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2017年7月4日

九条に込めた思い 第1回

発案は当時の首相だった

 日本国憲法が施行されて70年。
 安倍政権が改憲を目論むなか、憲法の成立過程にも注目が集まっています。
 今号から3回連載で、憲法第九条の成立過程について堀尾輝久さん(東京大学名誉教授)にうかがいます。(編集部)

堀尾輝久(ほりお・てるひさ)1933年生まれ。教育学、教育思想。東京大学名誉教授。日本教育学会会長、日本教育法学会会長、民主教育研究所代表などを歴任。現在は総合人間学会会長。「九条地球憲章の会」世話人代表

 日本は敗戦の廃墟の中から、戦争への反省と平和への願いを込めて戦争放棄を規定する九条をもつ日本国憲法を制定しました。
 私は長年、憲法九条がどのようにつくられたのか、このことについて研究を続けてきました。そのなかで、さまざまな資料から「憲法に戦争を放棄する条文を入れる発案をしたのは、当時の首相・幣原喜重郎であった」という見解を持ち、押しつけ論を批判する立場で幣原の役割に注目してきました。そして昨年発見した資料によって、「発案は幣原であり、九条はマッカーサーとの合作であった」ことを裏付けるに至りました。
 日本国憲法は決して「アメリカから押しつけられた憲法」などではありません。当時の政府が「日本は二度と戦争はしない」という不戦の誓いを、世界に宣言した憲法なのです。

新しい憲法が生まれるまで

 1945年8月15日、日本がポツダム宣言を受諾した後、GHQ最高司令官のマッカーサーは近衛文麿国務大臣との会談(10月4日)で「大日本帝国憲法を根本的に改正すべき」と示唆。数日後に幣原内閣が誕生します。首相となった幣原喜重郎がマッカーサーを訪問(10月11日)した際、マッカーサーは「憲法を自由主義的に改正するように」と伝えました。 
 それを受けて政府は憲法問題調査委員会を設置。松本烝治委員長のもと案文の作成に取り組み、1946年2月1日、毎日新聞に改正案(松本案)が報道されますが、大日本帝国憲法の微温的な改正だったため、GHQは納得しませんでした。
 1月24日に幣原と会談したマッカーサーは2月3日、改正の3原則(戦争放棄、象徴天皇制、封建遺制からの解放)を示し、GHQ内部で改正案の検討を始めます。2月13日、GHQ草案を日本政府に示し、3月6日に「戦争の放棄」と「軍備の不保持」を盛り込んだ政府案が発表されたのです。


日本国憲法第九条 

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


「軍隊をもつのは無駄なこと」

 新しい憲法には、どのような思いが込められていたのでしょうか。私はいつも、制定に関わった2人の要人の演説を思い起こします。
 1つは幣原が戦争調査会(1946年3月27日)の冒頭で行った演説です。
 「かくのごとき憲法の規定は現在世界各国いずれの憲法にもその例を見ないのでありまして…戦争を放棄すると言うようなことは夢の理想だと考えるかもしれません。しかし原爆より更に強力な破壊的兵器も出現するであろうとき、軍隊をもつことは無駄なことなのです。
 今日我々は戦争放棄の宣言を掲げ、国際政治の荒漠たる原野を単独に進み行くのでありますけれども、世界は早晩、戦争の惨禍に目を覚まし、結局私どもと同じ旗をかざして、遥か後方に付いてくる時代が現れるでありましょう」。
 もう1つは、それから数日後の対日理事会(4月5日)で、マッカーサーが行った開会演説です。
 「国策の手段として戦争が完全に間違いであったことを身にしみて知った国民の上に立つ日本政府の戦争放棄提案は、戦争を相互に防止するには各国が国際的な社会、政治道徳の更なる高次の法を発展させることによって人類をさらに一歩前進させる新たな段階にあることの認識を示すものです。
 従って私は戦争放棄に対する日本の提案を、全世界の人々が深く考慮することを提唱したい。道はこれしかない。国連の目標は賞賛すべきものだが、その目標も、日本がこの憲法によって宣言した戦争する権利の放棄を、まさに全ての国が行ったときに初めて実現されるのです。戦争放棄は全ての国が同時になさねばならないのです」。
 憲法成立に関わる2人の思いを、私たちは事実として学び、共有することが必要だと考えます。

世界も「戦争は違法」の流れに

 幣原は政府案の作成にあたり、後年「長い間自分自身が考えていたことを盛り込んだ」と語っています。
 幣原とは、どのような人物だったのでしょうか。
 幣原はもともと外交官として活躍していました。第一次世界大戦後の軍縮への動き、「戦争そのものが違法だ」とする思想運動(アメリカの哲学者・ジョン・デューイもその一人)、そして不戦条約の成立(1928年)など、このような世界の動きが幣原の外交姿勢に大きな影響を与え、やがて、軍部とも対立し、下野しました。
 憲法九条は、戦争そのものを「違法」とする世界史の流れのなかで芽生え、育まれて誕生したのです。(つづく)


参考資料
雑誌『世界』(2013年5月号)
「憲法九条と幣原喜重郎」
鉄筆文庫『日本国憲法』

いつでも元気 2017.7 No.309

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