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2020年2月28日

あすをつむぐ看護

文・奥平亜希子(編集部)
写真・亀井正樹

奥山さんの自宅へ向かう武田さん(左)と庄司さん 背後に蔵王の山々がそびえる

奥山さんの自宅へ向かう武田さん(左)と庄司さん
背後に蔵王の山々がそびえる

 看護師の武田弘子さんと介護福祉士の庄司恵理さんが奥山源廣さんの自宅を訪ねる頃、太陽は朝日連峰の向こうに落ちていき、吐く息はすでに白くなっていた。
 「ごめんくださーい。源廣さん体調どうね? からだ痛いとこありますか?」。寝たきりの源廣さん宅への訪問は、早朝の5時20分から夜の7時半までの1日4回。変わったことや気になることがなかったか、本人や妻に声をかけながら体温や血圧を測る。「足が…」という訴えに、からだを少し引き上げ楽な体勢になるように位置を変えた。
 「大丈夫? 楽になった?」との声に、源廣さんはニカッと笑顔で応えた。

短時間の細やかなケア

 山形市の至誠堂総合ケアセンターは、至誠堂総合病院と連携して、「最期まで自分らしく生きる」を医療と介護の両面で支える。
 ケアセンターのうち、定期巡回・随時対応型訪問介護看護サービスを行うのが「至誠堂ホームケア24」。食事提供や排泄支援など決まった時間に訪問する「定期巡回」と、必要に応じて訪問する「随時訪問」を合わせ、介護の急な困り事や不安にも丁寧に応じている。
 介護福祉士の庄司さんは「一人暮らしが難しくなっても、“あと少し”のフォローがあれば自宅で暮らし続けられる人がいます」と語る。認知症で一人暮らしの場合、薬の管理や清潔を保つことが難しい。「どの薬をいつ飲む」「汚れたら着替える」という認識があやふやになるからだ。
 定期巡回・随時対応型訪問介護看護サービスは、通常の訪問介護のように訪問回数や利用時間に制限がないため、「薬を飲む」「食事をテーブルの上に出す」など短時間のケアを行うことができる。
 「このサービスを使ってきちんと薬が飲めれば、症状が落ち着いて自宅で暮らせる場合もあります。熱があったり便が出ないなど医療が必要だと判断したときは、すぐに訪問看護につなぎます」と庄司さん。24時間365日、深夜でも早朝でも休日でも対応する切れ目のないサービスが、患者の暮らしを支えている。

「これでいいのだろうか」

 自宅での介護を支えるもう一つの縁の下の力持ちが訪問看護。「至誠堂訪問サービスセンターコスモス」は看護師が携帯電話を持ち、24時間体制で対応している。老老介護や独居、認知症が増え、体調の変化以外にも不安などから電話が深夜や早朝に鳴り、自宅へ駆けつけることも多い。
 最期まで自宅で過ごすのか、施設か病院か。決めるまでに本人や家族にはさまざまな葛藤がある。もちろん、決めてからも「これでいいのだろうか」と心は揺らぐ。その“揺らぎ”の中で悩むのは看護師も同じ。
 主治医から施設への入所を勧められていた患者。家族の気持ちは「最期まで自宅でみたい」と「やっぱりダメかも」の間で揺れ続けた。「この患者さんは心不全を患い、体調が落ち着いたり悪くなったりを繰り返すので、家族も悩むんです」と武田さん。施設への入所を決めたものの、家族は悩み続けた。そして施設へ行くその日、患者は亡くなった。
 亡くなったことで訪問看護は終了するが、残された家族、そして看護師の気持ちがすぐに切り替わるわけではない。「これが最善の選択だったのか」と武田さんも揺れ続けた。そんなとき、家族からかけられた言葉は「一緒に考えてもらえてよかった」。すぐ隣で一緒に悩む看護師の姿に、家族の心も支えられていたのかもしれない。

ボランティアから始まった

 耳の遠い源廣さんのために、顔を近くに寄せて話す武田さんと庄司さん。その声に笑顔を見せる源廣さん。「本当に…ありがたいですよ」と傍らで妻は目を細めた。
 まだ訪問看護の制度がなかった1978年、至誠堂総合病院の医師と看護師がボランティアで在宅医療を開始。92年には、山形県内第1号となる訪問看護ステーションを開設した。40年以上前から職員が描き続けてきた「自宅でも安心して生活できるように」との思いは、しっかりと地域の人に根付いている。帰り際、源廣さんの「また来てね」の笑顔にすべてが込められていた。

いつでも元気 2020.3 No.341

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