いつでも元気

2004年3月1日

がんばれ!研修医 終末期の患者さんに寄りそって

和田 浄史
神奈川・川崎協同病院外科

 ある日Nさんが、医師になったばかりの研修医Tにいいました。
 「タバコが一服吸いてえなぁ…」
 Nさんは五九歳。胃がんの終末期でした。もう先が長くないことを知り、アパートをひきはらって入院していました。T医師が車いすを押して喫煙室にいく と、Nさんは「先生も吸えよ」とタバコを差し出しました。T医師はいっしょに吸うわけにもいかず、世間話をして帰ってきました。

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盛大に還暦のお祝いをしたNさんと病棟スタッフ。左端和田医師

「元気のモト」になるなら

 「白衣着てたし、さすがに吸えませんでした。でもNさん寂しそうだったなぁ」
 僕は研修医に、終末期の患者さんの「元気のモト」になることなら何をやってもいいよと、日頃から伝えてきたはずでした。少しして、案の定T医師は僕のところに相談にきたのです。
 「私服に着替えてきてもいいですか?」「ああ、いいよ。着替えてもう一度いってこい」。T医師はさっさと私服に着替え、Nさんの車いすを押して出ていきました。二〇分ほどして、二人は楽しそうに戻ってきました。
 「ずいぶんいい顔で戻ってきたな」「はい…でも僕、タバコ一本もらっちゃったんですけど…」「それはもらい物じゃなくて、お駄賃だ。…今回はありがたくもらっとけ」「じゃあ、そうします」
 次の週は、Nさんの誕生日でした。ナースも、事務も、ケースワーカーも、医師も、みんなで手分けしてケーキやお花を用意し、盛大に還暦のお祝いをしまし た。T医師は、タバコのお礼にと、くす玉を用意してくれました。食事がのどを通らないはずのNさんが、照れながらおいしそうにケーキを食べ、その一カ月 後、眠るように亡くなりました。

「きょう、結婚式しよう」

 Iさんも、胃がんの終末期の患者さんでした。娘さんの結婚式が間近に迫っていましたが、病状は悪くなる一方。そして結婚式が一週間後に迫った日曜の朝、 女性の研修医Sと僕は、Iさんの命が絶対に結婚式までもたないと判断しました。
 「きょう、結婚式しよう」

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嫁の美しい花嫁姿に笑顔を見せたIさん

 病棟に連絡すると、ナースたちはすごいスピードで準備をはじめました。当初花嫁は、あまりにも唐突な申し出に大変混乱しました。いま花嫁姿を見せること が本当にいいのか、いきなり決断を迫られても、決めかねるのも当然でした。しかし、とにかく時間がありませんでした。S医師は、花嫁と話しあいました。
 「Iさんは、式当日に列席できないのはもちろんのこと、来週まで体がもつかどうかもわかりません。花嫁の父として出席できないことを、どれほど悔しく 思っているでしょう。いまもあなたに、心の中でわび続けていると思います。私たちは、そんなIさんの気持ちを少しでも楽にしてあげたい。どうか、Iさんに 花嫁姿を見せてあげてくださいませんか」
 昼過ぎ、僕たちはIさんをベッドごと会場に運びました。助手さんも、医局にいた他科の医師も協力してくれました。双方の両親も駆けつけました。
 Iさんは目を開けるのが精一杯でしたが、美しい花嫁を見て、うれしそうに笑ってくれました。本当にいい笑顔でした。
 「わたし、聖歌隊します」
 S医師は、僕の伴奏で賛美歌を歌ってくれました。心のこもった歌声は、出席者の心に静かにしみました。そのあと彼女は、裏方としてウエディングドレスの 裾を持ちあげながら、ずっと涙をぬぐっていました。そしてその三日後、Iさんは静かに息を引き取りました。

いま一番大切なこと

 研修医には、高度な医療行為はできません。しかし患者さんは主治医に、医療行為だけを求めているわけでは ありません。終末期、もはや医師として提供できる治療がなくなったとしても、主治医が心の中で白衣を脱ぎ、看護師や牧師や、家族や友人の役割を担うこと で、最期まで患者さんに寄り添うことができるのです。
 私は研修医に、「この患者さんに、きょう一番大切なことは何?」ときいてみることにしています。
 T医師のように本当に白衣を脱いでしまう研修医もいます。患者さんにぴったりの円座を縫ってくる研修医がいます。患者さんの大好きなクラシックコーラを 仕入れてくる研修医がいます。患者さんのそばに座りこんで、のんびり話をする研修医もいます。家族を呼んで「いい残したことがないように」患者さんと対話 してもらう研修医もいます。孫が入賞した書展を見てもらおうと、車いすを押していく研修医がいます。一日に五回も往診して、在宅で立派に最期を看取る研修 医がいます。
 終末期医療は、どの研修医も本当に悩みますが、患者さんには心から信頼され、「ありがとう」と「さようなら」の最期の勲章をもらって育っていきます。
 研修医が日常の診療のなかで、科学的視点とヒューマニズムの見事なバランス感覚をみせてくれるとき、僕は心の底からうれしく思いますし、これこそ指導医 冥利に尽きる瞬間です。こうして研修医のみずみずしい感性に刺激されながら、僕たち指導医も日々成長しているのです。

いつでも元気 2004.3 No.149

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