戦記 「だれの子どもも、ころさせない」 言葉の持つ大きな力

 このところ毎日のように、言葉の持つ大きな力に、心が揺さぶられています。

「だれの子どももころさせない」

 この言葉は全国に広がった「安保関連法案に反対するママの会」のスローガンですが、心にしみいる訴えです。私も小学六年の息子を持つ「パパ」の一人として、深く共感します。
 八月二七日の「ママの国会大作戦!」の集会では、一万九〇〇〇人のママたちからのメッセージを受け取りました。大阪府から来られたママは「六歳の娘に『なんで戦争はあかんと思う?』と聞いたら、『人を殺すのはあかんし、死ぬのも怖いやん』という。これ以上の答えはない」と発言されました。
 ママと子どもの言葉は、安倍首相や中谷防衛大臣の軽薄な答弁など、吹き飛ばす力を持っています。

「今のあなた方のように、我々も生きていたかった」

 京都府の86歳の男性による、「朝日新聞」(大阪本社版)への投書も衝撃でした。
 この方は海軍飛行予科練習生で、特攻で何人もの仲間を失ったそうです。そして今、SEALDsのデモを知った時「うれしくて涙を流した」とおっしゃいます。
 「学生さんたちに心から感謝する。今のあなた方のようにこそ、我々は生きていたかったのだ」と。
 この言葉の力の前には、私も言葉を失います。

「私がたまたま高校生だったということ」

 八月二九日、全国各地の学生らが作る団体が開いた安全保障関連法案に反対する記者会見では、高校生が新聞記者から「なぜ高校生のあなたが立ち上がったのか?」と質問されていました。
 これに彼女はさらりと、答えたのです。
「高校生だから立ち上がったのではありません。何かおかしいと思った私が、たまたま高校生だったということです」と。
 八月三〇日の国会前集会では、高校生による『民衆の歌』や『ケサラ』の合唱が響きわたりました。日本の未来に、希望が見えた瞬間でした。

「お母ちゃんは、あとからでいいよ」

 最後は、六人の女優さんたちによる朗読劇『この子たちの夏 一九四五・ヒロシマナガサキ』から。
 原爆投下直前の広島の、のどかで平凡な情景。一転して、峠三吉による詩「仮繃帯所にて」のすさまじい描写。勤労動員中だった一年生三二二人全員が爆心地で死亡した、広島二中の生徒のお母さんたちの手記。読み上げられるたびに、言葉が胸に突き刺さりました。
 そして、一二歳で亡くなった山下明治さんの母親の手記で、涙が止まらなくなりました。
 「明治は亡くなるとき、弟、妹の一人ひとりに別れの言葉を言いました。死期が迫り、私も思わず『お母ちゃんもいっしょに行くからね』と申しましたら、『あとからでいいよ』と申しました。『お母ちゃんに会えたからいいよ』とも申しました」
 絶対に「戦争する国」にはしない。
 これからが、がんばりどきです。

いつでも元気 2015.10 No.288

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