MIN-IRENトピックス

2019年7月5日

素顔の平壌

文・写真  牧野佳奈子(フォトライター)

高さ170mの主体思想塔から眺める平壌の街並み

高さ170mの主体思想塔から眺める平壌の街並み

 昨年、建国70年を迎えた朝鮮民主主義人民共和国。
 マスコミからさまざまなニュースが流れる一方、街の様子や暮らしぶりを知る機会はほとんどない。
 市井の人々は何を考え、どのような生活を送っているのか。
 昨年8月に朝鮮半島を研究する大学関係者対象のツアーに同行した牧野佳奈子さん(フォトライター)の報告です。
 垣間見えた人々の素顔とは―。

 日本と朝鮮民主主義人民共和国は国交がないため、航空機の直行便はない。同国に入るには、いったん中国でビザを取得して平壌国際空港へ向かう。北京空港を出発して約3時間。雲の下にうっすらと首都・平壌の街並みが見えてきた。
 私が参加したのは「在日本朝鮮留学生同盟」が毎年主催しているスタディツアー。1カ月ほど前に日本人観光客が平壌で拘束されたニュースが流れたこともあり、初めて訪朝するメンバーは一様に緊張していた。
 到着後のガイダンスで、さっそくこんな指摘が。「朝鮮人の多くは、過去のさまざまな経緯から日本に対して良い感情を持っていません。ツアー中はそのことを念頭に行動してください」。過去の植民地支配や慰安婦問題だけでなく、今も残る朝鮮人差別や、最近では観光客を装い隠し撮りをする日本人がいることも指摘された。
 「写真撮影は基本的に構いませんが、相手に断りなく撮ったり、軍関係の人や物を撮ることはやめてください」。私は既成概念を捨て、この国で出会うあらゆる人の話に耳を傾けることから始めた。

日本語学ぶ複雑な思い

 翌日、平壌市内を案内してくれたのは、平壌外国語大学で日本語を学んでいる学生9人だった。
 最初に話しかけてくれたのは、大学4年生のJ・Kさん。流暢な日本語を褒めると「いえ、僕たちは日本人と話す機会がないので自信がありません」と照れ笑い。「日本に行きたいですか?」と尋ねると、「はい」と答えた後、少し間をおいて「でも日本は事故や自殺が多いんですよね?」と遠慮がちに質問された。「確かに多いけど、幸せな人もたくさんいますよ」と私。
 平壌外国語大学で日本語を学ぶ学生は各学年7?8人。昔は20人以上いたため学部だったが、今は約20言語の一つとして学科に位置付けられている。
 日本語が不人気になった理由は「就職先がないから」。それでも日本語を専攻した理由をJ・Kさんに尋ねると、「敵国を知るには言葉から、といいますから」と真面目な顔で答えられ、返す言葉を失ってしまった。別の女子学生、J・Hさんは「私は隣国と仲が悪いのは嫌ですから、外交官になりたいんです」と言う。
 互いに気心が知れてきた頃、J・Kさんが「本当はお父さんに言われて日本語を選びました」とつぶやいた。私は、もしかして彼らにとってこの国で日本語を学ぶことは、肩身の狭いことなのではと想像した。もしそうなら、こうして笑顔で接してくれることがどれほどありがたいか…。
 別れを惜しみながら、「いつか日本に来てほしいです」と心を込めてJ・Kさんに言った。彼は満面の笑みで、「せっかく日本語を勉強したので、行きたいですね」と返してくれた。

目覚ましい経済発展

 5泊6日の滞在で最も驚いたのは、平壌の人々が幸せそうだったこと。たとえばマンション脇の広場や街路樹の木陰、公園の芝生などで子どもたちが走り回り、大人は輪になって談笑している。天災が続いた90年代を乗り越え、ここ5年は地下鉄や道路が次々と建設されるなど経済発展が著しい。
 公教育にも力を入れている。平壌市内の全小学校は、児童が徒歩10分以内で通える場所に整備。地方でも同質の教育を受けられるよう、国内で使えるインターネットによる遠隔地教育のシステムも開発されている。
 また平壌郊外にあるモデル農場では、入居した農家が大学の通信教育を受けられるシステムを導入。すべての国民に大卒レベルの知識を保障するのが目標だ。
 教育内容で最も重視しているのは科学技術。学校教育では独創的な意見やアイデアを堂々と発表できる力を育成。研究者には高待遇を与え研究に専念させる。自ら考え行動する「自主性」を育むことが、国家にとっても国民にとっても重要なのだとツアー中に何度も聞かされた。

モデル農場に入居している男性

モデル農場に入居している男性

“社会主義”は生活そのもの

 しかし自主性を重んじる国の人々が、なぜそこまで「偉大なる指導者」(金正恩朝鮮労働党委員長)を崇めるのか。人々の忠誠心に最も大きな影響を与えているものは何かと質問した。
 「結局、それは“実績”だと思います」と答えたのは、平壌の非政府組織「朝鮮対外文化連絡協会」のC・Kさんだった。「指導者が本当に私たちのことを考えて行動してくださっていると、日常生活の中で実感できるから」とC・Kさんは言う。
 たとえば金正恩委員長が自ら企業などを訪れ、商品やサービスの質の向上のために事細かく指示を出す。その内容や結果を新聞各紙が報道する。そして実際にできた日用品や建造物、病院、学校、住宅などが国民に無償で提供され、その使い勝手を確かめることができる─という風に。
 「社会主義はもはや私たちの生活そのものですから、社会主義が崩れたら私たちは生きていけなくなります。今の体制を守ることは、自分の命を守ることなのです」とC・Kさん。それはとても率直な、この国に生きる人の生の声だと感じた。

朝の風景。平壌大劇場の前で憩う市民

朝の風景。平壌大劇場の前で憩う市民

“終戦”への期待と可能性

 昨年、金正恩委員長は韓国の文在寅大統領と3度にわたり南北首脳会談を行った。平壌でも朝鮮半島統一の機運が高まっていたが、韓国とあまりに違う風景を前に、実現性については半信半疑な思いがぬぐえない。
 しかしツアー最終日、東京外国語大学の中野敏男名誉教授が晩さん会で述べた言葉にハッとした。「朝鮮戦争はまだ終わっていないという事実によって、朝鮮の方たちはずいぶん無理をされているのではないかと思います」。その場で朝鮮対外文化連絡協会の役員が深くうなずく姿を見て、私の頭には一枚のイメージが浮かんだ。それはTシャツ姿の日本人が、鎧を着た朝鮮人に「早く鎧を脱げ」と命令している図だ。そして日本人の背後には米国産の戦車がズラリ。
 朝鮮民主主義人民共和国と韓国が、たくさんのしがらみがあってもなお統一の道を模索していることはやはり尊いことだと思う。まずは鎧を脱げるような環境をつくり、名実ともに戦争を終わらせることが先決だ。
 夕日に照らされた平壌の街並みを眺めながら、この国にはたくさんの可能性が秘められていると感じた。ものごとは見方次第で違って見える。平和の先にある未来こそ、積極的に思い描きたい。

いつでも元気 2019.7 No.333

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