いつでも元気

2004年3月1日

元気スペシャル これが米軍のイラク「掃討作戦」だ 住民をねらい撃ち虐殺、クラスター爆弾も

 

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畑にいまも埋まったままのクラスター爆弾の子爆弾

 「バリ、バリ、バリ、バリ、バババババババーン」。アリ・フセイン・ムハンマッド(6歳)くんは母親といっしょにあぜ道の用水路に倒れ込んだ。
 顔面になにか熱いものを感じた。しかし、何がおこったのかわからない。彼の記憶では自宅から西に向かって、おじさん、おばさん、母親、いとこなどといっしょに、総勢二〇人が一列になってあぜ道を逃げていたのだ。
 アリは夕やみの迫る用水路の中でじっとしていた。次第に気が遠くなり、気づくとあたりは真っ暗になっていた。近くでうめき声が聞こえていた。ショックで、痛みを感じたことさえ覚えていない。
 翌日の昼過ぎ、おじさんが助けにきてくれた。ぐったりしたアリを抱えて、おじさんは米軍に助けを求めた。アリは米軍によって南へ南へと次つぎに移送さ れ、結局、村から五百キロも離れたクウェートの米軍病院に運びこまれた。
 アリは顔面に銃撃を受け、鼻はそぎ取られており、手術で股の皮膚を移植したという。左目は失明してしまった。
 家族のもとには、アリの消息について米軍から何の連絡もなく、アリは米軍に連れ去られたと思われていた。バグダッドの国際赤十字からの連絡で、クウェートの病院に入院していると知らされたのは一カ月後の五月になってからだった。

動くものは何でも撃たれた

 事件がおこったのは、昨年四月三日の日没直後だ。三月二〇日に米軍のイラク攻撃が始まって、二週間後である。
 アリの住むクルジア村は、バグダッドの南四〇キロ、イラク南部とバグダッドを結ぶ幹線道路の脇にある。野菜や小麦づくり、酪農も盛んな小さな村だった。 地上戦が始まるとまもなく、村には、米軍のバグダッド侵攻を阻止するため、イラク軍の前線がしかれた。
 事件のあった四月三日は、午後から米軍との間で戦闘が始まり、村の東側の幹線道路から集落に向かって激しい銃撃が加えられた。動くものは何でも撃たれた。牛が何頭も犠牲になった。
 住民は粗末なレンガづくりの家の中でじっと戦闘が終わるのを待った。夕方ようやく静かになる。危険を感じた住民は近くの親せきまで避難することにした。 アリの親族も女、子ども、年寄りばかり二〇人が一団となって避難を始める。
 悲劇はまもなくおこった。
 避難する二〇人を米軍ヘリの機銃掃射が襲ったのだ。ヤシの林に隠れて事件を見守っていた住民は、怒りをあらわに語る。「ヘリはヤシの木をかすめるように 飛んできた。米兵には女、子ども、年寄りだとすぐにわかったはずだ。それなのに銃撃した。明るくなるまで、だれも助けにいけなかった。奴らは動くものは何 でも撃ってきたから」

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この畑も不発弾がいっぱい。「耕作ができなくなった」と嘆いていた

 この事件で七人が殺され、アリといっしょに七人が負傷した。
 フォウジャ・フセイン(46歳)さんは、牛を連れ戻しにいこうと庭先に出たところを撃たれている。米軍の戦車は二百メートル離れた国道からねらい撃ちし た。フォウジャさんは左腕と肩を撃たれ、気を失った。父親が翌日病院に運び込み、一二日間入院したが、「だれも補償してくれない。アメリカは私の敵です」 とフォウジャさんはアメリカを憎んでいた。
 低空のヘリや近距離の戦車からは、標的が住民であることは容易に確認できるはずと思うのは一般庶民の感覚で、米軍は兵士と住民を区別するような悠長なことはしなかった。「動くものは何でも撃つ」。それが米軍の掃討作戦である。
米軍は「戦闘終結」宣言後もイラク各地で、「鉄のハンマー作戦」などといって「掃討作戦」を展開している。その実態はこの通りだ。米軍には、テロ勢力も、 占領にたいするレジスタンスも、区別はない。イラク住民のなかに、限りなく「敵」をつくりだしているのだ。

不発弾に埋まる畑 耕作放棄しかないよ…

畑仕事中に爆発、負傷

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不発弾はまだまだあり、撤去しきれない

 戦闘で、米軍は多連装ロケット砲で発射するクラスター爆弾を大量に使った。一発の親爆弾から約二百発の子爆弾をまき散らして非戦闘員を殺傷するうえ、不発弾は対人地雷ともなる残虐兵器だ。
 クルジア村にはいまも、不発だった子爆弾がたくさん残っており、畑仕事中に爆発して犠牲者がでている。
 不発弾が大量に残る畑に連れていってもらった。案内してくれたヤシッルさん(19歳)は危険を知らずに拾った不発弾を投げ、落ちたところで爆発し、大けがをした。いまも破片が体に残っている。
 あぜ道の草むらから、直径四~五センチ、灰色の円筒形の金属製筒が見つかった。先端には白いプラスチック製のリボンがついている。昨年四月にバグダッド の住宅地で見たものより一回り小さい。一度見つけると次つぎ見つかる。畑に半分埋まってしまったもの、プラスチック製リボンだけ地表にでているもの…。
 住民たちは危険を承知で、畑や住宅地から子爆弾を拾い集めたという。しかし、いまも爆発による被害はつづいている。「弾がたくさん残っている畑は、耕作放棄せざるを得ない」と嘆いていた。

いつでも元気 2004.3 No.149

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